大野美咲⑩
日曜日、試験会場へと向かう電車に揺られながら、ぼんやりと窓の外の景色を眺めていた。夏の日差しに照らされた田んぼとか電柱とか、途中停車する駅のホームにある錆びれた看板とか、そして、人とか・・・。
でも網膜に映る視覚情報とは裏腹に、私の大脳は吉村さんについて思いを巡らせていた。
木曜日、仕事を終えた後で吉村さんにLINEで、試験の準備のためにどうしても休みたいという旨を伝えた。意外にもすぐに返信は返ってきた。
了解。
絵文字やスタンプもなく、一言だけそう書かれていた。
次の日に本当にあの金髪の青年がシフトに入ってくれたのかも、吉村さんの奥さんが無事に出産できたのかも私はまだ知らない。吉村さんは頼みを断った私に怒っているのかもしれないけど、試験が終わったら一応謝っておこうと思う。
車の中で吉村さんと交わした会話を思い出す。
「なんで俺がカツオドリカフェ辞めてこっちに来たとき、ついてきたんだよ?」
私はどうしてあの人についてきたのだろう。
普通に考えれば私があの人に合わせてこの店についてくる必要なんてなかった。お店を辞めても、また元いたスーパーのレジ打ちに戻ればよかっただけの話だ。
でも私は彼について行った。私はあの人に一体何を期待していたのだろう。
今ならわかる。
最初は興味本位だったのに、あの人と働くうちに、彼がいない環境で働くことが怖くなっていたのだ。
そしてきっとそこには、彼じゃなきゃいけない理由なんてどこにもなかったのだ。私は、ただ守ってくれそうな誰かを求めていただけなのかもしれない。
そんな感情を隠すために、私は吉村さんの腹心であるかのような、従順で賢い女性を演じていたのだ。
ろくな学歴も社会経験もない私が、まがいなりにも店長である吉村さんの役に立てることなんて、ほとんど何もないのにね。
どうしてこんなことになったのだろう。
頭の中で吉村さんの顔がぼやけて、だんだんと父の顔に変わってゆく。
正解はきっとシンプルだった。
両親の離婚を告げられたときを思い出す。
結果がどうであれ、あのとき、もっと文句を言えばよかったし、思いっきり泣けばよかった。別れないでって言えばよかった。ただ、自分の意思をまっすぐに伝えればよかったのだ。
今、私の意志は明確だ。
試験会場は県内にある公立高校だった。最寄り駅で降りて改札口を抜けると、熱気とともにセミの鳴き声が鼓膜を襲う。まだまだ夏は終わりそうになかった。
会場の学校へ続くアスファルト舗装の長い一本道を歩いていると、同じ方向に歩いていく人たちが何人もいることに気が付いた。
この人たちが同じ受験生であることを認識するまでには少し時間がかかった。なぜなら、
彼ら彼女らの年齢層はばらばらで、中には私よりもずっと年上と思しき人もいたからだ。
でもきっと、他の人たちにとって私もそう思われている受験者の一人にすぎないのだろう。
そんなことを考えながら歩いていると、リクルートスーツを着た一人の女性とすれ違った。歳は私と同じくらいで、額に浮かんだ汗をハンカチで拭きながら、急いでいる様子だった。私は、勉強を始めた当時、冬の本屋で偶然出会った元クラスメートのことを少しだけ思い出した。あのとき出会った彼女は、きっと今大学4年生で、今すれ違った彼女のように、必死に就職活動に勤しんでいるのかもしれない。
もし私が大学に行けたとして、数年後、あんな風に炎天下の道をスーツ姿で歩いているのだろうか。あまり想像できないけれど、それは誰にもわからなかった。
でも一つ、今言えることがある。
今まで使うことさえ避けていたけれど、私にも「将来」という言葉は使えるということだ。
多くの受験者たちに交じって、私はうだるような暑さの中、一歩一歩を噛みしめるように会場への道を歩いていく。まっすぐに前だけを見据えて、目の前のチャンスを全力で掴みにいく。




