幸せになる努力
アルベルテュスにとって人生で一番初めの記憶は、暗い部屋で、小さな檻に入れられ、手足を鎖で繋がれた状態だった。
常に虚ろな状態だったアルベルテュスはこの当時、どのような扱いを受けていたのかすらよく覚えていない。ただ、いつも空腹に耐え、檻の外にいる大人の男達に怯えていた。
そのような状況の中で、その日。アルベルテュスは、異様な音を聞いた。聞いたこともないような爆音と、男達の悲鳴。
いつも悲鳴を上げるのは女や獣ばかりなので、野太い悲鳴が不思議でならなかった。
しばらしくて辺りが静寂に包まれると、アルベルテュスが閉じ込められている部屋の扉が開いた。
眩しさに目を細めながらもそちらへ視線を向けると、扉の前に立っていたのは一人の女性。大人と呼ぶにはまだ少し幼さの残る少女だった。
「アーくん! 今すぐ助けてあげるからね!」
彼女はアルベルテュスが閉じ込められている檻に紙を貼りつけると、次に液体を檻にまき散らし「アルケミア!」と唱えた。すると、硬くて頑丈だった檻が、砂のように崩れる。
同じ要領で彼女は、アルベルテュスの手足に繋がれている鎖も外してくれた。
この状況が「助け出された」とわかる年齢だったなら、アルベルテュスも安心できただろうが、三歳児であり、これまでひどい扱いしか受けてこなかった彼には、ひたすら恐怖でしかなかった。
身体を縮めてブルブルと震えるアルベルテュスを見て、少女は悲しそうな表情を浮かべる。
「今まで辛かったんだね。けど私が助けに来たから、もう大丈夫だよ。一緒に私のおうちへ行こう?」
『辛い』の意味すら理解していなかったアルベルテュスは、少女が何を言っているのかよくわからない。けれど、大きな人間に逆らうとひどい目に遭うことは、無意識に理解している。
抵抗せずにいると、少女はアルベルテュスを布で包み、重たそうに抱き上げた。
今まで接していた男達とは違い、安らぐ香りと、心地よい温かさ。自然とアルベルテュスの身体の震えは消えていった。
「やばっ。本物のアーくんめちゃ可愛い! 尊すぎる!」
やはり、この少女の言っている意味はわからない。
それが、アルベルテュスにとって最古の記憶だった。
少女の名は、ローシェと言う。
彼女は、自分の家へとアルベルテュスを連れて行くと、手取り足取りアルベルテュスの世話をするようになった。
「お風呂で気持ちよくなって、美味しいご飯を食べて、温かいベッドで寝ると、幸せになれるでしょう。アルベルテュスはどう? 今、幸せ?」
それが人間の基本的な幸せであると、ローシェは毎日のようにアルベルテュスに言い聞かせていた。人間は幸せに生きるために、この世へ生まれたのだ。だからアルベルテュスも、『幸せになる努力』をしなければならない。と。
ローシェの教えどおりに実行する毎日は、アルベルテュスにとっても幸せを理解できるものであった。
そしてそれを与えてくれるのは全て、ローシェであると気づき始めた。
次第にアルベルテュスにとっての幸せとは『ローシェ』であると、認識するようになる。
ローシェの職業は錬金術師というものだった。
彼女は決してアルベルテュスを一人にすることはしなかったので、彼女の仕事を見学するのがアルベルテュスの日課となる。
そんな毎日でも楽しく過ごせたのは、錬金術が実に魅力的で不思議な魔法だったからだ。
それを自在に扱えるローシェを尊敬するようになり、アルベルテュス自身も錬金術師になりたいと思うようになる。
そしてアルベルテュスが五歳になった頃。彼はついに、「錬金術師になりたい」と希望を述べた。
アルベルテュスが初めて、自分のしたいことを口にしたのだ。ローシェは大いに喜んだ。
「これからは師匠と弟子だからね」と張り切って教えるようになった彼女はしかし、それからすっかりと雰囲気が変わってしまった。
溢れるほどの愛情を注いでくれていた彼女は影を潜め、厳しい指導と、突き放すような態度。自分は嫌われてしまったのかと、アルベルテュスは心配になった。
けれどしばらくして、それは勘違いだったと悟るようになる。ローシェはアルベルテュスが嫌いになったわけではない。真剣に錬金術を指導しているからこその態度だったのだ。
錬金術は、未熟な者が使うと意図しないものが完成し、それが時に危険なものだったする。弟子を危険に晒さないために厳しく指導してくれていたのだ。
彼女が冷たい態度であっても、注意深く観察してみるとそれがよくわかった。課題のヒントになる本をそっと置いてくれたり、上手にできた日はアルベルテュスの好きな料理を作ってくれたり。
溢れる愛情が、さりげないものに変わりはしたが、相変わらずアルベルテュスにとっての『幸せ』をもたらしてくれる者はローシェであった。
ローシェの期待に応えるべく、修行に励み続けたアルベルテュスが十三歳になった頃。
偶然アルベルテュスは、ローシェとその友人の話を耳にしてしまう。
「私だっていつかは、結婚したいよ」
「そういえばローシェって、頼りになる男が好みだったよね。アルベルテュスなんてどう? しっかりした良い子じゃない」
「アーくんは弟子だもん。彼はいつか一人前になって、この家から出て行くのよ」
いつかローシェは、誰かと結婚してしまう。
今まで考えた事もなかった事実に、アルベルテュスの胸は締め付けられるように痛んだ。
ローシェとの暮らしがアルベルテュスにとっての幸せで、それは永遠に続くものだと漠然と思っていたのだから。
けれど、そう思っていたのはアルベルテュスだけ。ローシェはアルベルテュスがこの家を出て行くことを望み、他の誰かとの幸せを望んでいたのだ。
この時のローシェは、小説どおりにアルベルテュスには冒険を楽しんでもらいたい。と思っていた。
将来的な話を二人でしたことがなかったので当然、アルベルテュスは知る由もなかったが。
加えて、『いつか一人前になって』という言葉が、まだまだ未熟者だと言われているようで悔しかった。
天才錬金術師であるローシェから指導を受けた彼は、十三歳にして一人で仕事を受けられるだけの技術があったのだから。
ローシェに一人前だと認めてもらいたい。
頼りになる男だと思われたい。
悩む日々を送っていたアルベルテュスの元にある日、女の悪魔が現れた。
「アルベルテュス様を差し置いて、他の男と結婚したいなんて許せない! 私が消し去って差し上げましょうか?」
一人でいる時に限ってたまに現れては「好きだ」と付きまとう悪魔。初めは相手にしていなかったアルベルテュスだが、徐々に悪魔の言動が過激化していることにも頭を悩ませていた。
そんな悪魔がついに、ローシェに手を出そうとしている。
この悪魔をローシェから遠ざけなければ、彼女を危険に晒してしまう。
そう思ったアルベルテュスはその日、最低限の持ち物を持ってローシェの家を飛び出した。
悪魔を自分に引き付けさせておけば、ローシェは無事でいられる。それは同時に、アルベルテュスの幸せが継続されるという意味でもあった。
いつかこの悪魔を葬ることができれば、ローシェは見直してくれるかもしれない。
成人して妖精の力が芽生えれば、それも可能に思えた。
それまでに錬金術師として、生計を立てられることも示さなければならない。
見違えるほど頼りになる男になって、再びローシェと再会してみせる。
これが、十三歳の彼が出した『幸せになる努力』の答えだった。
アルベルテュス視点の過去話でした。
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