第37話 手紙と花束
ジェラルド視点でスタートです。
アメリーが王宮を出て、ひと月ほどが過ぎた。春も終わりに近づき、時折夏のような日差しが照り付ける日もある。
ジェラルドのもとには、アメリーに護衛として付けている近衛騎士から毎日報告が入っていた。彼女はバリエ家に戻ってから、毎日のようにリュクス大聖堂に通っているらしい。
三日も行けば、用事は済むと思っていたのだが、一週間を過ぎ、半月を過ぎても、『王宮に戻る』という報告は入らない。
(まさか、二度と戻らないつもりでは……?)
何度となくそんなことを考えて、ジェラルドは不安に襲われていた。
そもそも里帰りを提案した時も、アメリーは『喜んで!』と言わんばかりに逃げていきそうで、口にするのをためらったものだ。
予想に反して、アメリーは気が進まない様子だったので、ジェラルドとしてはほっとしていたのだが。というより、アメリーと初めて心が通じ合えたようで、うれしくさえ思った。
ところが、こうも長くなってくると、『やっぱり戻るのはやめよう』と、気が変わったのではないかと疑いたくなる。
「陛下、それほど気になるようでしたら、手紙の一つでも書いてはいかがですか?」
仕事が手につかず、執務室をさまよい歩いているところをディオンに見られてしまった。
「な、なぜ、私の方から手紙を書かなくてはならない!?」
「アメリー妃がいなくなった途端に、寝不足のご様子ですし。帰ってきてほしいと思っているのは、陛下の方でしょう。手紙一つで、アメリー妃も帰りたいと思ってくれるかもしれませんよ」
「つまり、アメリーの方は帰りたいと思っていないということか?」
「大聖堂には毎日行っているようですが、帰りに街を見て歩いて、自由を満喫しているのは明らかです。再び王宮に閉じ込められることを考えると、逃げ出したくなるのも分からないではありません」
「アメリーはあれで真面目な女だ。毎日街をフラフラ遊び歩いているのならまだしも、きちんと大聖堂に行っている。まだ用事が終わっていないだけのことだ」
ジェラルドがそう自分に言い聞かせるのも、いつものこと。
実際、寝不足ではあるものの、悪夢にうなされて目を覚ますということはだいぶ減っていた。アメリーの言っていた通りならば、取り巻く悪霊の数が減っているということなのだろう。単に積み重なる仕事のせいで、ゆっくり寝ているほど心に余裕がないだけだ。
確かにこういう時にアメリーの竪琴を聞くと、何の不安も心配もなくなって、ぐっすり眠れる。週に一度そういう夜がなくなって、疲れがたまるのも当然といえた。
(あの音色が恋しいのは、私の方か……)
***
里帰りといっても、アメリーが生活するのはバリエ公爵家の離れになる。父オーギュストが亡くなってからの十年を過ごした場所。ラウラと一緒にいられたのは、その内たった三年だった。
それでもその頃の思い出がたくさん詰まっていて、アメリーにとっては『実家』と呼べるものだ。妃という地位にいる今、母屋の部屋に案内されそうになったが、アメリーは自分からこの離れに滞在することを希望した。
それに、ここなら誰に気兼ねすることもなく、思う存分竪琴を弾ける。
その夜も夕食の後、アメリーはベッドの上で胡坐をかいて、【交霊の調べ】をガンガン奏でていた。
「もう一か月よ、一か月。どれだけ悪霊になっているの!? どれだけしつこく貼り付いているのよ!」
リュクス大聖堂に行くのは雨の降っていない日だけなのだが、それにしても一日で祓える悪霊の数が少ない。リストに挙がっている名前を端から呼んで、【鎮魂の調べ】でささっと天に送る――などという簡単な話ではなかった。
まず呼び出すのに一苦労。どの魂も竪琴を激しくかき鳴らして、しぶしぶやって来る状態。しかも、言いたいことが山ほどあるらしく、『ああでもない、こうでもない』と、とりとめのない話に付き合ってやらないと、天に昇ってくれない。無視して【鎮魂の調べ】を弾こうものなら、即座に逃げ出す。そして、また呼び寄せるために【交霊の調べ】を激しく奏でなければならなくなる。
おかげで、ひと月かけても、リストの半分を超えた程度を祓えただけだ。単純に計算しても、あとひと月はかかる。
〈陛下に会いたいのでしょう? 経過報告も兼ねて、一度くらい王宮に顔を出してもいいのではないの?〉
相変わらず毎晩でもアメリーの愚痴に付き合ってくれるラウラは、ジェラルドがそばにいないおかげで、『押し倒せ発言』はしない。代わりに、『王宮に顔を出せ』という言葉が繰り返される。
さすがにひと月。ジェラルドの方もしびれを切らしたのか、今日は手紙が届いた。
『まだ終わらないのか?』と、ひと言。
怒りが垣間見えるような一文を、わざわざ豪華な花束を添えて送ってくる意味が分からない。
「あとひと月はかかる、なんて報告したら、余計に怒らせそうで怖いわ!」
もっともバリエ家では、そんな花束が届いたおかげで、『離縁したわけではなかった』と理解してくれたらしい。アメリーは実家に戻って以来、後宮を追い出された『出戻り女』扱いをされていたのだ。
今いるバリエ家の面々は、もともとエリーズに王妃になってほしいと思っている。アメリーが戻ってきたことで、これ幸いに喜んでいる空気を痛いほど感じていた。
離れで生活しているおかげで、そういう煩わしさをそれなりに回避できるのもありがたい。しかし、時が経つほどジェラルドに忘れ去られてしまうようで、心もとないのも事実だった。
(だって、わたしがいない間も、他のお妃様たちとは寝室を共にしているわけでしょう……?)
夫婦の関係がなくても、週に一度、竪琴を聞いてもらえる時間がいかに貴重だったのかを思い知らされた。
花束が送られてきたことで、好意的に解釈すれば、『忘れられていない』ということになる。
男性からもらう初めての花束は、そこにどんな意味が隠されていようとも、受け取った時の喜びはあった。赤を基調にしたいろいろな種類の薔薇の花は、狭い離れの中を甘くさわやかな香りで満たしてくれる。生けられた花瓶を見るたびに頬が緩んで、幸せな気分にさせてくれるものだ。
「陛下にお会いしたいとは思うけれど、竪琴の継承者としてきちんと役目を果たす前には、顔を合わせられないわ」
やれやれといったようなラウラのため息が聞こえる。
〈頑固ねぇ。そういう時は、『わたし、頑張っているのです。もう少しお待ちください』って泣きつけば、かわいい女になれるのに〉
「わたしにそのような芸当を求められても無理よ」
今日はもう一通、サラからも手紙が届いた。アメリーが後宮を出る前、マレナの様子を伝えてほしいと頼んでおいたのだ。
「お任せください」と胸を張っていただけあって、三日にあげず報告書を送ってくる。アメリーがいない間、サラはマレナの世話を率先してやっているらしい。
後宮での事件以降、国から連れてきた侍女たちはともかく、女官たちは腫れ物に触るようにマレナに近づきたがらないという。おかげでサラも自然な形でマレナのそばにいられると言っていた。
このひと月でマレナの骨折は順調に回復し、まだ松葉杖をついているものの、もうギプスは外れている。しかし、目を覚ませば取り乱して、医師の薬で眠らされる日々を過ごしているという。ジェラルドにも合わせる顔がないと、水曜の夜も王の寝室を訪れていない。
今日届いた手紙には、マレナも徐々に落ち着いてきて、次の水曜日にジェラルドと面会する旨が書かれていた。
新しいことはその程度で、前回の手紙が届いてからの間、特筆すべき事件が起こった様子はなかった。
「あの悪霊は今頃、どこで何をしているのかしらね……」
〈あなたが近くにいないから、自由に動き回ってもいいはずなのだけれど〉
「特に動きがないということは、マレナ様が回復するのを待っているということかしら」
〈そうね。憑依してあれだけのことができる身体というのは、悪霊からしたら使い勝手がいいでしょう。他の身体では思うように動けなかったのかもしれないわ〉
マレナに憑依していた悪霊が女性だということは確信していたので、このひと月、リストの中でも女性を優先的に呼び出していた。その数、およそ半分。これから呼び出す魂は男性しか残っていない。にもかかわらず、呼び出した魂の中に、マレナに憑依した女性はいなかった。
「やっぱり、一度王宮に戻った方がいいのかもしれないわ」
〈陛下に会う気になってくれたの!?〉
ラウラの甲高い歓喜の声が、アメリーの耳を突き刺す。
「陛下にお会いするというより、王宮の墓地に行きたいのよ。大聖堂で呼び出す女性はもういないから」
アメリーは顔をしかめながら答えた。
〈どちらでもいいけれど。王宮に行くとなると、陛下と顔を合わせないというわけにはいかないでしょう? 今度こそ、正式な妃になるのよ!〉
(その心の準備はまだできていないのだけれど……)
ラウラの嬉々とした声を聞かなくて済むように、アメリーは竪琴を弾く手を止めた。
とはいえ、ラウラの言う通り、ジェラルドに会わずに王宮の墓地にだけ行くわけにもいかないだろう。
(……あら? そもそも『心の準備』って、何をすればいいのかしら)




