眠りし刻と愛の証明#25
表記ミスを発見しましたので、修正しています。
#12 ソウイチのセリフ 「オヤジの部屋」→「オヤジの仕事部屋」
それより前にカヤノさんが「当主の私室は西棟にある」と述べているので、わりと重大なミスでした。申し訳ありません。
「ッ、これは……?」
ソウイチのかすれた呟きが、トキヤの時間を動かす。
シロウの体はトキヤたちの位置から二十メートル以上離れた場所にあり、そこから眺めていたのでは詳しいことはわからない。しかし、シロウの首がばっくりと開き、今もなお大量の血を吐き出し続けている様子はハッキリと目視できた。出血量からしても、到底生きているようには思えない。
ミツヒコは相も変わらず腰を抜かしていて要領を得ないし、さしものソウイチも顔を青ざめさせて動けなくなっている。
動けずに居るのはトキヤも同じだった。商売柄犯罪に係るようなことは数度あったが、ここまで無残な死体と対面するのは初めてのことである。生理的な恐怖と嫌悪感で、体感温度がぐっと下がる。
間接的に感じる人の死も恐ろしいが、実際に目にする死もまた、恐ろしい。
当然のことだ。あんなものを見て心を乱さないほうがおかしい。
何が起こっていても自分ならば冷静に対処できると思い込んでいた自分を苦々しく思いながら、トキヤはためらいがちに一歩二歩と死体に向かって近づいていく。背中にソウイチの視線を感じたが、止められるわけでもなかった。
走れば三秒とかからない距離をじりじりと詰め、ようやくシロウの元へと辿り着く。
シロウは三階に二部屋だけ存在する部屋のうち、奥まった位置にあるほうの部屋の扉の前で倒れていた。ちょうど部屋の中に入ろうとしていたような具合である。
(……となると、部屋の中で何かがあったか?)
そうアタリをつけつつ、緊張の面持ちで扉を見つめる。当然扉は何も答えない。
試しに扉に耳を当て、内部の気配を探るが―― 人の気配はない。
部屋を改めるのは後回しにして、シロウへと視線を向ける。間近で目にすれば目にするほど痛々しい。
元々青白かった顔色はすっかり生命の色を失っており、それに反して流れ出る血液は生々しく色づき、その物言わぬ躯が少し前まで生きていたのだと物語る。
飛び出さんばかりに向かれた瞳。歪んだ口元が表しているのは、驚きか戸惑いか。いずれにしろ、彼が死の間際に何か衝撃的なものを目にしたのは明らかと思えるほど、その表情は劇的なものであった。
トキヤはなるべく状況を変えぬように、身長な手つきでシロウの遺体を調べ始めた。
探偵のトキヤには、捜査権があるわけではない。本当ならこのような事態に遭遇した時点で警察組織に通報するのが筋だが、今は少しでもこの状況の経緯を知るための情報が欲しかった。
脈は―― 当然失われている。詳しいことは分からないが、死因は首の傷と見て間違いはなかろう。ぱっくりと開いた傷口は鋭利な刃物によるものであり、他に外傷は一切見受けられない。
(これは手馴れているな。……いや、そんなものじゃないな)
遺体には移動した形跡は見受けられない。状況からして、シロウは部屋の中に潜んでいた何者かによって攻撃され、為す術なく絶命したのだと考えるのが妥当だ。
少なくとも、シロウはこの部屋の中に誰かが潜んでいるとは思っていなかったのだろう。もしも何かを予期していたならば、遺体の状況は変わっていたはずだ。
問題はシロウを殺害した何者かのほうである。犯人はシロウの来訪を予想していたのかしていなかったのか。どちらにしても、驚いた隙があったとはいえ抵抗する暇も与えず、人間の喉をほぼ水平に、横一文字に切り裂く技倆。「手馴れている」どころか「その手の技術」を専門としているとしか思えないほど鮮やかな腕だ。
(……一体何が起こっているんだ)
もう一度緊張の面持ちで扉を見つめる。
この中には人の気配はない。短距離ならばほぼ隔日に人の気配をさぐれるトキヤのことだ。自身が導き出した情報には自信があったが、それでも不安が募る。
いったいシロウは何を見、何故に殺されたのか。この扉の向こうには、いったい何が。
シロウを調べ終え、できうる限り状態を保存してから、トキヤは扉に手をかける。ちらりと視線を走らせれば、ソウイチは黙ってトキヤの様子を見守っていた。
「……ソウチイさん、申し訳ありませんが、ミツヒコさんをこの場から釣れだしてはくれませんか!」
声を投げかけると、ソウイチはわずかに反応した。
「ショックを受けている様子ですから。見えないところまで連れて行って上げてください。ボクはこの先を、検めます」
ソウイチは少し迷ったような素振りをみせたが、やがて頷くと、へたり込むミツヒコを引きずるようにして、廊下の死角へと消えていった。
それを見届けてから、トキヤは扉にかけた手に力を込める。
やたら滅多にぴったりと縁に嵌り込み、内部を密閉するかのごとく精緻に作られた扉が、軋ることなくするりと開く。トキヤをいの一番に迎えたのは、廊下を上回る血生臭さ。思わず眉根を潜めるトキヤ。
室内の窓は開け放たれており、外の風が吹き込んでくる。それでもなお漂う鉄臭さは、無論気のせいなどではない。豪奢で趣きのある執務室といった風情のその場所には、シロウの他に新たな死体がふたつ転がっていた。
そのひとつに、トキヤは見覚えがある。
先ほどホールに現れた、トウジロウ・トキワその人だ。車いすから崩れ落ちて床に倒れ伏す彼が形作る血だまりは、シロウのものと比べても相当にどす黒い。死因はシロウと同じく、喉を一閃されたことによるもの。
そしてもうひとつ。給仕服を身にまとったその女性の姿を、トキヤは屋敷の中で見かけた覚えがなかった。年の頃は四十か五十か。歳相応の範疇では美女と言える顔の作りをしているが、苦しみに歪んだ表情は醜い。彼女もやはり喉を一閃されて殺害されていたが、他とは違い腕などに数カ所、いたずらに切り裂かれたような跡が見受けられた。
(……察するに、この女性が「メイド長」か)
トキヤはこみ上げてくるものを押さえつけるように息を止めつつ、部屋を見回す。
ざっと見た限りわかることといえば、「荒らされている」ということだけだ。室内はさながら空き巣にでも入られたかのように、様々なものがひっくり返され、中身がぶちまけられている。
一番悲惨なのは書棚で、地震にでも見舞われたのかと錯覚してしまうほどだ。その中身のほとんどが引きずり出され、床に山と積み上げられている。
何かをカモフラージュする意図かもしれないと疑ってみるも、それにしては荒らした当人の志向性が垣間見える。書物か、書類か。探していたのはその類だろう。
「……ここが、ソウイチさんの言っていた、当主の執務室といったところか……」
当主の私室は、他の親族と同じく西棟にあるとカヤノが言っていた。
中央棟には当主のために誂えられたと思しき蒸気稼動式の昇降機が備え付けられているが、それにしてもいちいち移動するには面倒な距離である。おそらく代々使われてきた場所なのだろうが、生活圏とあまりに離れた場所にこういった部屋が存在することには違和感を感じる。だが、この場所に当主や側仕えのメイド長らしき死体が存在する以上、ここが執務室絵あることは確かなようだ。
(――それはそうと、あの男性使用人はどこへ行った?)
もう一度室内に視線を走らせてみても、あの老年の男性使用人の姿は見えない。当然、それらしき死体もなかった。当主をホールから連れ出したのは、彼だ。なんの関わりもないとは判断できない。
そもそも、状況がおかしい。なんとも不自然なことばかりが起こっているような気がして、トキヤはひとり首を傾げた。……例えばこの惨状を引き起こしたのが件の男性使用人だとしても、その行動には謎が残るのである。少なくともシロウを含めたこの部屋の有り様は、ひとりの人物が"ひとつの目的を持って行動していた結果に引き起こされたもの"だとは思えなかった。
(……いったいなんなんだ? この屋敷で一体何が起こっている?)
再び混迷の霧が立ち込める。だが、この場所で立ち尽くしたままでは居られない。現場の情報を得る機会は、今を逃せば失われてしまう。
わからないことばかりで鬱々とした気分を撫で付けながら、トキヤは再び部屋を調べ始める。その結果わかったことは、以下のことであった。
――ひとつ。当主の指輪がなくなっていること。
指輪といえば、トキワ家の家長の証たるものと思しき、紫水晶が嵌め込まれた金のリングである。ホールで見かけた時には当主の指にはまっていたものだが、床に転がされた死体の指にはそれが存在しなかった。おそらくは、持ち去られたのだろう。
――ふたつ。部屋の侵入経路及び脱出経路は、トキヤが入ってきた扉以外には実質存在しないということ。窓は開け放たれているし人が通るには十分な大きさだが、この部屋があるのは三階。下には足がかりになるようなものはなく、クッションになるようなものもない。考え得る手段を用いれば侵入も脱出も可能であろうが、何か仕掛けが施された痕跡は見受けられなかった。
しかし、正直に扉から部屋の外に出たとしても、逃げられる場所は限られている。
三階にはこの部屋の他には施錠された大部屋がひとつと、さらに上へと続く階段がひとつばかり。
このうち大部屋の鍵は当主の死体の持ち物の中に含まれており、念のため軽く室内を検めてみたものの、そこが「資料室」だとわかっただけで人気はなかった。
さらに上階へと続く階段のほうは、外から見えた時計塔へと続くものだった。こちらも調べてみたところ、機構室へと繋がる扉が施錠されており、鍵は当主の持ち物には含まれず、部屋を探ってみても見当たらなかった。部屋の外から音や気配を探るも、空振りである。人の気配はなく、そもそも機構が稼働している様子もない。鍵がなくなっている以上、逃げ込んだ先としては最有力候補のように思えるが、施錠に使われているのはいかにも頑丈そうな南京錠であった。外から開けられた形跡が見られなかったため、中に人が入り込んだとは考えにくい。
残るはナナオが待機している廊下伝いの経路だが、こちらは見張りが常に立っている。人の目を避ける事は不可能だ。
(これは―― 半密室状態だな)
あくまでも尋常な思考で捉えるならば、だが。
あらかた調査をし終えたトキヤは、表情を歪めたままナナオが待機している場所へと戻った。
トキヤが顔を見せると、あからさまに安堵した様子のナナオが駆け寄ってくる。周囲には調子を取り戻したらしい見張りの使用人と、未だ立ち上がれないのかぐったりとしているミツヒコ。それに黙って付き添っているソウイチが居た。
「よかった、帰ってきて。長い間戻ってこないもんだから、心配したよ」
「すみません、色々と調べまわっていたものですから」
「……それで、何があった?」
訊ねてきたのは、ソウイチだ。トキヤはソウイチに視線を向けると、
「――シロウさんのほかに、御当主とメイド長と思しき女性が中で死んでいました」
「バカな――」
シロウだけではなく、父や顔見知りであるというメイド長までもが。
トキヤの口から語られた現実に、ソウイチは言葉をなくす。ナナオや使用人も、衝撃に顔を青くしたり狼狽えたりと、その場は騒然となった。
「……お静かに。このようなことが起こってしまった以上、致し方ありません。すぐにでも警官を呼んで――」
「そいつは無理だな。ここはとびきりの田舎だぜ? 呼んで来る警官なんて居やしねぇ。本格的に呼びこむってンなら、駅に行って打電しなけりゃなんねえな。……それで警官がこっちまで派遣されてくるかどうかはわからねぇが」
現状、大規模な警察組織が存在しているのはシュト市のみである。
他の要所にも徐々に幹部が派遣され支部ができ、体制は整いつつあるものの、地方にまではその手が及んでいないことは確かである。未だ母体と呼べるのはシュトの中心部に存在する市警本部のみであり、権限もそこに集中している。最近になってようやくまとまりを見せた警察組織には、人員も支部との連携のノウハウも不十分なのだ。
もしここに警官を派遣してもらうように頼むならば、ソウイチの言う通りシュトの市警本部に連絡を取らなければならない。しかし、連絡がとれても人員が割かれるとは限らないし、到着するまでにも相当時間がかかると予想された。悠長に警官の到着を待っていたのでは、あらゆる手がかりが失われることにもなりかねない。
「ですが、それならどうするというんです?」
「オレたちで始末をつけるしかねぇな。――おい、ミツヒコの他に妙な奴が入っていったとか、そんなことはないよな?」
ソウイチが問うと、使用人は千切れんばかりに首を縦に振った。
「も、もちろんです。ご当主様が戻られた以外は、ミツヒコ様しか……」
「で、中に犯人らしき人物は?」
「居ませんでしたね。どこからか逃げ出した形跡もありません。……つまりは密室状態です」
「……そりゃ参ったな」
無論、この状況はなんらかの手段によって成り立っているはずである。事が起こっている以上そこにはタネがあるのだが、それがまったく見えてこない。密室という単語に、ソウイチは早くも降参と言った様子だ。
「――オレたちでどうにかできることじゃないことは良くわかった。一応使いは出しておこう。シュトの市警本部でいいんだろ?」
「お願いします。事が事ですからね。……それから、この屋敷に残った全員をどこか都合の良い場所に集めてくれると助かります。まだ何が起こるともわからないので」
「わかった。それもなんとかしておく。――オマエ、誰かオレのとこに連れて来い。なるべく頑丈そうな男だ」
「は、はい」
駆け出す使用人の背を追い、ソウイチも階下に降りていく。その場に残ったのは、トキヤとナナオの二人だ。
「……にーちゃん」
ナナオが腕を掴み、不安げな視線を投げかけてくる。トキヤは深く深く嘆息すると、
「――ボクはこうなる前に、止めることができたんだろうか」
今日一日を振り返り、そう呟くのだった。




