眠りし刻と愛の証明#24
大したことはありませんが、今回、次回とショッキングな描写がございます。苦手な方はご注意くださいませ。
「ごめん、ありがと」
「構いませんよ。それはそうと――」
ナナオをおぶってラウンジへと向かったトキヤ。ソファの上にナナオを下ろすと、自分は向かい側に腰を下ろした。
ラウンジにはトキヤとナナオ以外には誰も居ない。親族たちはそれぞれバラバラに行動しているし、使用人達は荒れたホールの片付けに奔走している。
去り際に捕まえたカヤノの話では、平行して夕食の準備が行われているようだ。ホールに用意されていた料理の数々はミツヒコが台無しにしてしまったため、あの場に居た誰もが食事を摂り損ねている。トキヤも会が終わってみれば空腹を感じたが、他の人間が食事をするような気分になるかどうかは不明だ。
「いったいどうしたというんです? ずいぶんと辛そうでしたが」
他にも気にすることはいくらでもあるが、まずは従妹のことだ。トキヤがそう訊ねると、ナナオはため息を付きながらかぶりを振る。
「それが、アタシにもよくわからないんだよねえ。……ほら、親族会で当主の代わりに話していたおじいさんが居たでしょ?」
「ボクたちがこの屋敷に到着した時、出迎えてくれた使用人の方ですか」
「そう、その人。……あの時、喋ってるあの人と目が合ったところまではハッキリと覚えてるんだけどね。気がついたら胸がムカムカしてきて、息が苦しくなって。それからのことはよく覚えてないんだよ」
「――目が、合った?」
「うん、それが原因だとは思いたくないけど、あの人と目が合った瞬間、頭がグラっと来たようなきがするんだよね。……ああ、ごめん。アタシ変なこと言ってるよね。昨日夜更かししたのがいけなかったかな」
参ったね、と苦笑するナナオ。少なくとも体調は回復してきているようだし、他に異常があるようには見受けられない。しかし、トキヤは「目が合った」という言葉に対して不安を覚えていた。
……つい最近、自分自身が似たような目に合っているからである。
しかし、相手は確実に「人間」のはずだ。トキヤの時とは違う。
トキヤもトキヤで件の男性使用人のことを観察していたが、少なくとも彼が以前に出くわした「異神」のような存在でないことだけには確信が持てた。
異神と対峙した時のことはよく覚えている。あの尋常ならざる気配は、人間には到底出し得ないものだ。……それがたとえ、どんなに魔術の深淵に身を浸している狂人であったとしても、だ。
(……考えられるとしたら、それだ)
魔術師。
トキヤには知識がないが、ソフィアに尋ねれば瞳術の類があると確認できるかもしれない。普通の人間にはただ目が合っただけで体調を崩させるようなことは出来ないだろうが、「普通」でないならば話は別だ。
問題は仮に使用人の男性が魔術師だったとして、どうしてナナオに魔術のたぐいを施さねばならなかったのか、だ。
魔術は常に、魔術師の恣意によって振るわれる。常人からすれば狂人など理不尽の塊のようなものであるが、彼らは彼らなりの理性で以って行動しているのだ。ただ無為に魔術を扱うとは考えにくい。
どのような意図で、そのような術で、どのような影響を及ぼしたのか。
それを突き止めることができれば、彼の男の正体に迫ることが出来るかもしれない。
(餅は餅屋、か)
あとでソフィアに色々訊ねてみることにしよう。そう心に決めて、話を先に進めることにする。
「ともあれ、体調には気をつけてください。無理をされて倒れられたのでは、ボクが怒られてしまいます」
「ハハ、ごめんごめん。今度は具合悪くなったら早めに言うからさあ。……ところで、ホントに"荒れた"ね。親族会」
「……ええ」
トキヤはコウジの「今回の親族会は荒れる」という言葉を思い起こしていた。
ここに居ないはずのコウジは、まるでミオが次期当主に抜擢され、ミツヒコが暴れだす未来を予見していたかのようだ。事実トキヤが居なければ、おそらくタイキは殴られ、場合によってはミオにも危害が加えられていた可能性もある。そうなれば場の空気はそれこそ取り返しのつかないことになっていただろう。
しかし、トキヤには未だコウジの意図が掴めずに居た。
確かに、自分が役割の"一端"を果たした感覚はある。だが、それだけだとは到底思えない。
親しい友人であるから、という理由を抜きにしても「君が適任だ」と言い切った理由。それがどこにあるのか、未だ見えてくる気配がないのである。
(まだ終わってない。……いや、もしかしたら始まってすらいないのか)
少なくとも今のところは、自分の存在で「何か」が変わった、あるいは「何か」を食い止めることが出来た、とは思えない。ターニング・ポイントは親族会であろうとほぼ確信していたトキヤは、再び自身の混迷を感じる羽目になった。
「ですが、これでボクの役目が終わり、というワケにもいかないでしょうね」
「そうだねえ。なんだかもう一悶着くらいは起こりそうな雰囲気だもんね。明日帰るまでは気を抜けないよ」
ナナオはトキヤほど深刻に事態を捉えているわけではないようだ。実際のところ、親族会での異常はミツヒコが少しばかり暴れた程度のことなので、ごく常識的な視線からは、よっぽどトキヤが警戒し過ぎなだけのように映るだろう。
ナナオは行動力があり、トキヤにない大胆さもある。完全な情報共有が出来ないことは悔やまれるが、トキヤは周りの人間を積極的に「こちら側」に引っ張り込むつもりはないのだ。常識では捉えきれない要素を警戒するのは、今回の場合トキヤ一人の役目である。
(……時間の問題もある。今後は無駄な行動は控えるようにしなければ)
大きな事態が起こっていない以上、タイム・リミットは明日である。最悪村の方面は屋敷を出てからでも調べることができるが、一度出てしまえば屋敷に戻る理由はないし、シュトへと帰り着いてしまえばトキヤへ課せられた役目は「完了」となる。
ソフィアの言う通り、この屋敷に魔術的事象が関与しているのだとしても、極力関わらないようにすれば知らないふりを突き通すことは出来るはず。そうやって何もかもから目を背け、表面的な役目を追えることはそれほど難しくはない。だが、やはり何かが引っかかる。
――果たしてこのままにしてよいものか、と。
ここに至るまでの間、この屋敷と親族会に秘められた「真実」を見つめるトキヤのスタンスは、二転三転している。
当初はコウジの裏の意図を汲むためにある程度屋敷内の実情を把握しておかなければならないと感じていたのが、今ではこの屋敷全体の「秘密」をそのまま放置しておいて、悪いことに繋がらないだろうか? というような、ある種の焦燥感すら覚える始末だ。
きっかけは、言わずもがなソフィアの言葉だろう。
ソフィアの言葉も絶対ではない。しかし、少なくとも彼女は所有者であるトキヤの問いかけに嘘で答えることは出来ない。彼女が魔術の気配を感じたのも、もしかしたら得体のしれないモノがかかわっているかもしれないと忠告してきたのも、事実はどうあれ本当にそう感じたからこそのことだ。
(――コウジはどこまで知っているのだろうか)
もしも、彼がこの屋敷に関して"ソフィアよりも多くのことを知覚している"としたら。そんな想像が脳裏をよぎり、背筋が寒くなる。仮にそうだとして、コウジはトキヤがこの屋敷の実態を暴こうとしていることを望んでいるのか、それとも――。
(……やめよう。ここに居ない人間のことを考えても仕方がない)
この日何度目になるか。姿を消した親友の思惑を知りたいと願いつつ、思考を断ち切る。
何がもっとも冴えたやり方なのか。トキヤにはわからない。
自分やナナオの身を一番に按ずるのなら、大きな不都合からは目をそらすことも必要になるだろう。
しかし、トキヤのもっとも個人的な部分での回答は、すでに決まりきっていた。最終的に判断を下すのは自分である。――それが間違いであろうと、なかろうと。今度は大切な場面を他人に任せてはいけない。密かな決心が、トキヤのなかで固まりつつあった。
「ともあれ、今後何か問題が起こるとすれば、ミオさんの身辺周辺でしょうね」
「あー、本人もまさか! って感じだったしね。全然納得いってない人も居たみたいだし」
「……ミツヒコさんですね。さすがにあれ以上のことをしでかすとは思いたくありませんが、コウジの依頼のこともあります。ボクは一度、ミオさんの様子を見に行こうと思っているのですが」
たった今話題に登ったミオは、タイキに連れられて自室待機中である。思いもしなかったことの連続で、心労が募ったのだろう。タイキに腕を惹かれて歩くさまは、いかにも頼りがなさ気だった。
「確か、ミオさんの部屋はこっちの棟にあったよね?」
「ええ、二階の左手側、奥から二番目だったと記憶しています。――あなたはどうしますか? もしもまだ体調が優れないのでしたら、先に部屋に戻ってもらっても構わないのですが」
「ううん、大丈夫。もうだいぶ楽になったから、いっしょに行くよ。アタシが一緒に居たほうが話もしやすいでしょ?」
そう言って笑うナナオの顔色は、すでに平常のものへと戻っていた。声にも張りが戻っており、先程以上の影響は出ないと見ても良さそうだ。
「そうですか。それでは、いっしょに行くことにしましょう。最悪直接会うことが出来なくても、タイキさんに様子を聞くことくらいは出来そうですしね」
互いに頷き合い、立ち上がる。ナナオのおぼつかなかった足取りも、しっかりとしたものへと戻っている。
ラウンジの外へと出ると、ちょうどラウンジの出入口から見て右手側―― 中央棟のほうから、突如として男性の叫び声が聞こえてきた。
「――ッ!?」
二人同時に、叫び声のした方向を振り向く。耳に飛び込んできた叫び声は切羽詰まった響きであったが、距離はずいぶんと離れているようだ。音量は小さい。
トキヤはナナオと一瞬だけ視線を交わすと、迷わず叫び声のしたほうへと駈け出した。ナナオはそれに、大股二歩ほどの感覚を空けて追従する。
中央棟へと駆け戻ると、ちょうど二階の多目的ホールからソウイチが飛び出してくる姿が見えた。慌てた様子で周囲を見回しているソウイチに向けて、トキヤが声を張り上げた。
「ソウイチさん! いったい何が!」
トキヤの姿を認めたソウイチ。怒鳴り返してくる。
「わからん! 三階から―― 今のはミツヒコの声だ!」
言うや、三階へ続く階段めがけて走りだす。トキヤもそれを追った。
ソウイチに遅れること三十秒ほどか。三階へとたどり着いたトキヤは、廊下の壁にもたれて座り込んでいる歳若い女性使用人と、その前に屈みこんでいるソウイチの姿を見た。
「何かあったのですか?」
近寄り訊ねれば、ソウイチが腰を上げながら答える。
「……ここにミツヒコが来たらしい。どうしてもさっきの内容に納得がいかなかったらしくてな。オヤジと直接話がしたかったみてぇだ」
「それで、ミツヒコさんは?」
「この先だ。見張りの当番だったこの女が止めたみてぇなんだが、強引に突き飛ばして中に入っていったらしくてな」
ソウイチが顎で示す先には、ひとつの扉がある。どうやらソウイチがいつか言っていたように、この先は本来親族でも容易に立ち入ることが出来ない領域のようだ。呆れた様子でかぶりをふるソウイチに、トキヤはさらに問いかけた。
「彼女は大丈夫なんですか?」
「軽く尻を打ったくらいみたいだな。まぁ、ミツヒコのヤツの叫び声にビビっちまって、腰が抜けちまったらしいがよ」
「そうですか、それは良かった。――ナナオ」
「うん?」
トキヤは背後に立つナナオを振り返り、小声で命ずる。
「大事ないでしょうが、彼女のことを頼みます。この先には、ボクだけで行ってきますので」
「え、でも」
「お願いします。……こう言ってはなんですが、あまりいい予感がしないんです」
この先には、当主の個人スペースがあるはずだ。そこに入り込んでいったミツヒコの悲鳴。
トキヤの脳裏を真っ先に過ったのは、あの胡乱な使用人の男性だった。魔術師の疑いがある彼のことを意識すれば、ここはトキヤ一人で行くのが得策である。魔術を近くできないナナオやソウイチと一緒に行動するのは危険だ。
「……ん、わかった。気をつけて」
しぶしぶといった様子で頷くナナオ。トキヤは次にソウイチを説得しようと視線を向けるが、彼はすでに目前の扉に手をかけていた。そのまま迷いなく扉を押し開ける。
「ッ、待ってください!」
トキヤの静止は届かない。そもそも、この先の領域になみなみならぬ危機感を覚えているのは、トキヤ一人だけだった。ソウイチは悲鳴には驚いたものの、それほど深刻な事態が起こっているとは考えていない。それはここについてからのソウイチの落ち着き用から、うかがい知ることが出来た。
まごついているわけにもいかず、トキヤはソウイチの後を追って扉の向こうへと歩を進める。
扉を抜けた先には壁があり、そこから左手側に廊下が伸びている。その突き当りに、ミツヒコが居た。彼は自分が突き飛ばした女性使用人と同じように尻餅をつき、トキヤたちからは死角となっている方を見つめたままガタガタと小刻みに震えている。
その様子を目の当たりにしたソウイチの眼差しが、呆れを含んだものから一点険しい物へと変わる。素人目でもミツヒコの怯えようは尋常ではない、と理解できたのだ。
すぐさまミツヒコに駆け寄る二人。ソウイチは滑りこむようにして膝をつくと、ミツヒコの肩を掴んで揺すった。
「おい、しっかりしやがれ! 何があった!?」
ソウイチの問いかけに、ミツヒコは酸素を求める魚のようにぱくぱくと意味もなく口元を戦慄かせ、廊下の先を震える指で示す。
ミツヒコの指し示す方向を目で追った二人。言葉を失った。
そこに在った、否、横たわっていたのは―― 首筋を切り裂かれ、大量の血にまみれて絶命している、シロウであった。




