高木孝介②
俺は秋季リーグでの挽回に向けて準備をしていたが、ブルペンでピッチング練習中、肘に激痛が走ったのは数日前のことだった。
瞬間、なんとなくやばいと思った。
病院で検査を受けた結果は、右ひじ内側靭帯の部分断裂。復帰には保存療法だと数カ月、手術だと最低一年はかかるらしい。
手術をする費用なんて当然ないし、来年のドラフトを考えるなら、選択肢はもうなかった。
別にウォームアップを怠ったわけでも、最近投げすぎていたわけでもない。ただ、もっといい球を投げたいという欲求から、普段の投球から無意識に力が入りすぎていたのかもしれない。
なんにせよこの瞬間、俺の将来への展望が音を立てて崩れ始めた。
この怪我で俺は秋季リーグの登録メンバーから外れ、今こうして、スタンドからフェンス越しに試合をするチームメートの動きをぼんやりと眺めている。
「お前もちゃんと声出せよ」
さっきクーラーボックスを俺に持たせた桑山先輩が小姑のように横からちくちく言ってくる。
俺はメガホンを口元に当て、鬱憤をぶちまけるように大声で心のこもらない声援を送った。
試合は、荒れに荒れた乱打戦の末、十二対九でうちの大学が勝利を収めた。
周りにいた奴らは初戦での勝利に歓喜していたけれど、一緒になって素直に喜べない自分がそこにはいる。ゲームセットの瞬間、不意に俺の口から漏れ出たのは大きな大きなため息だった。
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「高木、ちょっと来い」
試合会場から引き揚げる準備をしていると、駐車場で監督に声をかけられた。
「肘の具合はどうだ?」
努めて平静を装っているようだったけど、その満足げな顔からは勝利の喜びが滲み出ていた。
「はい、少し時間はかかるかもしれませんけど、リハビリは順調です」
俺はその場しのぎで適当に答えたが、監督も俺の回答なんかにはたいして興味もないようで、
「そうか」
一言短くそう言うと、
「あと、すまんがこれ、捨てといてくれるか?」
煙草の空箱を俺に渡す。俺に声をかけたのは最初からこれが目的だったんだろう。
ちくしょう・・・。
バスに乗り込む彼の背中を睨みながら、俺はその空箱を右手で強く握り潰していた。
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学生の本分が学業だと言われてたところで、二十歳そこらの俺たちの頭の中には学問のガの字もありゃしない。
試合翌日、俺は重たい瞼をこすりながら講義には出席したものの、講堂の隅っこの席で肘をつきながら、自分がマウンドに立って投げている夢をうつらうつら見ていた。
「ずいぶんお疲れのようですねえ」
昼休み、混み合う食堂で野菜がたっぷり入ったちゃんぽんをすすっていると、ユミが背後から声をかけてきた。
「ここ、いい?」
彼女はそう言うと、丸いテーブルを挟んで俺の向かいに座る。その手には売店で人気のカレーパンと揚げドーナツの袋がある。
「さっき、三井くんから聞いたよ~。ノートも取らずに爆睡してたんだって?」
「疲れてるんだよ」
「試合に出てないのに?」
「うるさいな」
俺の不満げな反応も、ユミはくすっと笑って流すと、袋からドーナツをつまんでひと口噛んだ。
まったく。怪我して試合に出られない彼氏にこういうこと言うか普通・・・。
俺は小さくため息をついたが、ユミに何を言われたところで、不思議といやな気分にならない。野球のことを考えたくないとき、自然と脳裏に浮かぶのはいつもこの子の顔だった。
「そういえば、今日の夜、予定空いてる?」
口についたパンくずをとりながら彼女が言った。
「一緒にご飯でも食べない?」
こういうとき、それが意味するのは彼女が俺のアパートに来て、夕食を作るということだった。
「ねえ、何か食べたいものある?」
そう聞かれ、脳裏に以前彼女が作ったデミグラスハンバーグが浮かんだが、俺は誘惑を断ち切って小さく首を横に振る。
「悪い、今日俺バイトなんだ」
「そっか・・・」
と気落ちしたようにユミは言う。そんな顔しないでほしい。
「じゃあ仕方ないね」
言葉とは裏腹に、彼女は何か言いたげにずっと俺を見ていたが、俺は視線を逸らして器に残った白いスープを飲み干した。




