第82話 戦争のあとで
十二月。真冬のルカリスには、乾いた冷気が流れていた。
街路の端には薄く雪が残り、勇者協会第77支部の窓ガラスにも白い霜が張りついている。
市場には商人の声が戻り、通りには子どもたちの笑い声がある。
城壁の上を見張る兵士たちの表情には、まだ緊張が残っているものの、一か月前のような混乱はない。
第三次ルカリス防衛戦争。
そう呼ばれるようになった戦いから、すでに一か月が経っていた。
勇者協会第77支部の受付奥で、メイは分厚い報告書の束を前にしていた。
「……ようやく、まとまりましたか」
彼女は小さく息を吐く。
机の上には、戦闘報告、負傷者名簿、死亡者名簿、行方不明者名簿、SP査定書、各パーティから提出された申告書、辺境軍からの共有資料が積み上がっている。
この一か月、支部は混乱の中にあった。
戻ってきた者たちの治療、死亡確認や遺族への連絡、損耗した装備の申請と生存者からの聞き取り。
そして、論功行賞の整理まで……やるべきことは山のようにあった。
戦争が終わっても、支部の仕事は終わらない。
むしろ、戦争のあとにこそ、やらなければならないことが山のように積み上がる。
メイは報告書の一枚目に視線を落とした。
結果から言えば、戦争は敗北。
勇者連合と辺境軍は前線基地を放棄し、ペイジまで撤退した。
多くの勇者と兵士を失い、敵の侵攻を完全に止めることはできなかった。
だが、それだけで片づけられる戦いでもない。
王の槍による敵陣地への奇襲と、各隊が戦場で粘ったことによって、魔族側の侵攻能力は大きく削がれた。
その結果、ハイポリオン家とゼフィード家によるルカリス本格侵攻は、少なくとも当面遅延したと見られている。実際、あれから魔族による大規模な侵攻はない。
ルカリスは、平和そのものだった。
――平和。
メイはその言葉を、心の中で反芻する。
平和というには、失われたものが多すぎる。
けれど、街の人々がいつも通りに朝を迎え、夜に家へ帰れるなら、それは確かに守られたものなのだろう。
メイは次の資料をめくった。
王の槍。Aランク2位で勇者連合の中核。
彼らは敵陣地を破壊したのち、壊滅。
そして、殿を務めたドミニク・ブールは、後日遺体が確認された。
銀の鎧は破損が激しく、身体も無数の傷を負っていたという。
彼が最後まで撤退部隊を追撃から守ったことは、多くの生存者の証言で一致していた。
続いて、古の指輪。
前線において、ハイポリオン家継承順位第3位、メルヴァ・ハイポリオンと交戦。
当初、メイはその戦闘を、前線最大級の衝突の一つとして記録していた。
だが、後の聞き取りで分かったことは少し違う。
あの戦いは、メルヴァがハイパーを食い止めるための時間稼ぎだった。
ハイパーが前線の別箇所へ動けば、人間側の反撃が成立する可能性があった。
だから、メルヴァは彼を引きつけ続けた。
結果、両者とも生存し、勝敗はついていない。
ただ、戦局全体で見れば、ハイパーを封じ込めた魔族側の判断は有効だったと言える。
メイは淡々と記録を確認する。
感情を入れすぎれば、作業が進まなくなる。
だから、できるだけ事務的に。
できるだけ正確に。
そう自分に言い聞かせる。
中衛の記録へ移る。
雨ノ御矢のミラ。
彼女は中衛の魔法使い部隊を率い、オファル・ハイポリオンの分身による魔弾攻撃の中で戦線を維持した。
その後、殿を務めたドミニクに代わり、全軍の撤退を実質的に指揮。
混乱した敗走を、組織的撤退に変えた功績は極めて大きい。
もし彼女がいなければ、ペイジまで戻れた人数はさらに減っていたはずだ。
そして、論功行賞。
戦争に参加し、生存したパーティには、大量のSPが割り振られた。
その中でも、明確な功績が認められたパーティには、別途追加SPが加算されている。
古の指輪は、Bランク1位からAランク15位へ。
雨ノ御矢は、Bランク2位からAランク12位へ。
王の槍が壊滅した今、辺境におけるトップの勇者パーティは、事実上、雨ノ御矢となった。
メイはランキング表に目を通す。
数字だけを見れば、辺境の勇者勢力は大きく変動したが、その数字の裏には、壊れたパーティがいくつもあった。
Cランク勢も、完全な壊滅こそ多くはない。
けれど、無傷で戻ってきた者などほとんどいなかった。
殿上命令。
Cランク4位だったそのパーティは、リーダーであるソーラのみが生存した。
他のメンバーは全員死亡。
ソーラ自身も、未だに復帰の目途は立っていない。
聞き取りの際、彼はほとんど何も話さなかったそうだ。
大地の根。
コルト率いるこのパーティに死亡者はいなかった。
しかし、コルト本人が大怪我を負い、右大腿部から下を失った。
傷口を塞いで止血し、生存を優先するために回復魔法で処置された。
結果、すでに接合部は閉じており、上級回復魔法でも繋ぎ直すことは不可能に。
本人は、正式に引退を申請している。
そして……。
メイの手が最後の資料で止まる。
――銀鍵同盟。
第三次ルカリス防衛戦争における功績は、極めて大きい。
前線での複数回の防衛貢献。
中衛におけるハイポリオン家継承順位第5位、パーム・ハイポリオンの討伐。
後方基地での治療天幕防衛。
そのほか、各隊からの証言多数。
結果、銀鍵同盟はCランク76位から、Cランク3位へ急上昇。
普通なら、支部中が沸くような大躍進だった。
Fランクから始まったパーティが、数か月でCランク3位。
しかも、戦争における幹部討伐という明確な実績まで持っている。
けれど、メイはそのランキング表を見ても、喜ぶことができなかった。
『Cランク3位 銀鍵同盟44,000SP』
ランキング表に記された数字は、確かに輝かしい。
だが、今の銀鍵同盟は、機能していない。
この一か月、窓口に来る銀鍵同盟のメンバーはカレンだけ。
少なくとも、以前の彼女らではなくなっていた。
メイは報告書の最後の欄へ視線を落とす。
行方不明者一覧。
その中に、彼の名前があった。
――レスター・セニール。
最終確認地点、前線基地後方補給路付近。
右腕欠損、腹部重傷。
撤退時、戦場に残置。
メイはペンを持ったまま、しばらく動けなかった。
彼の遺体はまだ見つかっていない。
その事実は、救いなのか。
それとも、より残酷な未確定なのか。
ただ、少なくとも公式には、彼の死亡はまだ確定していなかった。
メイは報告書の該当欄に、丁寧な字で記入する。
――レスター・セニール。現在も行方不明。
ペン先が止まる。
窓の外では、真冬のルカリスに雪が降り始めていた。
白い雪が、平和な街の屋根へ静かに積もっていく。
戦場の血も、焦げ跡も、悲鳴も、ここには届かない。
それでもメイは知っている。
戦争は終わっていない。
少なくとも、銀鍵同盟の中では。
あの日、戦場に置いてきたものは、まだ誰の手にも戻っていなかった。




