高木孝介①
「一番レフト横山、二番セカンド石井、三番ライト松林・・・」
ロッカールームに響く野太い監督の声を、壁にかかった時計の針をぼんやりと眺めながら聞いていた。
午前十時十二分。
プレイボールまであと十五分ほどに迫ったこの時間を、いつもならアップ終わりで額に軽く汗を浮かべながら迎えるのだが、この日はユニフォームこそ着ているものの、汗もほとんどかいていなけりゃ、スパイクにすら履き替えていない。擦り減ったランニングシューズの薄い靴底を通して、ひんやりとしたコンクリートの地面を感じていた。
だけどそれは、最近気温が下がってきたこととはたぶん関係なくて、俺の現在の心情を反映させていたように思う。
「九番キャッチャー増野、先発は小倉。以上だ」
最初からわかっていたことだけど、監督の口から最後まで俺の名前が呼ばれることはなかった。
短いミーティングが終わると、部員はぱらぱらとそれぞれの持ち場へ散っていった。ベンチ入りのメンバー以外は応援のためスタンドへ向かう。俺はいつもの習慣が抜けなくて、ついベンチの方へと足が向きかけたが、周囲の冷たい視線ではっとなる。
「おい、お前もこれ持てよ」
背後から、ベンチ入りできなかった桑山先輩に声をかけられる。彼の腕には大きめのクーラーボックスが抱えられていた。
今日は秋季リーグの初戦で、うちは春季で優勝を逃して以来、リベンジのために夏場に猛練習を行なってきた。
待ちに待った開幕戦に部員一同鼻息は荒いが、その熱気の片隅で俺は全く別のことを考えていた。
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小学生の頃から、プロになるのが夢だった。六年生の頃に書いた卒業文集にもはっきりとその目標は書かれていて、その中で二十一歳の俺は、甲子園優勝を果たした上で、ドラフトでは複数球団競合の末に鳴り物入りでプロに入団後、既にタイトルをいくつも獲得しているはずだった。
なのに現実の俺は、甲子園どころか県大会で三回戦負け、ドラフトにも当然かからず、どこの大学からも声がかからなかった結果、仕方なく地元の国立大学に進学した。
そのときはもうプロなんてほとんど考えてなかったけれど、運動部に入っていると就職活動でも有利だからと周囲に説得されて、しかたなく野球を続けることになった。
もちろん遊びでやっていたわけではないし、試合に勝つために必死に練習に励んだ。俺はピッチャーだったから、毎日走り込みも欠かさなかったし、身長があっても線が細かった俺は高校時代にはほとんどやらなかったウエイトトレーニングも始めた。
チームは決して強くなかった。別に弱くもないけれど、同じリーグに強豪私大があるため、毎年よくても三位か四位。
それでも大学で野球ができることに満足していたし、大学生活自体も充実していた。
そんな俺に転機が訪れたのは大学一年がまもなく終わろうとしている三月のある晴れた日だった。それは春季リーグの開幕へ向けてブルペンで投球練習をしていたときのことだ。
その日はキャッチボールで軽く体を温めているときから肩の調子がとてもよかった。
冬の間、ほとんどボールを使った練習をせず身体づくりに励んできたので、その成果が表れているのかとも思ったが、それにしても、いつもとは全く違う感覚がある。マウンドとホームベースとの距離がかなり近く感じるし、どこでも思ったところに投げられるような気がした。
でも一番変化していたのは、その球速だった。一球目を投げたときから自分でも驚くくらいに球が走った。少し力を入れて投げてみる。球を受けるキャッチャーの驚いたような目がマスクの奥から覗いていた。
次にブルペンに入ったとき、キャッチャーの後ろのネット裏にはスピードガンを持った監督がパイプ椅子に腰かけていた。
「気にせずにいつも通りに投げろ」
監督はそう言ったけど、スピードガンなんて持ってこられたら、俄然やる気になる。俺はキャッチャーのミットめがけて渾身のストレートを投げ込んでやった。
あとから聞いた話だと、そのとき、スピードガンに表示された数字は百五十キロだったらしい。
それから俺の野球人生は一変した。そのシーズンから監督は俺をレギュラーとして起用するようになり、俺もその起用に応えていった。二年の秋季リーグでは十数年ぶりに優勝を果たし、四勝をあげた俺自身もMVPを受賞した。
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その頃から、にわかに俺の周囲も騒がしくなった。練習試合にはカメラを手にした人間が観客席に複数座って熱心にスコアブックをつけていたり、試合後には監督に名刺を私ながら挨拶していく人もいた。
しばらくして、アマチュア野球専門誌にもプロ注目として取り上げられた。チームメートはお祭り騒ぎで囃し立てた。最初はあまり気にしていなかったけれど、こうなると、否が応でも昔の夢を思い出してしまう。
プロになれるかもしれない。
そんな思いが胸の内で少しずつ膨らんでいく。しかし比例するように、チームメートからの雑音も多くなっていった。
俺が投げる試合では基本勝っていたから、同級生の多くはチームのために投げる俺を仲間として見てくれていたけれど、先輩たちからしたら、後輩の俺ばかりが持ち上げられて、きっと面白くはなかったのだろう。
俺がプロになれるわけないだとか、普通に就職するほうが長い目で見たら得だなんてことを、てめえが経験してもないくせに恩着せがましく忠告してくる奴もいた。当然、俺はそんな雑魚の言葉を真に受けず、適当に聞き流していたけれど。
とはいえ、今のままではいけないのだという焦りも強く感じるようになっていたのもまた事実だった。
三年になった今年の春季リーグでも、俺はエースとしてチームの勝利のためにベストを尽くしたが、急速も昨年ほどは記録できずに、チームも優勝を逃した。
来年のドラフトで指名されるためには、何から何まで不本意な内容だった。




