1、すべてはまるで
本当に驚いた時、人間は声を失う。
今の俺がまさしくそうだ。
ぽかんと開いた口からはただ空気だけが漏れ、一切声が出やしない。
それは現国の時間だった。
抜き打ちの漢字テストが行われ、そのプリントを集めようと一番後列である俺が席を立ち、前に座る男の用紙をもらおうと、そいつの机上にふと視線を伸ばした時だった。
その机の上にはノートが一冊置かれており、見開いて置かれてあった。
そしてその白紙の両面が所狭しと何かで埋められているのだ。
図形の丸だ。
ただの丸。
円で囲まれた、あのごく一般的な、球形。
そのただの丸が、紙の隅々に至るまで大小さまざま、白紙の中をびっしりと埋め尽くしている。
な、何これ…
いけないものを見てしまった感覚はあるのに、どうしてかなかなか目が逸らせない。俺の脳内は、ぼんやりと平行線を極めた。
「ーーー佐藤?」
「…はっ」
声を掛けられたことで、俺の意識は無事教室へと舞い戻る。
俺は歪にその男の顔を見ると「あ…」と声を漏らし「ごめんごめん」とプリントを受け取った。
そして念の為に、もう一度だけ念の為に、とプリント提出後、自分の席に戻る道すがら、もう一度だけあの問題作を盗み見てみる。
やっぱり丸だ…見間違いじゃない……
所狭しと丸だらけ………
やっぱり恐怖の丸だらけ……
俺は夢ではなかった現実に薄目のままほんのりと微笑みを浮かべると、何事もないふうを装ってそのまま着席し、そして目の前に座る岩壁のようにでかい背中をそっと見上げた。
あんな奇妙なものを書き連ねてるなんて、こいつ、大丈夫かな…
先ほどの恐怖の絵面をもう一度だけ思い出してみる。
すると俺の頭はだんだんとその丸の世界に侵食され俺と丸とが溶け合うと、やがて一つの集合体へと変化していき巨大な渦へとなだれ込んでいった。
まるで溶け込むようにくるくると目が回り始めたところで、先ほど恐怖により堰き止められていたのか喉奥からなけなしの「ひえ」という蛙の踏み潰されたような声がようやく出たのだった。




