第6話 改革
親川は夕食、風呂など済ませるべきことを一通り終わらせると、ノートを開いて勉強机に向かう。今までであれば間違いなくこれから勉強の為の時間であったが、彼のノートに書かれているのは総勢10名の野球データ。ここに自分を加えて11名。
千嶋の意見を加えてデータは揃った。
「まずは経験者」
彼は『親川』『千嶋』の名前に赤線を引く。
口に出して自分で言うのは憚られるが、チーム内で言えば投・打・守・走、すべてにおいてトップの実力を誇るのは外野手の自分である。攻守共にスランプ状態を抜け出していない彼であるも、そこは腐っても鯛と言うべき実力の高さだ。
制球難の問題はあるも、チーム内では親川に次ぐ実力を有するのは元外野手、現投手の千嶋。ただ彼女も親川と比べれば大きく見劣りする。経験者と言っても2人の間には明確な力量差があるのである。
守備を組む際にはこの2人をどう配置するかは重要である。
以下、未経験者勢は皆守備ボロボロ、目も当てられないといった実力であるも、親川には気になる人物がいたのは事実である。
「それとそれ以外ではこの2人が要注意、かな?」
続いて出した青ペンでラインを引いた名前は『赤羽』『野里』の2つ。
元キャッチャーの赤羽。肩は悪く捕球も下手で、速い球に対して多少の恐怖心がある。さらに動きも悪いなど、守備については最悪であり、千嶋曰くキャッチャーにしたのは「チーム内でも体が大きい方だから」とのこと。ただボールは遅いものの、キャッチボールにおいては相手の胸元に投げる、手だけではなく体を寄せてボールを捕るなど、基本への忠実さと堅実さは確かに存在した。
そして左投げの外野手・野里。捕球・送球その他諸々。プレーが極めて雑であり、キャッチングに難あり、送球の乱れが大きいなど問題が多い一方で、強い打球を恐れぬ強心臓と積極性。さらに目の前でのイレギュラーに反応できる反射神経。そうした面からは才能を感じる点もある。
以上、自分を含めて4人をいかに組むかが悩ましいところである。
なにせまだ1日練習を見ただけであり、普通であればもっと情報を集めたいところ。ただこれ以上はやっても無駄、皆一様に『初心者』で話が片付くレベルなのである。
加えて経験者+初心者離れした「何か」を持つ4人についても課題が残る。親川・千嶋は共に本職外野手であり、それ以外の守備位置のまともな経験はない。赤羽はキャッチボールだけはまともな守備難で、野里は左投げによる守備位置の制約がある。これならばさっさとポジションを固めて、そこのポジションのみにて特化させた方がいいだろう。
「左投げ……誰か経験者の知り合いがいたかな?」
今となっては使う人も減ってきた折り畳み式携帯電話を取り出し、登録電話番号から名前を探してみることにする。
ただ携帯電話を買ったのは中学校2年生。野球をやめて以降、自分の殻に閉じこもって生活していた為、ろくな登録者がいない。中学野球の友人に少年野球時代のチームメイト。さらにクラスメイトの野球部。おそらくそれだけいれば1人くらい左投げがいただろうが、登録電話番号には誰1人として元野球部の名前はない。
「赤羽、千嶋は仕方ないし……」
守備位置の相談用に教えてもらった連絡先。ただ2人に聞いて解決できる案件なら、そもそも親川が知っていてしかるべき。
「あとは雪。でもピッチャーだし、右利きだし」
携帯電話を机の上に放り投げて頭の後ろで手を組む。
その上でよほどいい案が浮かばなかった親川は、息抜きと実益を兼ねた目的でテレビを付ける。時間は9時であるため既に終盤戦であるがプロ野球の中継だ。野球そのものを毛嫌いしていた彼にとっては、こうして見るのも久しく思える。一瞬画面に映った両チームのオーダーは、野球をやめて3年経った間に様変わり。懐かしい名前、聞いたことある名前、聞いたことすらない名前も。
「あのころはプロを見ながら自分ならこんなオーダーを組む。とか友達と話していたけど……」
画面から目を離して手元のノートへ。
「いざ真っ新な状態からオーダーを組むとなると、なかなかしんどいなぁ」
オーダーどころか守備位置からの決定である。それもまともに守備をできる選手がほとんどいない状態である。
「厳しいなぁ」
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
あれから1週間。
クラスメイトの高校野球部員に不思議がられながらも「左投げ野手」について教えを乞い、なんとか守備位置を確定させた。
と、いうわけで、
「みんな、注目。実は親川参謀から守備位置の提案があったんだ」
「参謀はやめてくれ」
「では、米子の今孔明から」
「『いまこうめい』って何?」
親川は知らないようである。『孔明』とは、三国志に出てくる名軍師・諸葛亮のこと。そして『今孔明』とは諸葛亮になぞらえた存在で、一般的に斎藤・織田・豊臣(羽柴)に仕えていた竹中半兵衛を意味する。ここではむしろ『現代の名軍師』のような意味合いだろうか。本能寺関連については強い親川も、少し外れれば詳しくないようである。
「何か異論があれば自由に言うんだぞ~。では千嶋氏」
「はい。発表します」
千嶋は予め親川から受け取った紙を読み上げる。
「ピッチャー、赤羽さん」
チームがざわめき始める。
「キャッチャー、私、千嶋。ファースト、雄太さん――じゃなくて、親川さん」
そしてその声は次第に大きくなってくる。
「セカンド、武田さんと上崎さん。サード八恵ちゃん、じゃなくて野里ちゃん」
彼女は二人称を下の名前で呼ぶことが多いが、三人称は苗字の様で。そこに詰まっているが、決して皆の声はそれに対するものではない。
「ショート、長尾さん。で、レフトが住屋さん。センター、山城さん。ライトが吉原さんと長谷崎ちゃん。以上です」
読み上げた10人+新規参入の親川によるポジション。と、直後、
「はい。私は――」「ピッチャーが――」「内野は――」
「一緒にしゃべらないでぇ」
みんなが一緒に喋り出す。もし彼女がそれを一声に聞き取れたならば今孔明ならぬ『今厩戸王』とでも呼ばれていただろうが、そんなことはできるわけないのである。
そこで全員の話をまとめた千嶋が親川に整理して問う。
「――というわけなんですけど」
「なるほどね。じゃあ、さっそく、練習しようか」
「え? 説明は?」
「百聞は一見にしかず。やってみよう。千嶋。ノックを頼める?」
「打てないです」
「手投げでもいいから」
さて、皆が疑問に思った点。それは大きく3つである。
①最も野球の上手い親川を、ピッチャーではなく、誰でもできるファーストに置いたのはなぜ?
②左投げの野里を内野手のサードにしたのはなぜ?
③実質初心者の赤羽をピッチャーにしたのはなぜ?
もちろんそれ以外にも疑問はあったが、あくまでも大きく3つであった。
ところがその疑問の答えは直後の練習にて明らかになった。
百聞は一見にしかず。理屈よりも事実を持って知らされた野球経験者の力に、早くも皆はただ感心するのみである。
―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――
織田はどうも親川の様子がおかしいということに気付いた。
いままでの彼は荒んだ性格をしていた面があった。外ではまだ角が立つような事はしていないが、学内や自宅など気を許した場面においては、かなり冷たい態度を取っていたのである。しかしここ最近、なぜか全体的に表情が明るくなった。
ある朝の場合。
「雄太ぁ。そろそろ学校に――」
いつもならば眠たそうな、死んでいるような、そんな目をこすって出てくるやる気のない子。の、はずである。
「おっはよぅ。準備できてるし、さっさと行こう」
「う、うん」
彼に慣れた幼馴染ですらほんのり引くハイテンション。見ると目はしっかり開いているし、髪は寝癖ひとつない。制服もしっかり着こなし、絵にかいたような優等生っぽさを出している。
授業中の場合。
「先生。そこ、おかしくないですか?」
「ここか?」
やや前寄りの席である親川はふと近くに来た先生を捕まえ、黒板に書かれた内容について質問。
「はい」
「ここは、この数式を変形して両辺を~」
「あぁ、なるほど。ありがとうございます」
受動的な、言ってしまえば黒板を写しているだけの授業態度が以前の姿。今ではこうして先生に指摘をするほどになっている。と言っても鋭いわけではなく、単純に彼自身はそれほど頭がいいわけではないため、正しいところをおかしいと思ってしまうだけだが。
購買部においては。
「袋はどうします?」
「シールだけお願いします」
「はい。110円ね」
「じゃあ、ピッタリで」
「ありがとうね」
「ありがとうございます」
せいぜい袋について聞かれた時に「いいです」くらい。あとは黙って事を行っていたような人間が、しっかり会話できるようになっていた。
「ねぇ、雄太。ここ最近、なんか変わったよね」
「そう?」
「性格とか、あとは口調とか?」
弁当をかきこみながら首をかしげる親川。それはまるで5年以上前の彼を見ているようであった。そしてその5年以上前と言えば……
「う~ん。あまりそんな意識はないかなぁ?」
「傍から見れば結構違うんだけど……じゃあ、何かあった?」
「何かあったということもないかな?」
引き続き2人で悩んでいたところにクラスメイトが近づいてくる。
「やぁやぁ、親川氏。何を悩んでいるのかな?」
「おぉ、議員。ちょうどいいところに。雪が、僕が変わったと言ってるんだが」
「変わった? 影武者的な?」
「影武者でももっと上手くやると思うくらいに」
むしろ見てくれ以外はまったくの別人レベルにである。
「僕はあまり前の親川氏が分からないから、分からないなぁ」
「そっか。私の気のせいなのかな?」
さすがに10年以上一緒にいた幼馴染。その変化を読み違えたというのは認めたくないが、実際問題としてそれに気付いているのは彼女だけのみらしい。そもそも彼が織田以外に心を開いていなかったせいで、赤羽のように『前』を知らないためかもしれないが。
「そうだ。親川氏。実は守備方針の事で」
「あれはゴロ重点でいいって話がまとまらなかったっけ?」
「もっとポジション別に話を詰めようかな~って」
「分かった、分かった。じゃあ、放課後にな」
「ヘ~イ」
痛そうなほどに強く赤羽の背中を叩く親川は、高校に入って以降は見たことがない笑みを浮かべていた。面白いテレビ番組を見たわけでもないのに、どうしてこんな他愛もない会話で笑えるようになったのか。やはり何かあったに違いない。
「いったい何の話をしてんのよ?」
「親川氏にチームの守備について意見をもらおうかと」
「納得できないけど、チームの参謀なもんでな」
「あぁ、なるほど。雄太がチームの参謀に。納得、納得。HAHAHA!!」
「「はっはっは」」
笑いはじめる織田。合わせて笑い出す赤羽&親川。
「って、納得できるかぁぁ」
「「おっ、ノリツッコミ」」
アメリカンなコメディ映画のノリから、鋭いツッコミへ切り返し。
「え? 何? いつから?」
「先週の日曜日」
「言、い、な、さ、い、よぉぉぉ」
悪びれもなく答えた親川の胸ぐらを掴んだ織田は、前後へと勢いよく揺さぶる。
「言う必要はない、かと思って」
「心配してたのよ。すごく」
「そうだったか。心配してくれてたか」
「当たり前でしょ。何年の付き合いだと思ってんの?」
「それは……ごめん」
「ちょっと、謝るのやめて。ここ最近の雄太を知ってると、そう素直に謝れられるのに違和感が」
「どうしろって言うんだ」
織田からさらに理不尽な揺さぶりを受ける親川の横、赤羽は笑みを浮かべる。
「夫婦漫才」
「誰が夫婦かっ」
「待て。話せば分かる」
「問答無用」
もう待ってくれはしなかった。
その10秒後に赤羽は、ぼろ雑巾のようになったと言えば大げさだが、なんにせよ彼女に数発殴られたことは間違いない。
「そうそう。雄太がチームに入ったなら、私も見学に行っていいかな? 次の練習はいつ?」
「来るな。てか、そろそろ女友達作って一緒に遊びに行くなりすればいいじゃん」
「え? 度々、遊びに行ってるけど? 私以外に接点のない雄太と一緒にされても……」
「ちっ、雪のヤツ」
どこかの閉鎖的だった男子とは違うのである。
「練習は次の土曜日。いつもの場所」
「どうも~」
礼を言う織田の前、赤羽を「なんで言うかな?」と睨みつける親川。するとそんな目線に気付かず赤羽は、
「どうせなら、織田氏も一緒にやる?」
彼女も勧誘。彼女の野球歴を知らない赤羽であるが、野球に興味があることは分かっているようである。しかし彼女は首を縦には振らない。
「ごめんね。ケガ持ちで、って言わなかったっけ?」
「そういえば数週間前に聞いた記憶が……どんなケガを?」
「肩と腰が悪くてプレーできないんだよね」
「ほぉ~、そんなに親川氏と熱い夜を――ま、待て話せば分かる」
「そろそろ半殺し、ううん、9割殺しにしないと分からないかな?」
「もう言いません。もう言いませんので命だけは」
指を鳴らし始めた彼女に危機感を覚えた赤羽は本気の謝罪。調子に乗りすぎたようである。
「議員。こいつ、少年野球で故障ったんだよ」
「え? 織田氏って野球経験者だったの?」
「ピッチャー。肩ぶっ壊して、肩をかばって投球フォーム変えたら、その結果腰まで壊しやがった。肘も悪いんだっけ?」
「肘は大丈夫。治ったよ。ただ肩と腰はね。日常生活レベルだとまったく問題ないんだけど、スポーツレベルになると厳しいかな。ただ腰の方は最近だと調子がいいみたい。治りかけてるのかな?」
ただなんにせよ肩が使えないことには違いない。
「プレーできないのに華の女子高生がわざわざ草野球の見学ねぇ。目当ては親川氏かな? そうでもしないと――いや、待って。これはマジ。これはマジで話せば分かる。素朴な質問だから。だって、わざわざ草野球の見学って違和感あるじゃん」
「話せば分かるって、視線向けただけなのに。そんなに怖がらなくても……」
これまで数度締め上げた結果、さすがに彼も学習したようである。目を向けられただけで危機感を察知したらしい。ただ織田も自らのその行動が不可解であることは分かっていたようで、その点については理解を示す。彼女も理不尽な暴力を振るう人間ではないのである。
「そりゃあ、何度も絞められたらなぁ」
「ふん」
「てっ」
その点を指摘した親川が、机の下で織田から足を蹴られる。
……彼女も理不尽な暴力を振るう人間ではないのである。そのはずである。
「そうね~」
痛がり足を押さえる親川を余所に、織田は机に頬杖をついて赤羽に目を向ける。その瞬間に赤羽が防御態勢に入りかけた点については、あえてツッコまないことにする。
「私はもうプレーできないからね。その分、思い切ってプレーしてほしいって思いを雄太に託しているって言うのはあるかな。あとは私がそうだったから、私みたいに好きな野球を失うって気持ちを感じてほしくなかった。っていうのはあるかな。自分勝手かな?」
「勝手に託すな」
脛のあたりをさすりながら強い口調で言い放つと、彼女は手を振って笑顔で謝罪。
「ごめんね。でも、私が雄太とチームのマッチングしたわけだし、ゆるして」
「余計なお世話」
「本当にそうかなぁ~? とっても充実しているように見えるけど? 楽しそうだけど?」
「それは否定できないかもしれない。感謝はしてる」
「どういたしまして。お礼に、そうね~……デートしてほしいかな」
素直に受け取れば愛の告白のような一言に、赤羽は懲りずに煽ろうとするも、親川はいつも通りの落ち着いた様子。
「あぁ、いつものデートと言う名の荷物持ちだろ」
「そうそう、それそれ。買いたいものがあったんだけど、持って帰るのが大変で」
「通販で買えばいいじゃん」
「女の子の心が分かってないなぁ。モノが欲しいのもそうだけど、ショッピングそのものも楽しいんだよ」
「じゃあ、買ってから家まで送ってもらえばいいじゃん」
「送ってもらうほどのものでもないんだよねぇ」
「仕方ないなぁ。付き合ってやるよ。荷物持ち」
帯に短し襷に長しならぬ、『1人の購入に大きし、送ってもらうに小さし』らしい。
「ついでにスポーツ用品店行こうか。雄太が野球を再開するなら、改めて必要なものもあるだろうし」
「それもそうだ。じゃあ、家に何があるか確認しておかないと」
「今度の土曜日でいい?」
「午前中は野球の練習。午後からなら」
「私と野球、どっちが大事なの?」
「最短の5回コールド。野球の圧勝」
「野球に負けたら仕方ないかぁ」
「じゃあ、なんで聞いたかな?」
とんとん拍子にデートの予定が決まる2人に、女っ気のない赤羽は疎外感を覚え始める。
「なんだか付き合っているみたいだ。もしかして本当に付き合ってるの?」
「腐れ縁」「幼馴染」
だ、そうである。




