第50話:請負、廃業
御前検分の朝は、晴れて、凍っていた。
王宮の大広間。玉座に、国王アーダルベルト陛下。七十を超えて、なお、背筋がまっすぐな方だった。開会の挨拶すら、なさらない。裁くときにだけ口を開く方だと、ハーゲン殿から聞いている。
段の下に、検分使ハーゲン殿と、記録の卓。向かって右に、ロートヴァイン侯爵と請負の貴族たち。左に、わたしと、ヴォルフ様。
末席に、父が、いた。記録の提供者として。顔色は、紙より白い。
奥の壁際には、財務卿ヴァルデマール。臨席のみ。彫像のように、動かない。
「陛下の御前を、金勘定の場になさるおつもりかな、令嬢殿」
ロートヴァイン侯爵は、社交界と同じ、鷹揚な笑みで始めた。
「……はしたないことだ」
同じ台詞。けれど、同じ手は、二度は効かない。わたしは、礼だけを返した。
「御前検分を、始める」
ハーゲン殿の声が、広間に通った。
「検めの対象――請負徴税の納付、ならびに特別賦課の執行。国庫受入れの台帳を、これへ」
官吏が四人がかりで、革表紙の大冊を運び込む。御璽の封が、陛下の御目の前で、解かれた。国の帳が、御前で、開かれた。
わたしは、進み出て、実家の帳簿の写しを、高く掲げた。
「ここに、十年分の、納めた側の記録がございます。ライゼンタール伯爵家が、請負人へ納めた賦課。日付、額、荷駄の数まで。――すべて、わたしの筆跡です。写しの提供は、ライゼンタール伯本人。正規の手続きにより、検分使の検めを経ております」
隣で、ヴォルフ様が、半歩下がって、立っている。剣は、預けてある。それでも、この人が後ろにいるだけで、わたしの声は、震えない。
「では、突き合わせる」
一行、ずつ。
「一昨年の秋。ライゼンタール家、納付二百グルデン。……国庫の受入れ、百四十グルデン」
「その前の年。納付二百グルデン。……受入れ、百四十グルデン」
「十年前。納付百九十グルデン。……受入れ、百三十グルデン」
ハーゲン殿の読み上げが、進むたび、広間のざわめきが、深くなる。
三つ目の年のあたりから、右手の請負貴族の列が、静かになった。扇の陰の囁きが、消えた。自分の帳の数字を、胸の内で数え直す顔が、並んでいた。
どの年も。十年、どの年も、差額がある。
「十年で、差額は六百グルデン余り」わたしは、言った。「納めた側は、確かに納めました。国庫は、確かに受け取っていません。――では、この六百グルデンは、いま、どこにあるのでしょう」
「……くだらん」
侯爵は、まだ、笑みを保っていた。
「小娘の手すさびの帳を、王国の台帳と並べるか。請負には、取り立ての費え、警備の費え、体面の費えというものが――」
「費えなら、帳に載せられます」
わたしは、引き取った。
「載せられないお金にだけ、名前がありません。それを、中抜きと申します」
「陛下!」侯爵は、玉座を仰いだ。「これは数字の話ではございませぬ。品性の問題ですぞ。零落した家の娘が、御前で銭を数え、貴族の慣わしに泥を塗って――」
「では」
わたしは、静かに、言った。
「品性で、この差額を、ご説明なさいますか」
沈黙が、落ちた。
「品性は、結構なものです。ですが品性は、六百グルデンの行き先を、一グルデンも説明してくれません。数字がお嫌いなら、それも結構。……数字のほうは、あなたをお嫌いではないようです。あなたの周りにだけ、よく集まる」
ハーゲン殿が、次の綴りを開いた。
聖女認定の献金の記録――受け手の名。零落した官吏の証言――社交界の貸し借りの網。差額の行き先が、御前で、一本ずつ線に結ばれていく。
「なお、財務寮の名簿によれば、王国の請負徴税の口は、およそ三百」
老検分使は、抑揚もなく、続けた。
「検分使として申し上げる。同じ手口が通っているなら、国庫から失われている賦課は――年に、およそ二万グルデン」
「た、たかが帳簿ではないか!」
侯爵の鷹揚が、剥がれた。
「女の書いた、家の帳簿ぞ! そのようなものと、この、この私を――」
「その帳簿と、王国の台帳の数字が、十年、食い違い続けております」
ハーゲン殿は、静かだった。
「どちらかが、嘘を書いた。台帳が嘘なら、財務院の罪。帳簿が嘘なら、この娘は十一の歳から、今日この日の検分を謀っていたことになる。――十一の娘に、それができたと、お思いか」
誰も、笑わなかった。
「ヴァルデマール卿!」侯爵は、奥の壁際へ、叫んだ。「卿も、何か言ってくだされ! 請負は王国の慣わし、卿とて、長年――」
財務卿は、動かなかった。
まばたき一つ、しなかった。盤の上で詰んだ駒に、指し手は、声をかけない。
(……ああ、この方は、本当に。惜しむのは、才だけ。人は、惜しまない)
「――検分の記すところ、明白である」
初めて、玉座から、声が下りた。低く、短く。
「ロートヴァイン侯。請負の権を、返上せよ。沙汰は追って下す。……負債の付け替え、ならびに婚姻認可の停止は、根拠を失った。撤回し、認可は滞りなく下せ」
それだけだった。裁定に、飾りはなかった。
侯爵は、供にも支えられず、よろめくように広間を出ていった。廊下の先で、誰かの囁きが、追いかけた。
――請負は、もう終いだ、と。
(一つの口が、閉じただけ。仕組みは、まだ生きている。……頂の老人も、まだ)
陛下は、退出の間際、記録の卓の上の古い写しに、目を留められた。
「……十年、と申したか」
「御意」
「よく、つけたものだ」
たった一言。けれどその一言は、大広間の隅々にまで、届いた。
末席で、父が、深く、頭を垂れていた。誰に命じられたのでも、なく。
検分のあいだ、父は、一度も、わたしを見なかった。ただ、読み上げられる十年分の日付を、一つずつ、噛みしめるように聞いていた。あの日付の一つ一つの向こうに、夜なべの娘がいたことを、あの人はもう、知っている。
(十年。誰にも読まれなかった帳が、この国でいちばん高いところで、読まれた。……お父様。わたしの十年は、無駄では、なかったでしょう)
広間を出るところで、壁際の老人と、目が合った。
財務卿は、表情を、消していた。帳庫で見た値踏みの目でも、決裁の目でもない。何も載っていない、白紙の頁のような顔。
「……次は、わしの帳簿と話すことになるぞ、小娘」
すれ違いざま、それだけを、置いていった。
(ええ。そのときは――一の位まで、合わせに参ります)
外は、雪だった。
回廊の端で、ヴォルフ様が、一枚の書状を、わたしに差し出した。婚姻認可の、下付状。今度の封蝋は、天秤ではなく、王家の紋だった。
「……下りたな」
「下りました。千五百グルデンの引っ越しも、元の帳へ帰っていきました」
左手の薬指の、細い銀の指輪に、そっと触れる。ヴォルフ様の母君の、形見。……ようやく、名実ともに、この重さの分だけ、わたしのものだ。
「なら――帰るか。俺たちの領へ」
「はい」
帰りましょう。守るものの顔が、待っている場所へ。
婚約破棄から始まったわたしの帳簿は、王都との戦いの頁を、また一枚、めくった。
第50話、お読みいただきありがとうございます! 王都決戦、第一幕の決着です。
品性のすり替えは「では品性で、この差額を説明なさいますか」で封じ、十年分の古い帳簿が、御前で請負徴税の嘘を割りました。誰にも読まれなかったエルナの十年に、国でいちばん高い場所から「よく、つけたものだ」の一言。……この場面を書くために、第1話からここまで来た気がします。
そして、婚姻認可はようやく下り、二人は辺境へ。ですが、帳庫の主は最後に不気味な一言を残しました。次回、帰還――と、ヴォルフがずっと胸に留めていた、ある「問い」のお話です。
第2部もいよいよ後半戦。ブックマーク・★評価で応援していただけると、本当に励みになります!




