[22] 学園に行こう5
学食は、当時とほとんど変わっていなかった。
食券を買うシステムで、日替わりのA、B、Cか、カレー、ラーメン、うどんのどれかからか選ぶ。
値段は良心的だが、麺類はハズレともっぱらの評判だった。たまにやる味噌ラーメンフェア、などでなければ、麺類のコーナーに並ぶ生徒は少ない。
逆に、さっさと食べて済ませたい生徒は麺類に並ぶのが昔からの不文律だった。
少し出遅れた俺たちは、とりあえず席の確保と食券の購入の班に分かれた。
「はい、お兄ちゃん。A定食の食券だよ」
「すまん、林檎。この借りは、お兄ちゃんのキスで返してやろう。んー」
「もー、お兄ちゃん恥ずかしいよー」
「林檎に寄るな、この変態!」
ぐーで思いっきりぶたれた。
だが、異世界で習得した防御魔法が自動的に発動し、一切の痛みはない。
「痛っ、な、なに、今の? 凄く、硬い物に当たったような……」
「すまん、杏。防御魔法が発動してしまった。パッシブで発動するようにしてあるから、気をつけてくれ」
「気をつけるって」
赤くなった杏の手に、そっと手のひらをかざす。
異世界で何度となく繰り返した魔法が発動し、即座に杏の手の赤みが引いていった。
「あ、あれ、痛くなくなった……?」
「治癒魔法は苦手なんだけどな。リリミィが使ってくれてたし」
お姫様だけあってか、リリミィはアークプリーストとして、最上位の力を持っていた。
アンデッド系の敵と戦う時も、リリミィの力は絶大な効力を発揮していた。
もっとも、その前に俺が隕石を降らせて根城ごと吹き飛ばしたら、何故だか不機嫌そうな顔をしていたが。
「この味は変わらないなー」
「そうなの?」
「ああ。メニューも大体同じだし」
とんかつ定食をぱくつきながら、その味に懐かしさを覚える。
日替わり定食は、値段の割に、とても美味しいと評判だった。食欲旺盛な生徒の中には、同時に二つの定食を頼むヤツがいたほどだ。
「お兄ちゃん、自慢してたもんね。学食が美味しいって。ずっとそれ覚えてたから、学園に入った時は嬉しかったなー」
マーボー茄子定食をぱくぱくしながら、林檎が満面の笑みを浮かべる。
一方、杏は素うどんを美味しくなさそうにすすっていた。さっさとこの場から立ち去りたい、と全身からオーラを発している。
「杏はそれで足りるのか? 兄ちゃんのカツ一切れやろうか?」
「……いらないわよ。あ、ちょ、こら、勝手に載せないでってば!」
「いっぱい喰わないと、兄ちゃんのように大きくなれないぞー」
「なりたくないわよ! ちょっと、やめなさいよ!?」
強引にとんかつを一切れ乗せてやる。
これで、とんかつうどんの完成だ。杏が物凄く嫌そうな顔をしているのを除けば、完璧だろう。
「むー、杏ばっかりずるい。お兄ちゃん、私には?」
「じゃあ林檎には、この杏仁豆腐をやろう」
「わーい!」
「あんたも大概安い女よね……」
ふやける前にとんかつを食べ、杏が息をつく。
「それで、何であんたが林檎のクラスに転入してんのよ」
「そりゃもちろん、学園に通いたいからだ」
「そうじゃなくて、どうやってやったのよ? もしかして、まだ学籍が残ってたの?」
「いんや。なかったから、魔法で作った」
呆れたような、不審がるような、そのどちらとも言えない表情で杏は俺を見てくる。
「……本当に、何でもできるのね」
「そうでもないぞ。制約も多いから、望んだことが何でもできるわけじゃない」
リリミィがよく言っていたが、魔法は結局のところ、自然の摂理に介入しているだけである。
その摂理に反しようとすればするほど、大きな魔力が必要になるし、反動も大きなものになる。
だから、やたらめったら魔法を使うと、自分の首を絞めることになると、口酸っぱく言われていた。
「その魔法とやらで、七年前に帰ればいいんじゃないの?」
「それができれば一番なんだろうが。残念ながら、時間を操る魔法は習っていないんだ」
空間を司る魔法は、少しだけだが習得している。
しかし、時間を操作する魔法を扱える者は、あの世界にですらいなかった。それはそうだろう。時間を意のままに操れるとしたら、そいつはもはや無敵に近い。
「お兄ちゃん、どこか行っちゃうの……?」
うるうるとした目で、林檎が俺を見上げてくる。
そんな悲しそうな顔をするな、妹よ。ついつい、抱き締めたくなってしまうじゃないか。
「どこにも行くわけないだろ? 林檎の隣が、俺のいる場所なんだからな」
「お兄ちゃん……!」
「……キモ」
間逆の反応が返ってくる。
杏はツンデレさんなのか、と聞いたらぶたれた。防御魔法が発動した。手が痛そうにしているから治癒してやった。
なんてことをしている間に、三人とも食べ終わった。
「ごちそーさん」
「ごちそうさまでした」
「……ごちそうさま」
久しぶりの学食の味は、やはり素晴らしいものだった。
食べ物の味に関しては、正直、異世界はロクなもんじゃなかったからな。
肉は焼くだけ、魚も焼くだけ、野菜も焼くだけ。
とりあえず火を通せばオーケーでしょ、的な発想をしていたので、一度、料理を作ってやったらえらくリリミィに感動されたことがある。
お前お姫様じゃないのか、と呆れたら、昔はもっとまともなものを食べていたらしいが、魔王が表れてからというもの、ロクなものを口にしていなかったらしい。
そんな余裕がなかったからだ。
そういう意味では、こっちの世界は平和でいい。寝ている間に、ウォーウルフに囲まれている、なんてこともないからな。
「お、お兄ちゃん、どこ行くの?」
「? どこって、トイレだけど」
食器を下げてからお花を摘みに行こうかと思ったら、妙に焦った様子で林檎が呼び止めてきた。
「そ、そっか。ごめんさい、何でもないから」
恥ずかしそうにそう言って、ぱたぱたと走っていく。何だ? 何か用事があったのか?
「……? どうしたんだ、林檎の奴?」
「……わからないの?」
「何が?」
「わからないなら、いい。わたしも教室戻るから」
ぷい、と顔を背けた杏も、踵を返してしまう。
反対側に去る妹の背中をそれぞれ見送りながら、俺は少しだけ、昔のことを思い出していた。




