魔術師たちの昏き憧憬#21
巨大な瑠璃の瞳。ただ蒼いだけではない。光をため込む無数の傷が、思わず息を止めてしまいそうなほど強く、妖しい複雑な輝きを生んでいる。
「それ」は体勢はそのまま、首だけを傾けてトキヤを見ている。その表情は無表情だが、どこか愁いを帯びているように見えた。
そのいかにもつくりものめいた表情を見てようやく、トキヤは気づいた。
――ああ、これは妖精を模した人形だ。
無論、ただの人形ではない。ただの人形が本を読む真似をしたり、声のした方へと振り返ったり―― 意思を持ったようなそぶりをするはずがないのだ。
顔を見れば、不気味なほど精緻に作られた容貌のおかげで、それがつくりものだとわかる。しかし動きそのものは実に滑らかで、人間が操っているときや、からくり仕掛けの人形の動きに見られるぎこちなさはない。ひどい違和感を持った存在だ。
「トキヤ?」
再びレイカの声が降ってくる。
いったいどうしたものかと、トキヤの思考は珍しく焼き付いてしまっていた。ただうろたえて視線を部屋と梯子の間で右往左往とさせながら、必死に思考の再起動を試みる。
『――遅い。何をしている』
声が視えたのは、そうしてトキヤがまごついている時だった。
脳裏に直接声のイメージがなだれ込んでくる。それは耳で聞きとったものでもなく、トキヤの脳が過去に聞いた声を再生しているわけでもないようだった。
唐突に声のイメージが降って湧いたのだ。それをトキヤは、声が聞こえたではなく「視えた」と感じた。
涼やかな少女の声である。まだうらなりのソプラノであるが、妙に尊大でふてぶてしい響きを持っていた。トキヤがそれを受けてなお当惑していると、頭の中の声は焦れたように舌を打ち鳴らす。
『惚けたままでどうするつもりだ。時間がないと自分で言うたのではないか』
その言葉でようやくギヤが噛み合ったような心地がした。トキヤは顔をあげ、目つき鋭く周囲を見渡す。
『ほれ、はよう中に入ってこい。どれだけ時間が残されているかわからんのだ』
頭の中の声は小部屋の中へ誘っている。
小部屋の中にあるのは、書架と本と机と―― 人形だけだ。
人形は相変わらずトキヤを無表情で睨めつけている。その目はさきほどと少しも変わらない。が、不思議と「早くしろ」と催促されているような気分にさせられた。
「あなたは」
『他に何があるというのだ、この部屋に。ぐずぐずするな。おまえひとりで来るか、上の女二人を連れて来るか、好きにしても良い』
トキヤの問いを先取るようにして、頭の中の声が苛立たしげに言った。
どうやらこの声の主は、部屋の中の人形で間違いないようである。
いくら常人よりは慣れているとはいえ、こんなとんでもない事象が起こるなどとは思っていなかったトキヤは嘆息し、緊張で渇いたのどを絞って声をあげた。
「お二方、気を付けて降りていらしてください。ボクらに"害を与えるようなもの"はなさそうです」
声を受けてすぐに、上でごそごそと人が動く気配がした。トキヤは念のためにと梯子の下まで移動する。落ちてこられでもしたら事だからだ。
『ようやく動く気になったか。やれやれ……』
やれやれはこっちの台詞だ、と心内で悪態を突きつつ、トキヤは二人の依頼人が降りてくるのを待った。
――確かに害は与えないだろう。あの人形は強い魔術の性質を帯びてはいるが、少なくとも他者を害するためにつくられたものではないことはわかる。そうであるためには無駄が多すぎるのだ。
だから直接アカギリ姉妹が傷つくことはないであろうし、万が一にもそうさせないようにするつもりではある―― が。
害は受けずとも衝撃は受けるだろう。
今の今まで特異に歪んだ都市の中とはいえ、「尋常」にくらしていた姉妹の心労と事後処理の面倒を思い、トキヤはまた頭痛の種が増えそうだと唸るのだった。
※
『良く来た。――と、言いたいところではあるが、時間を掛け過ぎだな。わらわはひとりではここから出ぬ約束ゆえ、ずいぶんと肝を冷やしたぞ』
肝などあるのか、という早速に無駄な質問を飲み込み、トキヤは姉妹の様子を伺う。
降りてきた姉妹を伴って最奥の小部屋に入った。現在机の上に立ってこちらを見上げている人形と相対すかたちとなっているが、さすがに部屋の規模からして三人が横に並ぶと窮屈である。
トキヤを中心に、右手側にレイカ。左手側にフウカが立っている。二人とも直接頭の中になだれ込んでくる「声」に当惑しているようだった。しかし今回ばかりはトキヤも初めての経験であるので、二人に状況を説明をしてやるわけにもいかない。
それに頭の中の声―― 人形曰く、それほど悠長にしている時間は残されていないらしい。
『一刻を争うという状況ではないが、のんべんだらりとしている暇はない。ごく手短に用件を済ませるゆえ、わらわの手を煩わせるなよ? 手始めにいくらかこちらの質問に答えてもらう』
目の前の人形は魔術で動いているが、どうやら人形としての稼働領域を逸脱することはできないらしい。
きちんと間接がつくられている手足や首は動かせるようだが、所詮は飾りである顔は微動だにしない。
レイカは難しい顔をして人形を睨んでいる。すでにこの声が人形が発しているものであるらしいということは伝えているが、納得できないのだろう。
「――トキヤ」
「はい、なんでしょうか」
レイカが人形を見据えたまま訊ねてくる。
「この声はこの人形か私たちに、その、聞かせているのね?」
「ええ、そのようです」
この問答は二度目だ。人形のあからさまなため息が三人の脳内に響き渡る。
『いいかげんに割り切ってはくれまいか。さっきもこの男が言うたであろう? 理解できぬものを無理に理解しようとして説明を求めるのは阿呆のすることだ。おまえが持っている常識とおまえの知らぬ常識の論理の交点が見つかるまで長々と講釈をするほど、わらわには時間がないしお人よしでもない。本気で知りたいと思うのならこの男よりもわらわの世界に通ずるものを探すか、さもなくば――』
人形はそこで言葉を切り、咳払いをした。
トキヤはすでにこの声に慣れ始めている。非常識な展開であるにもかかわらず、声の主がやたらに人間くさいからだ。
『まぁ、そのあたりは今は問題にせずとも良い。気にせずわらわの話だけを聞けばよい』
「そうは言っても、相手の口も目も動かないのでは、気持ちが悪いわ」
そういえば、レイカは相手の言葉や表情で思惑を読み取ることにある程度長けているようだったか、とトキヤは思い出した。ということは逆に、そのうちの一つの要素が欠けている相手との会話が不安なのかもしれない。
『ええいまったく難儀な。ではこれで文句はあるまい』
「なっ!?」
レイカが声を上げる。詳細に記すれば、人形の「これで文句はあるまい」という言葉の途中で、突如人形の表情に生命が宿ったことに驚いたのだ。
今まで何が聞こえようがまったく無表情で、視線も一切動かなかった人形の顔が、憮然とした表情に書き変わっている。人形は固定されて動かぬはずの瑠璃の瞳を動かし、あっけにとられた表情の三人の顔を順繰りに見回す。その動きは元の滑らかさも相まって、人間のそれと見分けがつかなくなっていた。
『それ見たことか。またわけのわからぬことがひとつ増えたであろう?』
「驚いた…… これは幻術の類でしょうか」
『左様』
トキヤの質問に、人形は鷹揚に頷いて見せる。
『見ての通り、わらわの体は人形だ。こればっかりはどうしようもないゆえ、おまえらの目にそう見えるようにしてやっただけに過ぎぬ。現実には何も変わってはおらぬよ』
どことなく自慢げな様子だ。幻術のおかげか、人形の稼働域も広がっているようだ。現在人形は口元に手をやって、くすくすと笑っている。




