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寄生体  作者: 星乃夜衣
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第5話

 早朝からの支度に始まり、四時間にわたる葬儀から精進落としの宴席まで、すべてが駆け抜けるように過ぎ去った。

 豊は静香とともにタクシーに乗り込み、高崎へと向かう。ようやく一日の終わりが実感として押し寄せてくるようだった。窓の外では薄闇に沈む街並みがゆっくりと流れ、ガラスに映った自分の顔が、どこか他人事のように疲れ果てて見える。車内のメーターに視線を移すと、料金表示の隅に小さく時刻が出ているのが目に入った。

 ──もうそんな時間か──

 すでに夜の八時を過ぎている。豊は後部座席に身を沈め、ぐったりと目を閉じた。線香の匂いが喪服に染みついているのか、かすかに残り香が鼻をかすめる。

 葬儀は無事に終わり、葵は喪主としての役目を立派に果たした。弟として、そんな彼女の姿を誇りに思うべきなのだろう。

 それでも、豊の胸の奥には不可解なしこりが残っていた。

 告別式の時に葵が見せた禍々しい妖艶さ。そして周囲から向けられた熱い視線に酔いしれるような狂気じみた気配。まるで何かに取り憑かれているようにさえ思えた。

「大丈夫? 顔色が悪いわよ……」

 静香の囁くような声に、豊ははっと目を開けた。真横で静香が心配そうに覗き込んでいる。

「……ああ、疲れてるだけだよ」

 胸の奥で微かにざらついた違和感を悟られまいと、微笑んでみせた。

「葵さん……告別式の時にちょっと変じゃなかった?」

 静香も、葵の異様な雰囲気に気づいているのだろう。だが、そのことを指摘されると、豊の心は複雑に揺れた。

「まあ、姉さんも気を張っていたんだろう。喪主として大変だっただろうから」

 豊は顔が歪みそうになるのを抑えながら、静香の問いを曖昧に受け流した。それでも、自分の声がどこか上ずって聞こえ、思わず首を小さく横に振る。

 静香は不満そうに眉を寄せると、さらに追及してきた。

「あら、喪主の件は葵さんが頑固に譲らなかったんでしょう? そんなの言い訳にならないわ。それよりも彼女、変だったわよ! 告別式の時の葵さんは、まるで別人みたいに──」

「この話はやめよう!」

 話を遮るように、豊の声が強く車内に響いた。静香は一瞬目を見開き、豊の横顔をじっと見つめていたが、それ以上は何も言わず、視線を窓の外に向けた。

 車内に重い沈黙が落ちる。タクシーの運転手が、バックミラー越しに一瞬こちらを見た気がした。豊は再び目を閉じると、深い息をついた。

 松浦建設の次期社長はすでに決定している。昨年の暮れに庄吉が倒れて以来、社長業務の引き継ぎは徐々に進められてきた。葵もその件に関して異論を唱えてこなかった。だからこそ、喪主も豊が務めるべきだと誰もが考えたはずだ。

 だが、葬儀屋での葵の態度は異様だった。あの鋭い眼差しを向けられた瞬間、背筋が凍る思いがした。

 豊はあの眼差しに見覚えがあった。

 それは二十年前に亡くなった母親の目にそっくりだった。

 母は気性が強く華やかな容貌をしていたが、時折見せたその狂気じみた視線に、豊は幼いながらも恐怖を抱いていた。

 ──お袋を思い出すと、なぜか胸の奥が締め付けられる──

 葵の言動に死んだ母親が重なり、豊は思わず喪主の役割を姉に譲った。先ほどの「まるで別人みたい」という静香の言葉は、まさに的を射ていた。



 二人を乗せたタクシーは静かにスピードを落とし、十五階建てのモダンなマンションの前に停まった。木調の壁と石タイルのエントランスは、夜の照明に淡く照らされ、昼間とは違う静けさを帯びている。結婚して三年、まだ子供のいない二人にとって、この場所は理想的な住まいだった。

 豊は無言のままドアを開け、静香とともに車を降りた。石タイルを敷き詰めた床を踏みしめ、エントランスへと歩き出すと、肌寒い夜気が喪服の袖口から入り込む。

「……これから後始末が大変だな」

 豊は自分に言い聞かせるように、ぽつりと呟いた。

「相続人会議は三週間後よね」

 精進落としの宴席で庄吉の弁護士が取り決めた相続人会議のことを、静香は確かめるように尋ねた。

「……ああ、そうだな」

 豊は軽く頷いたものの、どこかしっくりといかなかった。

 弁護士の淡々とした説明に、葵の表情はほとんど変わらないように見えた。むしろ凛とした雰囲気すら漂わせていた。だが、それとは対照的に、哲郎の様子が気になった。

 普段は冷静沈着の哲郎が、遺言状の話になった途端に表情が硬直したのだ。目を伏せたまま指先をテーブルの下で何度も擦り合わせるその仕草が、豊の目に焼きついた。

 ──義兄さんは、何を恐れているんだ? それとも、何かを期待しているのか──

 直感が警鐘を鳴らしている。

「豊……何を考え込んでいるの?」

 静香の声に微かに震えが混じる。豊は、そんな彼女の不安に気づきつつも、答えを濁すしかなかった。

「まあ、相続人会議までに色々とやる事があるから、それを考えると滅入るな……」

 ため息交じりに応えると、葬儀の場で見せた哲郎の態度や、葵のどこか狂気じみた振る舞いを、いったん頭の片隅へ押しやることにした。だが、一度芽生えた違和感は、頭の片隅にしつこく残り続ける。

 静かな気配の中で、豊は過去の記憶に沈殿する〝狂気の始まり〟を感じていた。



 葬儀から三日後、松浦建設は業務を再開したが、社内の空気はまだどこか重たかった。表向きは平常運転に戻ったように見えるが、誰もがまだ葬儀の余韻から抜け出せずにいる。

 そんな動揺が色濃く残る中、豊は重い足取りで出社すると、そのまま社長室へ直行した。

「おはよう」

 ドアを開けると、突然、予期せぬ声が室内に響いた。

 驚いて視線を奥のデスクに向けると、そこには葵がいた。あたかも最初からそこが彼女の場所だったかのように、庄吉の椅子にゆったりと腰掛けている。窓から差し込む朝の光に照らされ、その姿はどこか別の何かに入れ替わったようにさえ見え、豊は一瞬息を呑む。

「姉さん……こんな朝早くから出社……してたのか」

 だがそれ以上に、葵が社長室を〝自分の部屋〟のように占拠していることに、豊は戸惑った。

「まあ、失礼ねぇ。私はいつだって真面目に出社してるわよ。お父さんだって、私の働きぶりを認めてたんだから」

 顔を曇らせる豊をよそに、葵は余裕の笑みを浮かべた。まるで午後出社が常だった過去など存在しなかったかのような口ぶりだ。

「さあ、どうかな……それは相続人会議の時に分かるんじゃないかな」

 思わず皮肉が毀れた。

「ああ、親族会のことね。でも大丈夫。この会社は、私と豊で半分ずつって約束だったもの」

 葵はゆっくりと立ち上がり、わざとらしいほど大げさな身振りで社長の椅子を譲った。その芝居がかった仕草は何かの示唆なのか。手や視線の動き、そして挑発的な微笑みには意図を帯びている気がした。

 彼女の真意を測りかねながら、豊は無言で椅子に腰を下ろす。すでに二カ月前から、社長業務の引き継ぎは進められていて、今さら葵が「社長になりたい」と駄々をこねるはずもない。それでも、葵の自信に満ちた態度には、背筋を冷たく走る違和感がある。

 葵は颯爽と踵の高いヒールを鳴らしてドアへと向かった。その後ろ姿を見送りながら、豊は思わず声をかける。

「姉さん、雰囲気が変わったね……」

 葵は立ち止まり、振り返った。艶やかな笑みを浮かべたその顔は、以前より冷ややかで鋭く、豊の胸にざわめきを残す。

 ──姉さんはお袋によく似ている──

 父に似て神経質な豊に比べ、葵は母譲りの華やかさと強い気性を持っている。だが今の彼女には妙な陰影が加わっている。

 葬儀の日もそうだった。華やかさの奥に、妖しい影が潜む。視線の鋭さ、動作のわずかな誇張──どれも普通ではない。

 服装も変わった。以前は鮮やかな朱色やピンクを好んでいたが、今日は喪に服すかのように全身を黒で固めている。それでもスカートにはスリットが深く入り込んでいて、足元は踵の高いピンヒール。黒を纏っているのに妖艶で、挑発的だ。

 ドアを開け、満足そうに社長室を去る葵の後ろ姿を見つめながら、不穏な予感が豊の頭をよぎる。ヒールの踵の音が遠ざかるのを耳で追いながら、背筋に小さな寒気を感じた。葵に漂う〝何か〟は、ただの装いではなく、黒い陰そのものを帯びている──そう思わずにはいられなかった。

「義兄さんと、何かあったのか……?」

 豊は思わずぽつりと呟いた。

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