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第75話 銀鍵同盟、集結

「なんだ……これ」


 ゼストの声は、掠れていた。


 カレンも、隣で立ち尽くす。


「……嘘、でしょ」


 血に濡れた象牙色の装備。

 泥に塗れた足元。

 少し離れた地面に落ちた右腕。


 そこには、オーガ族長(ヘッド)の大剣に腹を貫かれたまま、力なく揺れるレスターの身体があった。


 ゼストの視界が揺れ、音が遠ざかる。

 戦場の轟音も、オーガの咆哮も、カレンの息遣いも。

 すべてが水の底に沈んだように聞こえなくなっていく。


 代わりに、別の光景が浮かんだ。


 胸を貫かれた、栗毛の少年――ピピ。


 あの時も、間に合わなかった。

 あの時も、目の前で大事なものが壊れていった。


 ゼストの呼吸が乱れる。

 息を吸おうとしても、胸が動かない。

 喉が詰まり、指先が震える。


 ロッドを握る手に力が入らない。


 ――動かなければ。


 今すぐレスターを助けなければならない。

 あのオーガを殺さなければならない。

 ヴァニラを守らなければならない。

 エリシアを呼ばなければならない。


 分かっているのに、身体が動かなかった。

 呼吸だけが浅く、速く、壊れたように繰り返される。


「……ピ、ピ……」


 自分の口から漏れた声に、ゼスト自身が気づかなかった。


 オーガ族長(ヘッド)が、大剣を引き抜く。

 レスターの身体が地面へ崩れ落ちる。


 それを見た瞬間、カレンの瞳から理性の色が消えた。


「うわああああああああ!」


 カレンが駆けた。

 紅椿(ベニツバキ)の刀身に、激しい炎が宿る。


「――爆火炎(バースト)!」


 オーガ族長(ヘッド)が反応する。

 大剣を構え、迎え撃とうとする。


「返せッ!」


 爆炎を纏った紅椿(ベニツバキ)が、大剣ごとオーガ族長(ヘッド)の腕を弾いた。


 カレンはその隙に懐へ入る。

 脇腹、太腿、喉元に赤い軌跡が走った。


 オーガ族長(ヘッド)が吠える。


 だが、カレンの剣は止まらない。


 膝を裂き、返す刃が胸を抉り、爆炎を乗せた突きが喉を貫いた。


 オーガ族長(ヘッド)の巨体が大きく揺れ、そして崩れ落ちる。

 倒れたオーガ族長(ヘッド)へ馬乗りになるように踏み込み、何度も紅椿(ベニツバキ)を突き立てる。


 何度も、何度も、何度も。

 もう動かない敵を、カレンは滅多刺しにし続けた。

 そのたびに血が飛び、肉が裂ける。


「なんで……どうして……あと少しだったのに……」


 カレンの膝から力が抜け、その場にへたり込む。

 紅椿(ベニツバキ)の切っ先が、泥の中へ落ちた。


「間に合わなかった……」


 レスターの右腕の切断面からは、血が流れている。

 腹部からも、止めどなく赤が広がっていた。


 ヴァニラは震える手で、目の前に仰向けになっているレスターの顔を覗き込んだ。


「レスター、くん――っ!」


 レスターの瞳は、虚ろだった。


 いつもの優しい光は、そこにはない。

 呼びかけても、返事はない。


「嘘……」


 ヴァニラの目から、大粒の涙が溢れる。


「こんなのって……」


 彼女は震える手で、レスターの頬に触れた。


 ――冷たい。


「こんなのってないよぉ……」

「――まだです!」


 鋭い声が響いた。


 エリシアが、ヴァニラにぶつかる勢いでレスターの隣へ膝をつく。

 泥も血も気にせず、腹部へ両手をかざした。


「エリシア……ちゃん?」


 ヴァニラが涙に濡れた顔を上げる。


 エリシアの表情は、青ざめていた。

 だが、その瞳だけは揺れていない。


「諦めてはなりません」


 その手のひらに、光が灯る。


「レスターさんは、まだ生きています」


 その言葉に、ヴァニラの瞳が揺れた。


「まだ……?」

「はい」


 エリシアは腹部へ手をかざしたまま、魔力を注ぎ込む。


「――命癒光(ライフヒール)!」


 金色の光がレスターの腹部を包む。


「うん……」


 ヴァニラは涙を拭った。


「うん、そうだよね」


 震えながらも、必死に頷く。


「エリシアちゃん、何か私にもできることあるかな」

「右腕を、ベルトか何かで縛って止血してください」

「わ、分かった!」


 ヴァニラは慌てて自分の腰のベルトを外した。


 手が震えて上手く動かない。

 涙で視界が滲む。

 それでも、レスターの右肩に残った切断面の近くを縛ろうとする。


「ごめんね、レスターくん……痛いよね……ごめんね……!」

「強くです!」

「うんっ!」


 ヴァニラは歯を食いしばり、ベルトを強く締める。

 すると、出血の勢いが少しだけ鈍った。


 エリシアは腹部の治療を続けながら、周囲を見た。


 ゼストが、少し離れた場所で地面にうずくまっている。

 肩が小刻みに震え、呼吸が乱れている。

 ロッドを握った手は地面についているが、立ち上がる気配がない。


 ただの動揺ではない。

 明らかにおかしい。

 今のゼストには、声が届かないかもしれない。


 エリシアは視線を動かす。


 カレンはへたり込んでいる。

 顔は真っ青で、まだ半分放心しているが、ゼストよりは聞こえるはずだ。


「カレンさん!」


 エリシアが叫ぶ。


「しっかりしてください!」

「――っ!」


 カレンの肩が跳ねる。


 エリシアは治療の手を止めないまま、強く言った。


「ゼストさまをお願いします!」

「ゼストを……?」

「はい! それと、周囲の警戒も!」


 カレンは一瞬、ぼんやりとゼストを見た。


 地面に手をつき、まともに呼吸できていないゼスト。

 その姿に、ようやく自分の中の何かが戻ってくる。


 今、自分まで壊れている場合ではない。

 レスターを助けようとしているエリシアがいる。

 泣きながら止血しているヴァニラがいる。


 なら、自分は動かなければならない。


「分かった!」


 カレンは紅椿(ベニツバキ)を拾い、震える足で立ち上がった。


 そして、ゼストの方へ駆け寄る。


「ゼスト!」


 返事はない。


 ゼストは荒い呼吸を繰り返し、目の焦点が合っていなかった。


「ゼスト、聞こえる!?」

「……っ、は……はっ……」


 カレンは唇を噛む。

 どうすればいいのか分からない。

 それでも、彼の肩を掴み、できるだけ強く声をかける。


「レスターはまだ生きてる! エリシアが治してる!」


 ゼストの指が、かすかに動いた。


「まだ……?」

「そうよ! まだ終わってない!」


 カレンは叫ぶ。


「だから戻ってきなさい! あんたがそこで止まってたら、私たち全員終わるわよ!」


 ゼストの呼吸はまだ荒いが、ほんの少しだけ目に光が戻る。


 カレンは彼の肩から手を離し、周囲を睨んだ。


 まだ敵は残っている。

 今この場でレスターの治療を邪魔されたら、本当に終わりだ。


「近づかせない……!」


 カレンが紅椿(ベニツバキ)を構える。


 そんな二人の様子を確認し、エリシアは両手にさらに魔力を込めた。


 腹部の傷は深く、出血もひどい。

 右腕も接合するなら、一刻も早く処置しなければならない。


 魔力も、体力も、限界が近い。

 それでも、彼女は止まらない。


「……間に合わせます」


 エリシアの声が、震える。


 だが、次の瞬間には強くなった。


「絶対に!」


 金色の癒光が、レスターの身体を包み込む。


 ヴァニラは泣きながら止血を続ける。


 カレンは紅椿(ベニツバキ)を構え、周囲を睨む。


 ゼストは地面に手をついたまま、必死に呼吸を取り戻そうとしている。


 銀鍵同盟は、ようやく集結した。

 だがその中心で、レスターの命は消えかけた灯火のように揺れていた。

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