高木孝介⑥
バイトは相変わらず続けていたが、先日のちょっとした事件のせいで、誰も口には出さないものの店内には気まずい空気が漂っていた。だが、もしかしたらそう感じていたのは俺を含めた数人だけだったかもしれない。
先日、部長に反旗を翻した大野さんとモモの二人は淡々と普段通りに仕事をしているものの、心なしか以前よりも清々しい表情に見えたし、事件の発端である岩村さんも、いつもと変わらず黙々と決まった作業をこなしていた。
ただ、店長の吉村さんと料理長の長浜さんは、あの事件以降、アルバイトの、とくに退店を示唆した女性陣二人の言動を気にしている様子だった。
そりゃそうか、と思う。
他にもアルバイトの店員はいるが、大野さんとモモは入れ替わりの激しいこの店においては在職期間が比較的長い。彼女たちが辞めるようなことになれば、店が回らなくなるのだ。
だったら時給でも上げてやればいいのにと思うけれど、当然、それは吉村さんの一存で決められることではなかった。
俺にしたって、この店で働く時間はもうそんなに長くないだろうなと思う。部活の都合もあって、元々、そんなにシフトに入ってはいなかったけれど、大学生活も残り一年と半年も切れば、自ずと将来のことに集中せざるを得ない。
将来・・・。
俺は頭の中でその言葉を反芻する。この前、ユミが機嫌を損ねたのもこの言葉が原因だ。
俺は今まで、この言葉をイコール「希望」のような感覚で捉えていた。怪我をするまで漠然と抱いていた将来は今、厳然たる「現実」として目の前に迫っていた。そしてそれは、俺がプロのマウンドで投げている姿ではなかった。
「高木くん」
開店前の店内で、岩村さんが俺に言った。
「レジの金銭チェック終わったから、オープンしてきていいよ」
「わかりました」と俺は答えて、玄関にかかった「CLOSED」の表札を「OPEN」に裏返すため外へ出た。
ドアを開けた瞬間、思ったよりも風が冷たくて、俺は腕を交差して自分の両肩をさすった。まだ五時だが、ビルの隙間から覗く空は既に淡い紺色で、本格的な冬が目前に迫っていることを感じさせた。
この日は水曜日だった。アスファルトの路地を歩くスーツ姿の大人たちは道の両端に立ち並ぶ飲食店には目もくれず家路を急いでいるように見えた。
今日は客が少ないだろうな、そう思いながら、俺はメニューが書かれた立て看板を入り口のすぐ脇に置いた。
店内に戻ると、岩村さんとモモがまだ客の入っていないホールの真ん中で立ち話をしていた。数カ月前までモモは岩村さんのことをあからさまに嫌悪する態度すらとっていたのに、俺の知らないところで何があったのか、今では彼に白い歯を見せている。
最近、シフトでよく岩村さんと一緒になるけど、俺は入店したときから今まで業務上のこと以外であまり彼と会話を交わしたことがない。別に嫌いだったわけでもなく、ただ関心がなかっただけだ。そして岩村さんもまた、俺に対して同じような感覚でいるのだろうと思っていた。
岩村さんは二十七歳だと店長から聞いていた。誕生日を知らないから正確にはわからないが、五歳か六歳年上ということになる。一応、年長者への礼儀として敬語を使うけれど、当然ながら二十七歳のフリーターは俺にとって尊敬できるような相手ではない。それなのに最近、数年先の未来を考えるとき、彼の姿が頭に浮かぶことがある。




