第47話 理想と犠牲
ジェラルドが一日の公務を終えて、ディオンと二人で話をする時間ができたのは、夕食の後、執務室に戻ってからだった。
昨夜はアメリーからの警告があったので、何かあった場合に備えて、寝室の外と執務室の中には近衛騎士たちが待機していた。ディオンも執務室で聞こえる限りは、話に耳をそばだてていたはずだ。
結局のところ、呼ぶのはアメリーだけで事は済んだので、大事には至らなかった。聞かれたくない話も公にせずに済んだ。
「まさか、本当にセリーヌ前王妃が憑いていたとは……」
昨夜の一部始終を語ると、ディオンは青ざめた顔でしばらく言葉もないようだった。
現実に悪霊や死者の声を聞いたことがないディオンにとって、マレナの狂言だったという方がまだ理解しやすいのかもしれない。
「ディオン、お前はヴィクトルがやったことを知っていたのか?」
ディオンの父、ヴィクトル・フォルジェがフランソワ王太子を暗殺した件について、ジェラルドは今まで何も知らされていなかった。その事実をセリーヌの口から聞いた時の衝撃は、言葉に尽くせない。
一介の貴族が王太子を殺害、都合のいい人間を王位につけようとする。それは簡単に容認できるものではない。ヴィクトルがそのようなことを画策しなければ、イザベルも処刑されることはなかったのだ。
「今まで黙っていたことをお詫び申し上げます」
ディオンは悩ましげに顔を歪めて、デスクの向こうで深々と頭を下げた。これまでニコニコ顔の裏に隠していた、本当の表情が見えたような気がした。
「お前もフランソワの暗殺に関わっていたのか?」
顔を上げたディオンは、神妙な面持ちで「いいえ」とはっきり答えた。
「私がそのことを知らされたのは、父の処刑の直前でした。父はフランソワ殿下を手にかける以上、処刑も覚悟の上だったと申しておりました。ただ、イザベル様まで巻き込んでしまったことは父の落ち度であり、大変申し訳なかったと」
「ヴィクトルは私を王にして、何をしたかった? そこまで権力に固執する人間だとは思っていなかったが」
そうでなければ、平民上がりの妾妃の後見などしたところで、損しかないように思える。その点だけが、ジェラルドの腑に落ちなかった。
「父が欲しかったのは権力ではありません。理想の国家です。陛下が即位する前、この国がどういう状況だったか、覚えておられるでしょう」
問われれば、ジェラルドもうなずかなければならないことだった。
このルクアーレ王国の長く続いた王朝は、長子が継承、何よりも血統を重んじてきた。国王の資質は問われない。古参の貴族たちは国王にうまく取り入って、自分たちに都合のいい政策、金や権力をほしいままにしてきた。
結果、被害を受けたのは平民たちだった。
国民の生活を向上させるための公共事業に使われるはずの金は、貴族の贅沢な生活に流れていく。平民たちは仕事を求めて大都市にやって来るが、行きつく先は貧民街。
仕事がなければ、食事にもありつけない。治安が悪くなるのと同時に、衛生環境も悪化して、疫病が頻繁に発生する。フランソワが死ぬ前も、王都の貧民街を中心に疫病が流行っていた。
「あの時、フランソワ殿下が何を提案したか――汚い街は人間ごと焼き払えばいい。そうすれば、疫病もこれ以上広がらないと」
「国王も貴族たちも賛同したな」
あの頃、ジェラルドは第七王子とはいえ、まだ成人前。国政への発言権はなかった。
「ジェラルド殿下は平民こそ国を潤す財産だとおっしゃった。彼らに仕事を与えるように国が計らわなければ、いずれ国庫は破綻する。貴族だけが栄える国に未来はないと」
「ああ。だがしかし、結局街は焼き払われて、多くの民が死んだ」
「はい。この国は腐っていました。その根源が王位の世襲にあるのなら、それこそを絶たなければなりません。そして、王としてふさわしい器量を持つ者が王位を継承する。父はジェラルド殿下であれば、ともに理想とする国を作れると、夢を見たのでございます」
「そのためには、フランソワを殺すことにもためらいはなかったということか」
「その通りでございます。父は死の間際、私に未来を託しました。ジェラルド殿下を必ず王位に就けよと。そして、この腐敗した国を生き返らせろと」
ディオンはいつになく感情を押し殺したように抑揚のない話し方をする。ジェラルドは無言のまま、続く話に耳を傾けていた。
「私は陛下の復讐心を利用して、王侯貴族の粛清を行いました。陛下は即位してからこの五年、本当に民のことを考え、勤勉に仕事に向き合ってこられました。国の状況も良くなってきています。まさしく父が望んだ理想の王になられました」
「それで?」と、ジェラルドは先を促す。
「しかし、代わりに陛下は坦々《たんたん》と仕事をこなされるだけで、まるで死に急ぐような生き方をしているように見受けられました。ご自身の身体を顧みない。妃たちとお過ごしになっても、癒やしになっているようには見えない。お子にも興味がない。父と私の理想のために、陛下にこのような生き方を押し付けてしまったことを悔やんでおりました」
物心ついた頃から共に育ったディオンは、ジェラルドにとって血のつながった異母兄弟たちより、兄に近い存在だった。ジェラルドが生きることに執着していないと、彼が気づかないはずがなかった。
(ディオンにも心配をかけていたのだな……)
「けれど、アメリー妃がいらしてからの陛下は、本当に人間らしくなられました。この先、陛下も幸せになられることでしょう。どうかアメリー妃を手放すことのないように」
「お前に言われなくても、分かっている」
「おかげで、私には何の憂いもなくなりました。理想の国を作るためとはいえ、イザベル様の死を利用して、陛下を犠牲にしてきました。私は父と同罪です。処刑も辞さない覚悟で、すべてをお話ししました。どうかご存分に処分を」
ディオンは再び深く頭を下げた。
少し前のジェラルドであれば、ディオンが隠してきたことに怒り狂って、そのまま首をはねていたかもしれない。そのような勝手な理想のせいで、母は殺されたのだと。
今はどうしてか、そうすることが怖いと思う。『殺せ』と叫んでいた悪霊たちの声を聞いてしまったからなのか。
殺されたことを恨み、殺した相手を憎み、何年経ったところで、その強い想いが消えることはない。この耳に届かなくとも、彼らは今この時も、恨み言を耳元で叫び続けている。
アメリーは自分を殺そうとしたセリーヌに対してさえ、やさしく丁寧に言葉をかけていた。懸命に竪琴を奏でていた。こうして離れている間にも、アメリーはジェラルドを呪う一体一体の悪霊と向き合って、話を聞き、天へ送っている。
これ以上、彼女の負担になるようなことはしたくなかった。平和な国になったからこそ、私情で誰かを殺すことはもうしたくなかった。
(ヴィクトルもディオンも、間違ったことはしていないのだから――)
「処分は保留にする」
「保留……ですか?」
ディオンはゆっくりと身を起こすと、困惑した表情を浮かべた。
「お前もヴィクトルと同じく、望むのは『理想の王』だろう。私もそうありたいと願う。それでもこの先、誤ったことをする可能性がないとは言えない。その時に容赦なく私を断罪してくれるのは、お前くらいのものだからな。生かしておくに越したことはない。私の側近として、これからも身を粉にして働いてくれ」
「陛下……」
ディオンの細い目から涙がこぼれるのが見えて、ジェラルドは目をそらしながらデスクの上に積み上がる書類を一つ取り上げた。
「話が長くなった。仕事に戻るぞ」
「はい、そうですね」
ディオンが慌てたように顔を拭きながら部屋を出ていくのを、ジェラルドは黙って見送った。




