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第7話 きっと大丈夫

「しかし何を買うかと思ったら」


「だって住んでるところ、あまり大きなお店ないもんね」


 約束通り土曜日のお昼過ぎから始めた近くの市街地駅付近までやってきてのデート(荷物持ち)。彼女曰く目的と言うのが大型書店であった。彼女の住んでいる近くの本屋には、彼女の欲しい本が売ってなかったようである。重い書籍だけに、親川が付き合ってくれる時にしこたま買い込もうという魂胆だったらしい。結局、彼女曰く2万円近い量の本を紙袋いっぱいに入れて分担して持つことに。決して無駄遣いというわけではないにせよ、それだけの現金をサラッと出せるのだからさすがお嬢様である。


「雄太も野球以外に趣味を見つけていられたら、少しくらい何かが変わったかもしれないのにね」


「難しいだろうな。野球バカだし」


「私も同じようなものだけど?」


 曰く彼も彼女も野球バカ。となると、次の趣味をあっさり見つけられたのは、状況を割り切ることができるかどうかという性格によるところも大きいのかもしれない。


「これからどうしようか。せっかくだしこのあたりで遊んで、それとスポーツ用品店にも行かないとね」


「そうだなぁ」


 しっかり昼食は取ってきたため、これから改めて何か食べようというほどでもない。かといってさらに遠出するには時間もないし、何よりこの大量の本が邪魔ではある。


「このあたりって、何か暇つぶしできるようなところある?」


「う~ん、私もあまりこのあたりにはこないから……」


 織田は本を親川に預け、カバンから携帯端末を取り出してネット検索。この近辺は十分に高校の通学圏内ではあるが、自宅の場所は高校を基点にしてほぼ逆側である。生活圏内かと言われると、少々遠すぎるような場所である。


「映画……カラオケ……ボーリング……」


「これじゃない感が」


「バッセン?」


「行く?」


「行こう。雄太も久しぶりの野球だもん。少しくらい練習しておかないとね。場所はこの近くだって」


 曰く高校生男女のお出かけで、映画・カラオケ・ボーリングが「これじゃない」らしく、バッティングセンターは「OK」らしい。そこでスポーツ用品店は帰り道にあるため、先にバッティングセンターで遊んで行くことに決定。さらに近くらしく好都合である。


 地図上では徒歩5分程度の距離。しかし織田が地図を読み間違え、結果的に到着には10分強かかることに。ただ辿りつけたことには違いない。


「何ゲームする?」


「雪は? 故障は肩だし、バッティングくらいならできるんじゃないか?」


「う~ん。腰も調子がいいだけなんだけどねぇ……1ゲームだけやってみようかな?」


 少し悩んだ末に彼女もすることに。短いスカートであれば絶対にNOであったが、長めのものを着ていたのが幸いだった。お互いにお金を出し合い、5ゲームのカードを購入。予定では親川4ゲーム、織田1ゲームの予定である。


「最初に雪でもいいけど、何キロ打つ? 100くらい?」


「無理、無理。私、野球をやめて5年以上経つし、最終野球歴は少年野球よ。元々バッティングがいい方じゃないのもあるもん」


 彼女の少年野球での定位置は7番ピッチャー。別にそこそこ打てるというわけではなく、小学生女子は男子に比べて成長が早い上、子供の頃の1学年の差は非常に大きいためだ。それを証拠に8、9番は下級生であった。


「せいぜい素人よりは上手いくらいかな? さすがに雄太には勝てないって」


「僕も打撃フォーム崩して、全然打てなくなったけどなぁ」


 要は元から打てないか、元々は打てたかの違いであり、お互いに今は打てない方なのである。あえて言うなれば、親川の方が野球離脱経験は短く、最終経歴が中学野球であるため、多少なりとも速い球には対応できるくらいか。


「じゃあ、私、お先に」


「うん」


 彼女は『初心者おすすめ』と書かれたレーンに向かう。と、その道中にて足を止める。


「雄太、雄太、雄太、雄太、雄太」


「1回呼べば分かる。何?」


「ねぇねぇ、そこのレーン」


「あぁ、ためにいるよな。こういうの」


 目にした先。そこは初心者レーンの隣であり、球速は80キロと言ったところ。そこではマスクだけ頭に付けたキャッチャー風の子が、ミットを手に次々と投げ出されるボールに対してキャッチング練習中。まだミットが馴染んでいないのか、それともこの子自体がそれほど上手くはないのか。


「少年野球の頃も、キャッチャーの菅谷(すがたに)が知り合いのバッセンでやってたろ?」


「あのぉ、そうじゃなくて、なんか見たことあるなぁって」


「見たこと……確かに」


 どことなく見たことある後姿である。


 ふと、そこへ置いてある野球部のセカンドバックに気付いた親川。おそらくはその子のものであろうと覗き込んでみる。得てしてそれには名前の刺繍が入っているものである。


『千嶋』


「おまえかよっ」


 見たことあるどころか、つい数時間前まで一緒に練習をしていたところである。少々大きな声を出してしまったわけだが、周りが店内BGMで騒がしいのに加え、彼女も集中しているのであろう。それに気付かず淡々とボールを受け続ける。しばらくしてピッチングマシーンに表示される残り球数が『0』に変わると、緊張感が解けたようでため息をひとつ。一休みしようと立ち上がり振り返るとそこには、


「お疲れ」


「雄太さんっ」


 親川がそうだったように、千嶋もまさか彼がいるとは思わなかったのであろう。打席から出ずに目を丸くして声を上げる。


「お疲れ様」


「――と、織田さん」


 明らかに後付けしたかのようなタイミング。織田のことは遅れて気付いたようである。


「どうしてここに?」


「え? 私と雄太でデー「荷物持ち」だ、そうです」


 どうも彼は「デート」という言い回しが好かない様子。彼女を上回る声で言葉を重ねてくる。ついでに手にしていた大量の本を見せて荷物持ちをアピール。


「へぇ。こんな大量の本を。雄太さんって読書好きなんですか?」


「いや。(コレ)の本」


 親川はそれほど読書が好きな方ではない。野球関係の本についても、過剰に野球を嫌っていただけにまったく手を付けていない。読書と言えば、せいぜい読書感想文の課題本や教科書くらいのものか。


「織田さんはどんな本を読んでいるんですか?」


「う~ん。一概にこうとは言えないかなぁ」


 織田はわざわざ紙袋から本を出しながら千嶋へと見せる。


 自己啓発本に、ファンタジー小説。歴史モノなど幅広いジャンル。


「一概に言えないとはいっても野球モノが多いですね」

かと思えば途中からは野球雑誌、野球の教則本、プロ野球選手の著書などなど。全体的に見れば半分近くは野球モノ。結局は野球好きには変わりないのである。


「2、3冊くらい貸してあげようか? どうせ同時には読めないもん」


「ぜひ、お願いします。それじゃあ……これと、これを」


 千嶋が貸してほしいと言ったのは野球のどちらも教則本。それぞれ100ページ以上はありそうな分厚いもの。この選択も彼女らしいと言えば彼女らしいのだろうか。


「そういえば、雪はなんでこんな教則本を買ってんの? プレーできないだろうに」


「私はしないけど、そういう知識を持ってると野球観戦も楽しいの。雄太は分からないかもね。やる専だし」


「悪かったな。プレー専門で」


「悪くはないよ。私も昔はやる専だし」


 ケガをしてプレイできなくなった結果、やむなく見る専門になっただけの話である。


「じゃあ、その元やる専のプレーを見せてもらおう」


「は~い」


 彼女はカードを手に初心者用レーンへ。備え付けのバットから自らに適したものを手にし、カードを機械に入れてボタンを押す。


『(しかし、雪のプレーを見るのは久しいなぁ)』


 彼女が最後にプレイしたのは少年野球。6年生途中にて負傷引退したため、小学校のラスト1年はそれほどプレイしていないわけだが。


 バットを構えてしばらくするとボールが投げだされる。


 彼女がベストタイミングで振り出したファーストスイングはチップ。わずかにボールの頭をこすったものであるが、ほとんど誤差の範疇である。2球目からは早くもゴロやポップアップながらも前に飛ばし始め、11球目はマシン側の防球ネットにノーバウンドのライナーで当てる。


 なかなかにいいバッティングを見せており、1ゲーム25球中、推定ヒット性は10と言ったあたりである。


「どう? 私だってやるもんでしょ」


 打席から戻ってきた織田は自慢げな表情。


「さすが。腰の状態は?」


「上々かな。肩が完全状態じゃないからフルスイングできないけど、当てるだけのバッティングなら問題ないかな。無理するのは禁物だけどね」


 彼女はそう自らの感想を述べてから、度数の残ったカードを彼に手渡す。


「次、雄太の番。たまには雄太のバッティングも見せてほしいな」


「う~ん。僕も久しぶりだしなぁ」


「そういえば、私も雄太さんの打撃を見たことがないです」


「雄太、草野球でのバッティングはしないの?」


 てっきり打撃練習くらいしてるものだと思ったが、返事からしてそうでもない様子である。


「なんだかんだで守備ばっかりな気がする」


「打撃練習はしていますけど、たしかに雄太さんはずっと守備についてますね。雄太さんが抜けちゃうと、ウチの守備が崩壊しちゃいますから」


 現在のチーム練習方針を考えると、親川がファーストから抜けた途端に守備練習そのものが成立しなくなるのである。もちろん親川の代わりに千嶋を入れたり、もしくはネットを置いたりすることで代替可能ではあるも、彼曰くそれをするくらいならファースト守備に慣れたいらしい。


「ま、ここで残り4ゲーム100球、調整させてもらうよ」


「うん、頑張ってね」


 カードを見せながら扉を開ける親川に、織田は頷き応援もしておく。


 バッティング不振の親川。千嶋がキャッチング練習していたレーンに入ると、まずは4本ほど用意された金属バットの中から、自分に合った重さの物を選択。手にしたのは最も重いバットであるも、初心者も来店するバッティングセンターで用意されているものであると考えれば、経験者にとってはちょうどいいか、もしかすると軽いくらいかもしれない。

その上でカードを機械に入れ、80キロの球速を選択して打席へ。


「雄太のバッティングってどうなんだろ?」


 織田は親川の野球をやっている姿も、野球をやめた経緯も知っている。しかし知っている野球は少年野球の時のものであるし、経緯も退部後に彼本人から聞いたもの。考えてみれば中学以降の彼のバッティングを見るのは初めてである。


 投げ出されるストレート。中学野球経験者、それも周りから恐れられるほどの実力を持っていた人間にしてみれば、なんてことはない球であろう。しかし彼の振ったバットは空を切った


 的外れな場所を振っているわけではない。かといって空振りしたのは振り遅れたわけではない。逆にタイミングが早すぎたのである。その原因は単純に速い球に慣れすぎて遅い球を待ちきれなかったためであると考えられる。ところが、


「今度は振り遅れたね」


 椅子に腰かけ、後ろから彼のバッティングを見つめる織田。彼女自身、バッティングは得意な方ではないにせよ、こうしてみると彼のバッティングの狂いはよく分かる。時折、芯で捉えたバッティングを見せてくる。それは経験者の彼らしいものであるも、妙にスイングが早すぎたり遅すぎたり。一定の間隔で、ほぼ一定の球速を投じてくるマシン相手に、これほどまでにタイミングが合わないのはちょっとした異常である。


「これは……雄太じゃない」


 織田は少年野球時代、彼から味方として援護を受けるとともに、彼相手に打撃投手をしていたからこそ分かる。自らが天才だと思っていたバッターがこれほどまでに狂ってしまっていたのである。


 そんな昔の彼を知るからこそ、彼女の顔から血の気が引いていく。

あの天才がまるで別人のようになってしまったことに。そしてこれほどまでに狂い、落ちた人間に無理やり野球を勧めていた、その自分の浅はかな行為に。自分の背負った苦しみを背負わせたくない願った善意のそれは、偽善と言われても仕方のないものであったということに。


 彼が打ち終わったらいったい、彼にどう声をかけたらいいのだろうか。


 様々な後悔とこの先のことに頭の中が渦巻く。


 ただそれを整理できずに時間だけが過ぎる。


 1ゲーム25球。マシン横の電子掲示板に表示された残り球数。それが減っていく姿が、まるで自分に向けたカウントダウンにも感じる。


「織田さん、大丈夫ですか? 顔色悪いですよ?」


「う、うん。大丈夫。大丈夫だから」


 膝の上についた両手の拳を強く握りしめる。


 もう傍から見ても分かるくらいには見た目に出ているらしい。


 それも千嶋でも気付くなら、親川なら間違いなく気付く。できることならばこの気持ちを落ち着けておきたい。


『(無理。絶対に無理。なら、お手洗いに……)』


 トイレと理由を付けて1人逃げ込む。そう考えて行動に移そうとした直後である。


「う~ん」


「お疲れ様です」


 一歩遅かった。彼女が動く前にワンゲーム分を打ち終わってしまったのである。


「ん?」


 と、彼女の異変に気付いたようである。


「なんか顔色悪くない?」


「私もそう思ったんですけど、大丈夫だって」


「本当に?」


 いつもならば「大丈夫って言ってるならいいか」と返すか、もしくは顔色が悪いことについて面倒くさがって触れないか。なんにせよ想定外の心配をしてくれるあたり、やはり彼は変わったのだと思わされる。


 だがこれほどまでに強く心配させてしまった以上、今の彼相手はなんでもないでは済まされないだろう。


「ごめん」


「何が?」


 急に謝られて何があったのかと千嶋に目を向ける親川。もちろん千嶋も何のことかは分からず。


「雄太が、あんなに野球の上手かった雄太が、こんなことになってたなんて」


「そのことかぁ」


「ちょっとしたスランプ。そう思ってたら、これほど打撃を崩すことになってるなんて思わなくて。それなのに思い悩んでたのに無理に野球を勧めちゃって……」


 普段の織田のように煽ってくるようなことも、何か口車に乗せようという気配もない。親川には彼女がただただ真摯に申し訳ないと思い、それによって彼女自身が押しつぶされそうになっていると見えた。先ほどの彼女の顔色にも気付いたのもそうだが、彼と彼女との腐れ縁は、例え腐っても縁であるということか。


「そんなこと。別に」


「でも――」


 言葉を続けようとした彼女だが、以降は彼が聞く耳を持たなかった。


「もういい? あと3ゲーム残ってるし次こそはホームランを打つ。ホームラン賞の景品、何がいいかな?」


 度数の残ったカードを手に嬉々として元のレーンへと戻っていく。そして慣れた手つきでカードを差し込み、設定を済ませる。そして右打席にしっかりバットを構えた。


「さぁ、来い。準備万端だ」


 その気合の入った声に織田の鬱気が吹き飛ばされる。


 そしてガラスに触れていた彼女の手に、千嶋が自らの手を重ねてくる。


「織田さん。大丈夫ですよ」


 2人の視線が合う。


「雄太さんは野球が嫌いだと言っていました。でもそれはもう過去の事。今は野球が好きですみたいです。いえ、大好きみたいです。ですからきっと大丈夫。もう雄太さんが迷うことなんてありません。大丈夫なんです」


 千嶋の自信のある声、そして目つきに、織田はみるみる顔色を戻していく。


「雄太の事、私よりも分かってるみたいね」


「いえ。織田さんに比べると、私は雄太さんのことを分かりません。でも、私と雄太さんは同じ、野球を愛する者ですから。野球を愛する者の気持ちは分かります」


 そしてその一言に安堵のため息。


「そこまで言うなら、安心した。じゃあ、大丈夫ね」


「はい。大丈夫です」


 彼女の元気のいい返事の直後、マシンから投げ出された球がベース後方のクッションを叩く音がした。


「うわぁ。当たらな~い」


「……大丈夫なのよね?」


「バッティングの調子は分からないです」

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