表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
机上の空論と嗤われた研究者、異世界の寒村に転生する ~理屈だけで、国を獲ります~  作者: 鉄菊
エンポリア編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
23/62

第23話 御しがたきもの

はじめまして。鉄菊と申します。

本作は「机上の空論」と嗤われ続けた経営学者が、異世界の弱小領地に転生し、誰も知らない”理屈”だけで成り上がっていく物語です。

更新は毎日18時です!

なるべく続けていきます。

よろしければブックマークをお願いします!

王都の館の一室は、上等な牢だった。


 燭台も寝台もあった。だが扉の外には、供と称する兵が二人。窓の下にも一人。丁重で隙のない監視だった。査問は終わっていない。ただ場所を王の御前へ移すために、一日、間が置かれただけだ。


 ロゴスは寝台に腰を下ろしたまま動かなかった。


(――昼の、あの若い男)


 凪いだ目をした名も知らぬ廷臣。その、たった一言が、まだ胸の底で冷たく沈んでいた。――理の話は、もうよい。掠め取れる力を持っていることが問題なのだ。


(私は勝った。悪魔の証明を返し、「何をしたか」へ議論を引き戻した。……だが、あの男は、その土俵ごと蹴り倒した)


 ロゴスはその一言を幾度も頭の中で転がした。転がすほど、それが正しいことに気づかされる。腹立たしいほど正しい。


(「今日、使わぬ者が、明日、使わぬ保証はない」。……その通りだ。私はこの一年、我が身の才を私腹のために使わなかった。だがそれは、私がそう選んだというだけのこと。選んだ手は、いつでも選び直せる。……私が私である限り、私はいつでも掠め取る側に回れる)


 そこに詰みがあった。


(「お前は掠め取ったか」には、「否」と証を立てて返せる。だが「お前は掠め取れるか」には――「否」と言えぬ。私は掠め取れる。それは真実だ。真実である以上、どんな弁も、それを崩せはしない)


 昨日まで、ロゴスはこの査問を「正しさ」の戦だと思っていた。違った。これは「力」の戦だ。そして力そのものは弁明できない。在るものは在る。


(言葉では勝てぬ。……「掠め取れる」という一点は、言葉では決して消せない)


 ロゴスは立ち上がり、狭い部屋を一歩、二歩と歩いた。冷えた石の床が、足の裏から思考を澄ませていく。


(言葉で消せぬなら。……在るもの、そのものを消すしかない)


 彼の中で、ゆっくりと一つの形が立ち上がってきた。それはこの一年、彼が幾度となく他人に課してきた理屈の――今度は自分自身へ向け直した刃だった。


(信じてくれ、では届かぬ。約束はただの言葉だ。誠実であろうとなかろうと、破ろうと思えば破れる。……ならば、約束を破れなくしてしまえばいい。掠め取れる、その力を――私の手から、私自身が奪ってみせる)


---


 翌る朝。ロゴスは王の御前を待たず、自ら監察使への目通りを願い出た。


 ドミティウスは灰色の目でそれを迎えた。傍らには昨日と同じく、あの若い男が末席に静かに座っていた。後見の財務官ガレアスも、渋面でロゴスの斜め後ろに控えている。


「御前を待たず、何を申したい」ドミティウスが乾いた声で言った。


「昨日のお答えをし直したく参りました」ロゴスは居並ぶ廷臣たちを見渡した。「昨日、私は『掠め取っていない』と証を立てました。ですが、あるお方が仰った。――問題は、掠め取ったか否かではない。掠め取れる力を持っていることだ、と。……その通りです。私はそれに、言葉では返せませぬ。私は掠め取れる。それは真実、ですから」


 廷臣たちがわずかにざわめいた。認めたのだ。自ら進んで。


「小僧――」ガレアスが低く制しかけた。認めることは、罪を認めるに等しい。だがロゴスは、静かに手でそれを留めた。


「ですが、皆さまが恐れておられるのは、私の"心"ではございませぬな」ロゴスは続けた。「私が善き心を抱いているか否か――そんな、確かめようのないものを、皆さまは問うてはおられぬ。皆さまが恐れておられるのは、私の"力"だ。私がその気になりさえすれば、領を私物にできる、その力そのものだ。……違いますか」


「……続けよ」ドミティウスが言った。


「ならば、話はいっそ単純です」ロゴスは言った。「恐ろしいのが、心ではなく力であるなら。――私が証すべきは、心の潔白ではない。私からその力を奪ってしまえばよい。恐れるべきものが、そもそも無くなれば。皆さまはもう、私の心など案じずに済む」


 彼は廷臣たちの前へ一歩、進み出た。


(信じさせるのではない。信じる必要を無くすのだ)


「私は王に願い出ます」ロゴスははっきりと言った。「エンポリアの収税の蔵の鍵を。財務府の印を。兵を動かす令を。――その、領主代行の力の要となる三つを。私一人の手では決して動かせぬように、縛っていただきたい。蔵は財務官ガレアスと法の徒セウェルスの、二人の印が揃わねば開かぬように。兵は王の認めた者の副署なくば、一兵たりとも動かせぬように。……私が掠め取ろうとしても、私一人では指一本、動かせぬように。この身を、私自身の手で縛るのです」


 広間が静まった。ドミティウスの白磁の顔が、初めてかすかに動いた。


「……自ら己の手足を縛ると」


「はい。約束は破れます。ですが、破れなくした約束は、もう約束ではない。造りつけの檻です」ロゴスは言った。「私が善人だから掠め取らぬ、のではない。掠め取ろうにも手が届かぬ。……恐れの種そのものを抜く。これが私のお答えです」


(掠め取る気の者は、決して自分の手を縛らせぬ。自ら手を差し出す、この姿こそが、どんな誓いより雄弁な証だ)


 廷臣たちの間に、今度は揺れが走った。理屈でなく、その思い切りの良さに、幾人かが気圧されていた。ドミティウスさえ、しばし言葉を探すように沈黙した。ロゴスは確かな手応えを感じた。心を証すのではなく、力を手放す。この一手なら――


「――よくできた檻だ」


 その時。末席の若い男が、また静かに口を開いた。


---


 広間の空気が、再びその声で張り詰めた。廷臣たちが口をつぐみ、ドミティウスさえ、わずかに頭を垂れた。


「見事だと思う。本心から」若い男は凪いだ目でロゴスを見た。「己を縛る、という発想に辿り着ける者は少ない。おのれの力を恐れられて、なお、その力を肥やそうとするのが人の常だ。……だが、一つ綻びがある。その檻の鍵を握るのは、誰だ」


 ロゴスの胸が、ひやりとした。


「蔵は二人の印で。兵は副署で。結構。……だが、その"二人の印を誰にさせるか"を定めるのは、誰だ。財務官も法の徒も、お前が選び、お前が任じた、お前の臣だ。今日、縛った手を、明日、お前が『この者を印から外す』と令すれば、どうなる。……お前が自分で結んだ縄は、お前が自分で解ける。解ける縄は、縄ではない。飾りだ」


 ロゴスは答えられなかった。――正しい。恐ろしいほど正しい。自分で自分に掛けた鎖は、自分が鍵を持つ限り、いつでも外せる。


(この男……私が次に何を言うかを、私より先に見て、潰しに来ている)


「真に縛られたいのなら」若い男は続けた。低い、しかし揺るぎない声だった。「その鍵は、お前の手の届かぬところに無ければならぬ。お前を縛って、何一つ損をせぬ者。お前がいくら令しても、その令に従う謂れのない者。――そういう手に鍵を預けて、初めて、お前の檻は本物になる」


 彼はわずかに身を乗り出した。


「その鍵を――王に預けよ。エンポリアの収税も、兵も、財務府の印も。その、すべてを動かす最後の一手を、王の朱の可否に委ねよ。お前の領主代行の座、そのものを、いつでも王が取り上げられるように。……それができるか。できるなら、お前の檻は本物だ。できぬなら――お前の"縛り"は、はじめから身を守るための芝居だったと、いうことだ」


(――!)


 ロゴスは、その一言の底に開いた深い穴を見た。


(詰みだ。……昨日と同じ詰みを、一段高いところで、また組まれた)


 鍵を王に――王都に預ける。それはつまり、自分の力の生殺与奪を、この王宮の高みに握らせるということだ。そしてこの王宮の奥には、村を痩せさせ、財務府にすら触れさせぬ、あの結界札の王命の根が張っている。鍵を王に預けることは、その根の手の中へ、自分の命綱を置くに等しい。


(預ければ――私の座は、この者たちがいつでも抜ける栓になる。断れば――私の縛りは芝居だとされ、「掠め取れる力を持つ者」の恐れが、そっくりそのまま残る。……どちらの手も詰んでいる)


 昨日の悪魔の証明と同じ構図だった。証せぬ、と認めさせられ、土俵を返した。その返した先で、今日はこう来ている。――ならば縛れ。ただし鍵は、こちらへ寄越せ、と。相手はこちらが逃げ込む先を先回りして、そこにだけ罠を掘って待っている。


「ロゴスどの」後ろでガレアスが、押し殺した声で囁いた。「なりませぬ。座を王の一存で抜ける栓にするなど。……あなたを養い子と跡目に据えた、亡き殿の上申は、まだ王の封が下りておらぬ。裁可のないままの危うい座を、これ以上、王都の手の内へ――」


 ロゴスは目を閉じた。ガレアスの言う通りだった。亡きアウレリウスが彼を養い子とし、跡目に据えた、あの上申は、まだ王の朱を待っている。裁可されぬままの、借り物の座。その細い一本の糸を、いま自ら進んで、敵の指の間に通そうとしている。


(……だが)


 ロゴスは目を開けた。


(断れば、私はこの場で、「御しがたき力」のまま王都に留め置かれる。芝居と断じられ、力を恐れられ、いずれ力ずくで剥がされる。……そのとき剥がされるのは、私の座だけではない。私が力を恐れられて消えた、その先で、エンポリアの四府は、五本の柱は、どうなる。私が遺したものは、誰が守る)


 彼は天秤の両の皿を見た。片方には自由。もう片方には、生き延びて、いつか、渡した鍵を取り返す機会。


(――損切りだ。……瓦礫の丘のあの影が、莫大な施設一つを迷わず灰にしたように。私はいま、私の"自由"を灰にする。座を留め、明日を残すために。囚われても、盤の上に駒として残ってさえいれば、いつか指せる)


 ロゴスは顔を上げた。


「……お預けいたします」その声は静かで、しかし震えてはいなかった。「エンポリアの、力の鍵を。王の御手に。私の座は、王の朱の下で、初めて立つものといたします。……私はいつでも抜かれうる栓になりましょう」


 ガレアスが息を呑んだ。


 若い男は、そのロゴスを長いあいだ、凪いだ目で見ていた。やがて、ごくかすかに――笑ったのか、どうか。口の端が、わずかに動いた。


「……よかろう」彼は言った。「有能な善人が、自ら鍵を手放した。……国のためには、めでたいことだ」


 その声には、勝ち誇りも憐れみもなかった。ただ一つの駒が、盤のあるべき桝目に収まったのを確かめるような静けさがあった。ロゴスはその静けさに、あの森の夜の、瓦礫の丘で覚えた冷たさを、また確かに嗅いだ。だがそれが何なのかは、やはり掴めなかった。掴もうとするたび、指の間からこぼれていった。


(この男は誰だ。……なぜ私と同じ高さで盤を見ている。なぜ私の逃げ道の、その先で、いつも待っている)


 監察使ドミティウスが、王の封を捺した書を広げた。ロゴスの"自らへの縛り"は、王命としてその日のうちに書き記された。彼は罪に問われはしなかった。座を追われもしなかった。ただ――座の鍵を王都の高みへ明け渡して、エンポリアへ帰ることになった。


 勝ったのでも、負けたのでもなかった。ロゴスは自らの、いちばん賢い一手で、自らの首に、王都から伸びる細い鎖を巻いてみせたのだ。


(縄は掛けた。……鍵は渡した。あとはこの鎖を、いつ、誰が引くか、だけだ)


 その答えを、ロゴスはもう、うっすらと知っているような気がしていた。エンポリアへ帰る道の西の空が、来たときよりも、ずっと遠く見えた。


(続く)


---


【今回の理論メモ】コミットメント装置――「約束」ではなく「約束を破れなくする仕組み」で信じさせる


 コミットメント装置(commitment device)とは、「自分の未来の選択肢を、あえて減らすことで、約束を信じてもらう仕組み」のことです。「私は裏切りません」という言葉は、いくら誠実に述べても、相手には確かめようがありません。あなたには、裏切る力も、裏切る動機も、まだ残っているからです。だから口約束は"安い"。信頼は、心の潔白ではなく、しばしば「もう、できなくすること」から生まれます。古来、和平の証に人質を差し出したのも、退路を断つために自ら船を焼いたのも、同じ理屈でした。「破りたくても、破れない」状態を先に作ってしまえば、約束は初めて本物になる。ロゴスが差し出したのは、まさにこれでした。「掠め取らない」と誓うのではなく、「掠め取れないように、自分の手を縛る」。恐れの対象が心でなく力なら、その力そのものを手放せばいい――と。


 ただし、今回の相手が突いたのは、この装置の"急所"です。自分で結んだ縄は、自分で解ける。鍵を自分が握っている限り、その縛りは、いつでも外せる「芝居」に過ぎない。本物のコミットメントは、鍵を、自分の手の届かないところ――自分を縛っても何も損をしない、第三者の手に預けて、初めて完成します。逆に言えば、そこまでして、ようやく約束は信じられる。現実でも、ダイエットの宣言を友人に預けて破ったら罰金を払うと決めたり、企業が「違反したら第三者機関が罰する」契約を結んだりするのは、この形です。信頼を勝ち取るとは、しばしば、自ら進んで、自分の自由を手放すこと。――そして最後に、その鍵を"誰に"預けるかを、決して、間違えてはならないのです。ロゴスの悲劇は、預ける相手が、初めから決まっていた、その一点にありました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

前話のラスト、査問の末席に座る名も知らぬ若い男が、たった一言で「理」の土俵を蹴り倒しました。――問題は、掠め取ったか否かではない。掠め取れる"力"を、一人の臣が持っていることだ、と。今回は、その「力そのもの」を突きつけられたロゴスが、何を返すのか、という回です。


 ロゴスがまず気づくのは、これは言葉では勝てない、ということでした。「掠め取ったか」には証を立てて返せても、「掠め取れるか」には返せない。なぜなら、彼は本当に、掠め取れるから。在るものは、弁明できない。そこでロゴスが選んだのが、今回の背骨――コミットメント装置です。「掠め取らない」と誓うのではなく、「掠め取れないよう、自分の手を、自分で縛る」。蔵の鍵も、兵を動かす令も、自分一人では動かせないようにしてしまう。恐れの種が"力"なら、その力を手放せばいい。掠め取る気の者は、決して自ら手を縛らせない――差し出すその姿こそが、どんな誓いより雄弁な証だ、と。この診断も一手も、才の力ではなく、この一年、他人に「線を引いて権を渡す」ことを課してきたロゴス自身の思考の、刃を、初めて我が身へ向け直したものです。


 ですが、これは失脚の季節。若い男は、その檻の"急所"を、静かに突きます。「自分で結んだ縄は、自分で解ける。鍵が、お前の手にある限り、それは飾りだ」――正しい。本物の縛りは、鍵を、自分を縛って何も損をしない他人の手に預けて、初めて成る。そして彼は言う。「その鍵を、王に預けよ」と。ロゴスは、そこに開いた穴を見ます。王都の奥には、あの結界札の王命の根が張っている。鍵を王に預けることは、命綱を、敵の手の中へ置くに等しい。断れば「芝居」とされて力を恐れられ続け、預ければ座は"いつでも抜ける栓"になる。昨日の悪魔の証明と同じ詰みを、一段高いところで、また組まれたのです。


 ロゴスは、損切りを選びました。瓦礫の丘のあの影が施設一つを迷わず灰にしたように、自らの"自由"を灰にして、座と、遺したものと、明日を、残す。盤上に駒として残りさえすれば、いつか指せる、と。かくして彼は、自らのいちばん賢い一手で、自分の首に、王都から伸びる細い鎖を巻いてみせました。亡きアウレリウスの上申――養い子・跡目の裁可は、まだ王の朱を待ったまま。その借り物の座を、今、進んで敵の指の間に通してしまった。次回、第24話。掛けられた縄、渡された鍵。この鎖を、いつ、誰が引くのか。ロゴスがうっすらと知っているその答えが、エンポリアで、静かに形を取り始めます。どうぞお付き合いください。感想・ブックマーク・評価が、次を書く大きな力になります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ