魔術師たちの昏き憧憬#20
「……何が起こったかの究明はともかく、こんな仕掛けになっていたなんて思いもよらなかったわ」
驚きの連続で疲れたのか、レイカはしきりに嘆息を繰り返している。フウカは急に不安になったのか、そっと姉に寄り添い、シャツの裾をつかんだ。
「ええ。ボクも予想外のことばかりで少し驚いています」
姉妹を振り返らずにそう呟くトキヤは、現れた小さな通路に踏み込んでいって、奥にある穴を覗き込んだ。
下までの高さは目算五、六メートルと言ったところか。下にも通路が続いており、視界の外から淡い光が漏れている。
(まさか人がいるのか?)
あり得ない話ではない。この隠された通路から出てきた人間が、夜毎に「怪異」を引き起こしていた可能性もある。最初こそ単純な人の手による現象であることを祈っていたトキヤだったが、今は逆に警戒心が募るばかりである。
姉妹を振り返る。レイカのほうはおそらく自覚はないのだろうが、二人ともおびえたような目でトキヤの動向を見守っている。……まあ、無理はなかろう。
自分だけで様子を見に行った方がよさそうだ。そう考えたトキヤは、室内でもずっと手放さなかった傘の柄を持ち替えた。武器にするには頼りがないが、万が一のためにそういう扱いをすることを考えて誂えたものであるため、素手よりは数倍ましだ。石突は鉄製で、骨も太く丈夫な素材でつくられている。
武器に使えば本来の傘としての機能が失われる可能性は高いが、地下に「何か」が潜んでいた場合、それが悪意を持っていない保証はない。襲いかかられでもすれば応戦しなくてはならないだろう。傘の機能の心配をする余裕があればいいのだが。
「レイカさん、フウカさん。ここで待っていてもらえますか?」
心持声をひそめてそう言えば、案の定抗議の声が返ってくる。
「ここまで見せられておいて、その穴の中を覗くな、というのは少しひどいのではなくて?」
「覗くなとは言いません。どうぞ。……ただし、音はなるべく立てないようにお願いします」
トキヤの様子を訝りつつ、レイカはフウカの自分のシャツをつかむ手を引きはがし、慎重な足取りで穴に寄っていく。用心したトキヤが差し出した手を取り、穴の中を覗き込んだ。
「……灯りが」
小さな呟きにトキヤは頷き返し、レイカを穴から離すように手を引く。レイカは穴の中を二、三度振り返りつつもそれに従い、二人は微妙に浮足立った様子で書斎へと戻った。
「あの通りです。奥に誰かいる可能性があります」
フウカが不安そうな目で姉を見る。
「そう…… みたいね。用事もなく灯りなんて点けないもの」
用事がなければ灯りを燈している意味はない。言いかえれば、用事があって誰かが燈したからこそ、灯りがそこに存在するのだ。
「まずはボクが見てきましょう。安全と判断したならば、お呼びします」
「もう今更どんなものが飛び出てきても驚かない―― いいえ、驚くことしかできないけれど。あなた大丈夫なの? たしか荒事は不得意って言ってなかった?」
「ええ、まぁ」
トキヤは苦笑する。何もこのような状況でないのなら、自分でも一番に乗り込んでいきたいとは思わない。
「確かにボクは荒事には向いていません。一応、叔父から指導を受けていますが」
姉妹を矢面に立たせるよりはいくらかマシ、というところだろう。なんにしろトキヤは先に地階に降り立って安全を確保する役目を負わなければならなかった。梯子や階段等、少しでも「危険」があると見れば男性が先に降りる。レディ・ファーストの精神における基本だ。
「……まぁ、この中で一番まともな判断を下せるであろうあなたがそういうのなら。それに私じゃ、万が一の時にあんまり役に立ちそうにないし。……あんたもその恰好じゃね?」
レイカはフウカを見据えながら妙なことを言う。しかし、トキヤにはそれをいちいちほじくりだすために割く時間が惜しいように思えた。
「それでは、行ってまいります」
トキヤは少し逡巡してから未だ炎を燻らせているランプを手に取り、穴へと近づいた。地下から漏れる光のおかげでまっ暗闇というわけではなかったが、それでも手元が見えづらいのは危険だ。
注意深く穴の傍らにランプを置く。その場所からでは当然地階を照らすにまで至らないが、梯子を降りるときの頼りにはなりそうである。
次に梯子の感触を確かめる。劣化している様子はない。古いものではなさそうだ。
それだけ確かめると、トキヤは降りるに邪魔な傘をコートの飾りのベルトで腰に括りつけてから、ひらりと身を中空に放り出し、梯子に組みつく。
音は最低限にとどめようとしたが、やはり一段降りるごとに靴と金属の触れあう音がかすかに響く。
タン、タン、タン―― と小気味の良い律動を刻み、トキヤは地下へと降りていく。最期の一歩で石の床に降り立つと、先ほどまでは感じなかったカビ臭さのようなものを感じるようになった。
地下の通路は折り返すように書斎の地下へと通じている。長さは上の隠された通路と同程度で、最奥には小窓付きの木製の扉が嵌っている。上から見えていた光は、その小窓から漏れ出ているものだった。
括りつけておいた傘をほどき、手に持つ。男が持つものにしてもずいぶん厳めしい代物だが、本来武器ではないものゆえに頼りなく思える。
魔術を解除してここまで来たのだ。仮に中に人間がいたとして、それに気づかないでいるとも考えづらい。だとしたら知っていて待ち構えているのか。――そう考えると緊張感がさらに増した。柄をつかむ手により一層力を込め、トキヤはたった大股三歩程度の廊下をじりじりと小股で進む。
やがて、扉の前にたどりつく。
小窓から漏れだす光は、ランプのような指向性のない柔らかなものだった。しかし妙であるのは、ランプにある「炎のゆらめき」が一切感じられないことである。光の強さは一定で、かすかな明滅がない。
トキヤは息をのみ、小窓から部屋の中を覗き込んだ。
――結論からして、杞憂であった。
部屋の中に人の気配はない。
狭い部屋だった。小窓から覗き込んでも全体が十分に見渡せる程度には狭かった。おそらくは地上の書斎の半分ほどの面積もないだろう。
その中に見えるのは幻の本体であるらしい見覚えのある書架と、床に散らばったいくつかの書物。それから中央に据えられた四ツ脚の小さなテーブルだけだ。
息を殺して機をうかがい、こちらに害を加えようとする人間は、その中にはいなかった。
――そう、人間は。
トキヤは絶句した。
彼は魔術の存在を知っている。しかし、"そんなもの"を目の当たりにしたのは間違いなく初めてのことだった。
亜麻色の魅力的な、長くウェイブの掛った頭髪。
頭髪を飾るのはこまやかな意匠を施された金のティアラ。
頭髪を割って伸びる耳は人間のそれとは違い、上向きで尖っている。
細い耳を飾るのはヒスイの耳飾りで、左右は微妙に形が異なっているようだ。
ワンピースに似た丈の長い衣服にケープ。全体的にやたらに翻って動きづらそうなひらひらの飾りが多く、随所に幾何学的な模様があしらわれている。色合いは白や青が基調で、涼やかなイメージを与える。
何重もの折り重なった厚ぼったい布のようなスカートの中から伸びる素足や、時折まくれあがる袖から垣間見える腕など、肌の色は生気を感じられないまったくの白。
――そして衣服の背中から伸びる羽。
それは虫のものによく似ていたが、「それ」の体に直接宿っているものではない。服の上―― 露出度が少ないおかげで分かりにくいが、肩甲骨のあたりから、薄い羽根が四枚伸びているように"見える"。
羽とは器官であるから、本来は体から直接伸びているものでなくてはならない。だが、「それ」の羽は「それ」の体に接しておらず、だとというのに「それ」の細かな動きに呼応するようにして動く。さながら身体の一部であるかのように振る舞っているのだ。
人に似た特徴を持つ「それ」は小さい。
トキヤの手の平の上にならば、乗せることができるだろう。それが机の上に広げた本を、その上に這いつくばるようにして熱心に読みふけっている―― ようだ。
何をしているのか分かりづらいのは、視界の範囲が狭いのと、「それ」がトキヤに背を向けているせいだ。
トキヤはしばらくの間、食い入るように「それ」の様子を見ていた。
「トキヤ? 何かあったの?」
意識を目先に集中していたせいか、時間が経つのを忘れていた。
かなり長い間「それ」に魅了されていたらしい。下に降りて行ったトキヤがまったく音沙汰ないので、しびれを切らしたレイカがなるべく絞った声を穴の中に投げかけたのである。
トキヤは声に反応して振り返り、一度引き返すべきかと考えた。そして何気なくもう一度小窓から部屋を覗き―― ばっちりと「それ」と視線が合わさってしまった。




