魔王と魔女らしいと思います
目的は……まぁ、最終的にはお金だろうな。
まんまと誘拐犯に攫われてしまった。そのために強制的に眠らされた意識が戻った時にまず感じたのは身体の痛み、それから淀んだ空気に交じった埃っぽさだった。
明かりは換気のためであろう小さな窓からささやかに差し込むだけ。
薄暗いこの場所がどこかなど知る故もないが、クッションも何もない木の床の上で、腕を後ろ手にがっちりと縛られた状態で転がされていたせいで、関節があちこち痛む。
腕だけではなく、足も足首と膝をご丁寧に縄で縛られている。どうにか上半身だけは起こしたが、そこから立ち上がるのは難しそうだった。
視線を動かすが他に人の気配はなかった。部屋の中は樽や、何かが入っているらしい布の袋などが積まれているから、おそらく倉庫のような場所だろう。
縛られた手足を頑張って揺り動かしてみたが、今の私の力ではどうにもなりそうもなかった。
(……勘弁してください。こんな失態知られたら、ルーナにどれだけ怒られるか分かったものじゃないというのに……。)
さすがに油断が過ぎた。治安の悪い場所であることはわかっていたはずなのに。はぁ、とため息を零しながら、自分の迂闊を後悔するばかりだ。
もう一度ため息を落としてから、さてどうしたものか、せめて懐に隠してある刃物が無事なら、それを使えばなんとか、と頭を切り替えようとした、そこで気づいたのだが。
服を脱がされていた。
いつもかぶっているフード付きのマントやスカートが剥がされている。
全裸にまでされていたわけではないが、今身にしているのはブラウスと下着だけ。縛られた足も靴を脱がされていた。
一瞬、誘拐犯の目的が金ではなく、寝ている間に口にするのも憚られるような行為でも受けたのかという悪い想像にぞっとしたが、それなら裸にまで剥かれ、行為の痕跡もあるだろうが、それらしいものはないので、単純に衣類も金にするつもりなのだろう。
そのことには安堵したが、状況自体はちっともよろしくない。これでは服の内側に忍ばせていた頼みの刃物もむこうの手の中だろう。少し落胆した。
(さて、どうしたものか……。)
犯人の目的が金ならどこかに売り飛ばされでもするのだろうか。この治安の終わった町なら、路地裏にでも足を向ければそんな店もきっと事欠かない。
すぐに殺されはしないとは思うが、逆にそれしか救いがない。
売り飛ばされ、そこで屈辱的な思いをする羽目になる覚悟が必要だろうか。気が重い。
だが、失った魔力だって、もう数日もすれば回復もしはじめるだろう。そうなれば選べる選択肢は一気に増える。
……とはいえ不安しかない。最悪数日我慢すればいいだけだと自分で自分を鼓舞……しないと、とてもやってられない。
(このままいつまでも放置はされないはず。さて、どう立ち回るのが正解なのやら。)
とはいえ、この様では誰かがここに顔を出すまではできる事は特になさそうだ。
そう思った矢先に、騒がしい足音が扉の向こうから聞こえた。駆け足でこちらに向かっているのが伺える。
おでましかと扉へ目を向けると、外側から勢いよく開いた。
(随分と迂闊なようで。)
そこで都合よく誰かの助けが、などは期待はしていない。当然扉を開け放った人物は私の知らない中年の男だった。
背は低くどちらかといえば細身。
チュニックの上にコートを纏った、この町の男性として特に珍しくない服装だが、布はよれて、着こなしはかなりだらしない。
興奮した様子で細い目を見開いており、その片目には眼帯。濃い茶の乱れた長髪は、伸ばしているというよりも、無精ひげや服装の様子からして、シンプルに無頓着で伸びるに任せているだけだろう。
……人を誘拐した犯人か、あるいはその関係者か。犯罪行為を行っておきながら、素顔を隠す用心すらしていないとは迂闊だなと、まず思ったのはそこだった。
「あ、あの……う、あっ!!」
男は私の反応など、そんなものはどうでもよさそうに、駆けてきた勢いのまま、私の元でしゃがみ込み、肩叩いて片手で私の身体を押し倒そうとしてきた。
当然抗えるはずもなく背中を床に叩きつけられた。
そのまま男の手は私のブラウスをひっつかみ、無理やりに布を引っ張りはじめる。
私の残された衣類を脱がそうとする男の様子は、興奮しきりだ。
(……まさかっ……!!)
最初に否定したが、そういう趣味を満たすことも、誘拐の目的に含まれているのか。
悪趣味にも反応が見たくて、私が起きるのを待っていたのか。嫌な想像にぞくりと冷汗を浮かべるが、抵抗はできない。男の様子からして交渉の余地もなさそうだ。
強引にひっぱられたせいでブラウスを留めているボタンがいくつかはじけ飛んでしまった。
脱がされる。
自分でも、殿方が喜ぶような体つきはしていないとは思っている。脱がされたそこに、ふくらみなど望むべくもない。
だからといって名前も知らない男性に肌を見られて、当然何も思わないわけじゃない。下着姿を晒しているだけでも羞恥は覚える。それなのに、これ以上は。
演技ではない悲鳴と涙が漏れそうになるのを、せめて堪える。
だが、男が開いたブラウスの中身、私の薄い胸元へと露骨な視線を向けてくると、身体は羞恥と恐怖に震えてしまった。
(いや……っだっ……!)
この先の展開の想像に身体も心も強張ってしまう。
が。
「おい落ち着けって、怪我はさせてねえよな、売る事になったら値段が下がる。」
男を追うように入って来たもう一人の男の声が響いたところで、私を組み敷いている男の手は止まった。
……男の目線は、もう私の胸元ではなく、ブラウスの胸ポケットの中に移動していた。
そこにも何もないことを確かめると、それで私への興味はすっかり失ったようだ。
肩を抑えていた手も外され、男は私に言葉をかけることさえなく気怠そうに立ち上がり、今入って来た男へ振り返り、肩をすぼませていた。
「あんな金持たせてるくらいだから他にもあるとか期待するだろ。」
「ナイフとコートも相当な値段になるだろうから、そう欲張るな。このガキの身代金もある。」
二人の会話の中に出たナイフとコート、とは私からひっぺはがしたものだろうし、懐にはそれなりのお金も入れてあったから、きっとまだあるはずだと、金目のものがないか期待していた、男の勢いはそういう事のようだ。
更に身代金、そう言ったのだから、今入って来た彼も誘拐犯の一人だろう。
ひとまず、彼らの誘拐の目的がお金だけであった事に安堵のため息を零しながら、もう一人の男に視線を向けた。
小柄な長髪の男と比べて随分背は高い。厚めの生地のコートをきちんと前で留めて羽織っており、歳は二人とも同じくらいに見える。30台の後半ほどか。
短い黒髪で厳つい顔つきの男は、私と目が合うと、鼻で笑うような素振りで見下ろしてきた。
「大人しくしてろ。殺しはしないが、五体満足でいたかったらな。」
「服を返してくださいといってもその気はなさそうですが、せめて身体を隠す布くらいかけていただけませんか。」
ブラウスのボタンを引きちぎられ、鎖骨も胸元もはだけた状態。手は後ろで縛られているせいで隠す事もできない。
せめて胸元を足で隠そうとしても、下半身も身にしているのは下着だけだ。
向こうが私のような貧相な身体に興奮はしないにしても、それはそれ。人前でこんな恰好でいる事に覚える羞恥はさすがに耐えかねる。
「なんだ、一丁前に恥ずかしいのか?半泣きのくせに懸命に虚勢張りやがって、まあうるさく泣きわめかれるよりはいいがな。」
一応言ってみただけで、こちらの要望が通るとは思ってはいなかったが、やはり取り付く島もなさそうだ。
足を身体に寄せ、座ったままだが少し後ろに下がりながら男を睨むが、並んで立つ男は二人ともは余裕めかせた態度で、にやにやとこちらを見下ろしてくるだけだった。
「まったく、この町の往来で、あんな上等な服着てこんな高い買い物なんかしてたら、誘拐してくださいって言ってるようなもんだぞ、お貴族様ってのは、世間知らずだねえ。」
背の高い男が懐から取り出したのは、今日、魔王から贈られた髪飾りだった。
私の頭を飾っていたはずのそれがなくなっている事に気付いたのはその時だ。
それが誘拐犯に目をつけられた原因になってしまっていたとか、彼らが私を貴族と勘違いしているとか、そんな事は今はどうでもよかった。
「……!あっ……!」
贈られてからまだほんの少しの時間しか過ぎていない。贈ってくれた相手にも、その品にも、そこまで執着する理由はない。
そのはずなのに、胸に抱いた感情に、思わず私は目の色を変えてしまった。
もし身が自由であれば、奪い返そうと踊りかかったであろう、その程度には怒りや苛立ちを覚えたし、そうできない悔しさや惨めさ、それに、易々と奪われてしまった事に対する、贈ってくれた相手への申し訳なさ。そんなもので私の中は一瞬でぐちゃぐちゃになってしまった。
私が露骨にそのように感情を乱した事で、男たちの笑みは嗜虐的な色を増した。
「返して……ください!」
だが私は冷静ではいられず、感情に任せて声を荒げてしまった。返してくれる筈はない事はわかっているのに。
「これくらいならお前のお父様にまた買ってもらえばいいんじゃないか?」
「……お金が目的なら、私の懐に相応の量はあったでしょう!それだけはっ……!それだけでも!」
おそらく、あの男ならば同じ品を求めれば応じてくれるだろう。
だが、そういう事じゃない。今日という日の記念だと、そう言っていた。それを面白半分に奪われ弄ばれたようで、不快感と嘆きに胸が押しつぶされる。
思わず私は不自由な身体のまま、立ち上がろうと足や腰を動かすが、おしりを床に擦り付けながらずりずりと牛歩以下の速度で前に出る事しかできない。
「うっ……ぐあっ!」
だが、小柄な方の男に頭を蹴り飛ばされて、仰向けで床に転がされた。
「こちとら食うに事欠く毎日だってのに、こんな腹の足しにもならん品に必死たあ、気楽な身分だよなあ。」
そう笑われながら、更にお腹を踏みつけられ、思わず呻いてしまう。
「お願い……です、その品、だけは……あ、ぐっ……!」
それでも男を睨みつけて言葉を紡ぐが、もう一度腹を踏まれて声は悲鳴に遮られた。
……お腹の痛みなど大した事ではない。
だが、男の手に私の髪飾りが握られている光景を見るのが耐えられない。屈辱と焦燥に涙さえ滲む。
そのような態度を見せれば更に男たちはつけあがる。そんなことはわかっているはずなのに。
涙が抑えられない。
「別に俺たちは金が手に入ればいいだけだからな、それがお前の親が持ってきてくれるはずの身代金でも。お前を奴隷市場に売り飛ばした金でも、どっちでも構わんぞ?こっちの気分次第だ、それを忘れんな。」
もう手足が千切れてしまってもいい。そう思い必死に手足を縛る縄が、手首や足首に食い込む事も構わずに引っ張るが、今更どうにかなるはずがない。
せめて悔しさをむき出しにして二人を睨みつける、それも当然何の効果もない。
小柄な方の男が腹を踏むのはやめてくれたが、入れ替わりに、背の高い男は面白がったように私の傍でしゃがみ込んで、手を伸ばして来た。
「……!!」
男の手はそのままブラウスに伸びて前を広げた。
男からすればただの冗談めかせた行動だろうが、胸を、そこを曝け出された恐怖と羞恥に震えて、思わずひっと息を呑んでしまう。
「顔は整ってるし、お前みたいなガキの方が良いってどうしようもない変態も割といるからな。売る方が金になるか?そうなったらこの程度じゃ済まねえだろうし、今から慣れといた方がいいぞ。何なら、相手でもしてやろうか?」
あざ笑う男の視線に晒されながら、必死に身をよじる。手も足も限界まで力を籠める。だが、やはり縄はびくともしない。
相手をと、男の発言はただ私を煽るためのもので、本気でそうするつもりはないとは思うが、この状況では恐怖でしかない。
冗談めかせてこちらに手を伸ばしてきた、もうそれだけで身体が強張る。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。ぶんぶんと頭を振りながら、零れる涙はもう抑える事ができない。
どうしたらいい。この状況を一体どうしたら。
最悪数日我慢すれば。最初はそんな風に思っていたが、もうこの状況で既に耐えられていない。
今自分がいる現実の状況、その先を想像するともうそれだけで、思考が恐怖で縛られて、何もできない。
「いやああああっ!ああああああああああっ……!!」
押さえられない感情を乗せただけの悲鳴が漏れて、みっともなく泣き叫んでしまう。
涙に滲む視界の中、男の勝ち誇った笑みを見るのが耐えきれずに固く瞼を閉ざし、私は現実から逃げた。
突然、部屋の中にドゴ、と分厚い木の板が破壊されるような轟音が響いて、私の悲鳴に重なった。
何があったとすぐに目を開く勇気は湧かなかったが、それでもと、おそるおそる目を開く。
小柄な方の男の首が、ちょうど胴体から跳ね飛ばされ、首から鮮血を吹き零しながら倒れこむ光景が視界に入った。
赤い視界の先、部屋のドアは粉砕されていた。先ほどの音はそれだろう。
そして、砕かれた部屋の扉の前に立っていたのは。
「……魔女。」
魔王。冷たく低い声で、短く私を呼びながら、表情は無表情。だが、私までも呑まれそうな殺気を纏い、かなりご立腹な様子が見て取れた。
「な、なんだ……。」
私を組み敷いていた男は、突然現れた男にいきなり仲間の首を刎ねられた光景に、理解が追い付かずに固まっているようで、かろうじてそう声を出すばかりだったが、その声は露骨に震えていた。
魔王は表情を変えずにずかずかと私の元へ踏み込み、その最中、しゃがみこんだままの男を虫でも払うかのように腕で薙ぎ払った。男ははきりもみしながら吹き飛ぶ。
部屋の中に積んでいた布袋や樽を派手に蹴散らし、再び派手な轟音を響かせながら、壁へと叩きつけられた男は、そこに赤い染みを作り、崩れ落ちる。
突然の状況の変化に、私の方も驚き固まって、彼へ何か気の利いた言葉の一つどころか、助かったという現実感さえまだ希薄なまま、止まらない涙にしゃくりあげるばかり。
「すまない。俺の手落ちでお前を危険な目に遭わせてしまった。許してほしいなどとはとても言えぬが、どのような罰でもお前の望むように。」
私への第一声は真摯な謝罪で、申し訳なさがにじみ出たような顔色をしていた。
が、私の半裸に剥かれて手足を縛られている姿を見た途端、露骨に表情を歪ませる。
慌て脱いだコートを、私の身体に被せながら、今しがた吹き飛ばしたばかりの男に視線を向けた。
「……ゾンビにでもして蘇らせてから、もう一回殺そう。」
「その、腕だけで構いませんので、先に縄を解いて頂けたほうが嬉しいです。」
私の身体なら、全身がすっぽり入ってなお余る丈のコートの中で紡いだ言葉は涙声。
「……こちらも動揺していた、その、すまない、本当に……。」
それもそうか、と再びこちらを向きなおした彼の表情は、私に笑みかけようとはしているが、消せないらしい憂いや後悔を含んだような悲痛なものだ。
それらは私に対しての申し訳なさから来るもので、その顔色を消せるのは私だけだろうと、なんとか彼を元気づけるための言葉を探しながら、腕を縛られている背中を彼に向けた。
「……その、お金をまだ持ってないかと剥かれただけ、それだけです。何もされていませんから、そんなに気にしないでください。」
私の腕を戒めていた縄は、魔王がそこに指先触れただけで、解け千切れる。それでようやく助かったのだという実感を得て、振り返って彼に笑いかけるくらいの余裕は戻った。
「守るといって失態を晒したばかり。信頼されずとも当然だとは思う。」
それでも魔王の機嫌は晴れないようだ。
なんだろう。助けに来た自分をもっと誇らしげに、助けた私に、褒める言葉を求めるくらいの方が彼らしいと思うし、私としてもそれでいいのに。
「お前がそのように泣きじゃくるなど想像もしていなかった。その、本当にすまない。そんな時に傍にいられなかった自分が歯がゆいし、許せそうもない。そのような思いをしたのであれば存分に気が済むまで泣けばいい、そう言ってやりたいのに、この体たらくではではその資格もない。」
今度は彼の方が涙をこぼしそうな気配。この状況を完全に自分のせいだと背負い込んでしまっている。かける言葉がみつからなくなった。
……失敗した。
彼からすれば私が、あれだけ痛めつけてもまるで怯まなかった私が、みっともなく涙顔など、何をされたのだと心配にもなるのは当然だった。
だからといって、何があったと問うなど、私の傷口に塩を塗るだけだけだと分からない男ではないだろう。
彼の言うように、私がいっそ気が済むまで泣きじゃくったほうが彼からしたらよほど安心できたはず。
それは、本当に真摯に、真剣に、私の事を心配してくれている。大切に思ってくれている。その証左ではないかと思えて。
そんな彼を私は裏切ってしまった。その自己嫌悪を感じて、それで。
(あ……。)
気づいた。
泣きわめく程の嫌悪を抱く状況だったにも関わらず、私の中に「彼が助けに来てくれる」という発想が全くなかった事に。
「……魔王様。私からも魔王様に謝罪しなければなりません。ですからそれでお互いの後悔は帳消しとなりませんでしょうか。」
彼に向きなおす体勢をとってから、そのように告げた発言は予想外だったようで、少し目を見開いた彼をまっすぐに見る。無言で続きを促す彼に言葉を続けた。
「貴方がこうして助けに来てくれる。そう期待して待っていれば良かった。そのことを失念して、挙句、感謝の言葉さえ述べていない。……傲慢でした。貴方の私への好意に対して、礼を述べたつもりでいて、その実胡坐をかいていたのかもしれません。改めなければならないと思います。本当に……申し訳ありませんでした。そして。ありがとうございました。」
彼が来てくれる、そういう希望があれば、私だって立ち回りは全然違ったはずだ。こんな泣きはらした顔で彼を出迎える事はなかったかもしれない。
私はなるべく、作り物ではない笑みを浮かべて告げてから、頭を下げる。
魔王は一寸考え込むような表情を浮かべた後、ようやく表情に明るさを取り戻した。
「それはつまり、俺の気持ちに応えるつもりに、少しはなってくれたという事で良いのだな?」
「魔王様、その、魔王様は私をお求めのようですが、改めて聞きますが本気ですか?……見たでしょうに。こんな貧相な上に薄汚れた、女とも呼べない者を、本当に抱く気になれるのですか?」
食い気味の返事で調子を戻した魔王の問いは、否定はしない。しない代わりに返した質問は意地悪だとは自分でも思うが、実際私の身体はこうなのだから。
「お前が汚されたと感じているなら、俺で上書きしたい気持ちしかない。それに、傷心のお前からすれば最低な発言に聞こえるだろうが、男というものは至極単純なのだ。このような形でもお前の肌を視界に収めた事自体に対しては、正直今もたぎっている。」
が、向こうは向こうで、満面の笑顔で思わず吹き出しそうな返事を返してきた。下品。そう言いたいが話を振ったのは私の方だ。
だが、調子が戻った様子であることには安心して、私もつられて笑った。
「私の中身に惚れたからと、こんな身体に発情するというのは、やはり理解に苦しみます。」
「俺はありのままのお前をただ求めている、それだけだ。……と、そういえば。」
言葉を交わしながら、不意に魔王は指先で私の髪を撫でた。先ほどは頂いたばかりの髪飾りがあった場所。
無くなった理由は説明するまでもなく察したようで立ち上がったので、背の高い方が持っているはず、と告げると、さきほど吹き飛ばした男の元へ足を向けた。
私はその間に縛られている足の縄を解く事にした。
「参ったな。これも軽率だった。」
特に問題なく、髪飾りを取り戻して戻ってきた魔王は、また少しバツが悪そうな表情に戻っていた。
あの勢いで吹き飛ばしたのだから壊れでもしたかのかと思い、形が残ってさえいれば、思い出の品に出来るのであればそれでも構わない。そう言葉を向けようとしたのだが。
「お前の気持ち的に受け付けないなら別の品を改めて……。」
壊れはしていないようだが、べっとりと血糊まみれになっていた。
魔王が取り出したハンカチで拭いはしているが、一度そうなってしまったものを身にするのは心情的にどうか、という心配をしているらしい。
「これも思い出なのでしょう?それに、魔王と魔女らしいと思います。」
私からすれば手元に戻っただけでもありがたい。
そうやり取りする間、私は固く結ばれた足の縄を解こうとしては悪戦苦闘していたが、私の元に戻って来た魔王が、私の前で膝をついて、縄を爪先でちょいとひっかいた、それだけで千切れ解かれた。
ようやく足も自由になったので、彼のコートに包まったまま立ち上がる。これで目線の位置高さは大体同じ。
「今度は、貴方の手で着けていただけないでしょうか?」
「喜んで。」
私がそう要求すると、彼はふっと笑いながら私の髪に指を伸ばす。
彼の手で、再び金色が私の黒髪に飾られた。それを今は嬉しく感じて、自然と表情は綻んでしまう。
「ありがとう、ございます。」
着けてもらったばかりの髪飾りを指先で触れながら、礼を告げる。むこうも満足気に笑みを深めていることにほっとした。
だから、目線を合わせるために屈んでいる彼に、今度はこちらからも手を伸ばしてみた。
魔王の頬に手を添える。したいようにさせてくれたので、彼へ一歩距離を詰めて。
少しだけ迷った。その後に。
彼の頬へ唇を寄せ、口づけを落とした。
してしまってから、押し寄せた羞恥に一気に頬が染まってしまった。
一瞬驚いたように目を見開いた後微笑む彼に、とても目は合わせられそうにない。
目線を逸らしながら、かぶっていたコートを頭まで覆って顔を隠した。
「……こんなものでも貴方へのお礼になると、そう自惚れてもよろしいのでしょうか?」
「お前が自分から望んでくれるまでは、最低限の節度くらいは保ちたいと思っているのだ。そのような事をされては、抱きしめたいという衝動に蓋ができそうもない。」
そう言いながら彼の腕は私の身体に伸びる。離れようとすればそうできる、そのくらいのやんわりとした動作。
言葉通りに、腕の中に私の身体がすっぽりと収まり、そのままぎゅっと抱きしめてきたが、特に抵抗はしなかった。
これで彼が満足するなら構わない、そのくらいの恩義は感じている。
(あったかい……。)
自分よりもずっと大きな男性の腕の中で抱かれる事に、感じたのは安心感。存外、悪くはないなと思ったところで、一度抱きしめた事で満足したのか、彼の腕はすぐに離れた。
「とはいえ、こうしてのんびりするのはここを離れてからにしよう。お前の服や荷物もどこかにあるだろうし、それだけ取り戻したらもうここに用事はない。ここに来るまでに結構やんちゃもしたからな。早く離れないと面倒になりかねない。」
すぐに離れた彼に、意外そうな顔をして見上げたところ、そのように言葉を向けられた。
言われてみれば、確かに死体が二つ転がっている場末の倉庫でこんなことしてる場合ではない。
……彼の口ぶりであれば、ここに来るまでに転がしたのはこの二人だけではないのだろう。いくら治安の悪い町で、相手が犯罪者とはいえ、殺人の現行犯とされれば面倒は想像に易い。
「全て怒りに任せてしまったのは申し訳なかったな。お前の留飲を下げるために一人や二人は残しておくべきだった。」
「貴方が助けに来てくれた、今の私にはそれだけで充分です。」
それよりも急ぎましょうか。そう告げたところで、彼は再び私を抱きかかえ上げようと手を伸ばしてきた。まぁ今更抵抗はしない。彼に抱えられて歩いた方が移動が早いのは確かだ。
再び彼の左腕に収められた。そのまま魔王は立ち上がるが、彼が来ていたコートは私が纏っている。チュニックを着ているだけだから、さっきまでよりも彼の腕の感触が解りやすい。
細身ながら筋肉質。しなやかで、いくら小柄とはいえ片手で軽々と私を抱えるその腕は随分と逞しいと感じた。
その腕に抱かれていると覚える安心感が強いのは、さきほどまでの状況のせいだろうか。
「行こうか。」
一度微笑んでから急ぎ、部屋の外へ足を向ける彼を見る。
初見の際に抱いた彼への嫌悪感などもう、どこ吹く風。彼の整った横顔や、ちらと覗き見える喉元から放たれる色気は、相変わらずすごい。
胡散臭いとさえ思えたそれが、今はなんというか。心地よいと感じてしまった自分に戸惑う。
(色男に言い寄られただけで舞い上がるほど、軽薄ではないと思いたいのですが。)
こんなちんくしゃがそう自称するのはおこがましいとは思うが、結果として私は捕らわれのお姫様で、彼は助けに来てくれた白馬の王子様だった。
私の中にもそういう部分があるのかもしれない。だから少し、そういう勘違いもしてしまうのも仕方ない。
「どちらかといえば、お姫様を攫う側だと思うんですけどね。魔女と魔王は。」
自然と出た独り言に、不思議そうに小首を傾げる魔王に咳ばらいを一つしつつ。なんでもないと適当にごまかした。