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第1話:婚約破棄、承りました。ところでこの家、半年で潰れますよ

「華がない」と婚約破棄された令嬢が、追放先の赤字辺境を“帳簿一冊”で黒字に立て直します。剣も魔法もいりません。武器は複式簿記。捨てた家が勝手に潰れていく、遅効性の爽快ざまぁ。無骨な辺境伯の溺愛つき。


「エルナ・フォン・ライゼンタール。お前との婚約は、破棄させてもらう」


シャンデリアの光が降りそそぐ大広間で、わたしの婚約者――いえ、元婚約者になる予定のレオンハルト・フォン・アーレンス侯爵令息は、よく通る声でそう言い放った。


招かれた貴族たちが、いっせいにこちらを振り向く。扇の陰でささやき交わす声。あわれむような視線。誰もが、わたしが泣き崩れるのを待っていた。


その腕には、ひとりの令嬢が寄り添っている。淡い金髪に、聖女の証だという白い祭服。男爵令嬢ミレーユ・ロンバール。最近、社交界で「奇跡を起こす聖女」ともてはやされている娘だ。


「お前は冷たい。夜会でも帳面ばかり眺めて、ろくに踊りもしない。華がない。数字をこねるしか能のない女だ」


レオンハルト様は、勝ち誇ったように続けた。


「それにくらべてミレーユは、太陽のように温かい。私はようやく、本当に愛すべき人を見つけたのだ」


ふうん、と思った。


(――それで、来期のアーレンス家の収支は、どなたが組まれるのかしら)


わたしは泣かなかった。代わりに、頭の中でそろばんを弾いていた。


アーレンス侯爵家の帳簿を、実質的に管理していたのはわたしだ。婚約者として出入りするうち、「ついでに」と任された家計。気づけば、領地の徴税台帳から、舞踏会の費え、ミレーユ嬢への贈り物の支払いまで、すべてわたしが両建ての帳で整えていた。


その帳面が、今夜から空白になる。


(過剰な交際費。回収の見込みのない貸付。担保割れした借入。――わたしという栓を抜いたら、この家の財布は、半年で底が抜けるわ)


「……承りました」


わたしは膝を折り、淑女の礼をした。声は震えなかった。


「謹んで、婚約の解消をお受けいたします。レオンハルト様の新しい門出に、心から……ご多幸をお祈り申し上げます」


「ふ、ふん。わかればいい」


レオンハルト様は少し拍子抜けした顔をした。きっと、すがりつかれるとでも思っていたのだろう。


立ち上がりながら、わたしは一つだけ、付け加えた。


「ところで、一つだけ申し上げても?」


「なんだ」


「この家、半年で潰れますよ」


広間が、しんと静まった。


「来期の小麦の作付け、去年より三割減らされていますね。なのに交際費は二割増。借り換えた負債の利が、もとの倍。――数字は、嘘をつきません。今のままなら、収穫祭を迎えるころには、ミレーユ様にお贈りになる宝石の一つも買えなくなる。それだけ、お伝えしておきます」


「な……っ」


レオンハルト様の顔が赤くなった。けれど、彼は数字の意味がわからない。わからないから、怒ることしかできない。


「で、でたらめを! 私を侮辱する気か!」


「いいえ。心配しているんです。心から」


わたしは、もう一度礼をして、背を向けた。


その晩のうちに、わたしは父――ライゼンタール伯爵に呼び出された。


「みっともない真似をしてくれたな、エルナ」


書斎で、父は苦々しげに言った。継母が隣で、勝ち誇ったように口元をゆがめている。


「アーレンス家との縁が切れた以上、お前を屋敷に置いておく理由はない。ちょうどいい。北の辺境、グラウフェルトで徴税官の口が空いている。誰も行きたがらん、王国一の貧乏領地だ。お前にはお似合いだろう」


罰のつもりなのだ。華のない、数字をこねるだけの娘を、誰も帰ってこない辺境へ捨てる。


わたしは、机の上の手紙に目を落とした。グラウフェルト辺境伯領――万年赤字、税収乏しく、領民は逃散。中央からは「不毛の地」と切り捨てられた、北の果て。


(赤字の辺境。徴税官。……ずいぶんと、わたし向きの場所じゃない)


「結構です」


わたしは顔を上げた。


「謹んでお受けいたします。――辺境の帳簿の方が、よほど誠実でしょうから」


父が眉をひそめた。皮肉が伝わったのかどうかは、わからない。


その夜、わたしは荷物をまとめた。ドレスは二着だけ。残りはすべて、母の形見だった。


商家から伯爵家へ嫁いだ母ヨハンナは、わたしに「両建ての帳」を教えてくれた人だ。何を持っていて、何を負っているのか――その両面を、同じ重さで見なさい。それが、母の口癖だった。


形見の古びたそろばんを、わたしは胸に抱いた。玉のすり減った、けれど一つも狂わない、母のそろばん。


(華がない女、ね。上等だわ)


馬車が北へ向かって動き出す。窓の外を、王都の灯りが流れて、消えていく。


(もう二度と、価値がないなんて言わせない。わたしの価値は、わたしが数字で証明する)


赤字の辺境へ。


わたしの、最初の黒字化計画が始まる。


お読みいただき、ありがとうございます! 婚約破棄から始まる、ちょっと変わった令嬢の物語です。彼女の武器は剣でも魔法でもなく、そろばんと帳簿。次回、エルナはついに「王国一の赤字辺境」へ到着します。埃をかぶった帳簿の山と、無骨な辺境伯が待っていて……?


「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマーク・評価で応援していただけると、とても励みになります。明日も更新します。


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