第19話 静観するつもりだったけれど。
「クシュナ子爵令嬢……? ああ、学園で噂になっている令嬢か」
クロードは紅茶を一口含みながら、静かに言った。
「彼女に夢中になった令息たちは、どれも将来を期待されていた者ばかりだったらしいね。 各家で今後の処遇を話し合っているだろうけど、中央での仕事も社交も難しいだろうから、 自領で監視付きの管理になるだろう。学園で羽目を外したつもりが、相手が一枚も二枚も上手だった── 気づけば夢中にさせられていた……とすれば、諜報に欲しい人材だな」
サフィリーンは皇妃教育を終え、いつものようにクロードの私室でお茶を頂いていた。見慣れた光景だ。
クロードと共に学園に通っているが、皇太子である彼は政務や公務のため、毎日通えるわけではない。
そして不思議なことに、クロードが学園に居ない日は、サフィリーンの皇妃教育が朝から夕刻までびっしり詰まっており、皇城に閉じ込められる。
前回友人たちとクロードが学園に居ない状態でお茶出来ていたのは特例である。
もちろん、意図的にクロードがそう管理しているのだが、サフィリーンに否やはない。だいぶ絆されてきた自覚はある。
クロードが居ないなら、学園に行く意味もない──そう思っている。
「諜報ですか……? 確かに、殿方を籠絡して情報を抜き出すという手法もありましたね」
(皇妃教育のどこかで、そういう機関の存在を学んだわね)
前世が日本人のサフィリーンにとって、諜報といえば忍者のイメージ。
けれどこの世界は、中世と近代ヨーロッパが混ざったような文化。
王政と貴族階級が存在するこの国では、スパイ映画のような文官風の諜報員が主流なのかもしれない。
魔法がある世界だから、侵入も防御も魔法が鍵になるのだろう。
そんな妄想に浸りながら、サフィリーンは瞳だけをキラキラさせて、焦点の合わない目でぼんやりしていた。
クロードはそれを見て、慣れた様子で微笑む。
(ああ、今日もサフィだけの世界に飛び立ってる。何を考えてるのかな。少しでいいから、その頭の中を覗いてみたい)
と、花畑モードに入りかけたクロードだったが──
(……待て、サフィが諜報に興味を持ったら困るっ!)
と、脳内で大騒ぎを始めた。
「ねぇ、サフィ……?」
「はい。クロード皇──んんっ、いえ、クロ?(従者もメイドも居るから“二人きり”とは言えないけど……顔が怖いから突っ込まないでおくわ)なんでしょう?」
「サフィは、これからさらに花開くように美しくなると思うんだ」
「……はい?」
「そのとぼけた顔も愛らしいね、サフィ。……話を戻すよ。サフィはただ微笑むだけで、どんな男も簡単に籠絡できるだろう」
クロードの従者は無表情になり、サフィのメイドは視線をそっと下げた。
(使用人がドン引きしてますよ、クロード皇子。昔から私に対する過剰な過大評価は何なのかしら……すっごい美貌持ちで苦手なもの皆無なチート皇子の唯一の欠点って、絶対コレだわ)
「――クロが、私に対してとても高い評価なのは大変光栄ですが、私は殿方にそんなにモテませんから。いい加減、その手の話は止めてくださいませ」
サフィリーンは生まれてからずっと第一皇子の婚約内定者として国の監視下に居る。
皇族、しかも将来はこの国の頂点となる次期皇帝の伴侶だ、徹底してガードされているため、それが幼い子どもであろうが異性は異性。頭に産毛が生えている頃から徹底的に排除されてきた。
物心ついても周囲の異性からの評価など知る由もない。完全無欠の箱入り娘で、現在はクロードに管理権限が移ったあとは、さらに徹底的に管理統制された者たちが裏からガードしている。
「サフィが籠絡する相手は僕だけだからね? 僕が死ぬまでずっと……いや、死んでからも籠絡し続けてね?ああでも、サフィを残して死ぬのはできないな。すぐに誰かに浚われてしまうから。ということは……一緒に……」
クロードらしい発言をしていたかと思えば、続く話は妙に犯罪臭がする方向へ。
最終的におかしな展開になってきたので、サフィリーンは聞き流すことにした。
「婚約者持ちの殿方と懇意になられるものですから、婚約破棄が看過できないほど増えていて── そろそろ問題になりそうです」
話題を元に戻し、サフィリーンは憂慮を口にする。
「……ふむ。少し探らせてみるか」
(サフィは恥ずかしがり屋さんだからな)と勝手に結論づけて、クロードは素直に話に乗った。
目線を少し上に向けて思案するクロードは、国を内部から潰すには何も情報戦だけではない。
内部崩壊工作のひとつに要人籠絡があるくらいだ。
自由恋愛をしている風を装いながら、有力な貴族子息たちを堕とし、最終的には更に上の上級貴族を狙っていくのが考えられる。
これは他国の陰謀の可能性も考えた方がいいだろうなと結論づけた。
サフィリーンも、取り巻き令息たちの数の異常さに違和感を覚えていた。
恋愛感情だけでここまでの騒ぎになるとは思えない。
♦♢♦♢♦♢
――後日。再びクロードの私室で、サフィリーンはお茶を共にしていた。
「探ってみたけど、怪しい背景は見つからなかったよ」
「そうですか……」
クロードが探らせて何も出てこないなら、背景はクリーンなのだろう。
「単純な話、ただの淫……多情な令嬢ということなのだろうね」
“淫乱”と言いかけて、サフィに聞かせる単語ではないと判断し、言い換えた。
「……このままだと、かなり大きな問題に発展しそうですね」
皇子が通う学園で、これほどの騒ぎを起こすのは得策ではないはずなのに、当事者たちは誰も制御が利いていない。
。
「僕の側近にまで波及していないから、基本的には静観するつもりだけれど──、一度くらいは、渦中の誰かに目立つ場所で事情を訊いた方がいいかもね。もちろん、僕が不快だということも、態度で伝えるつもりだ」
ラミナたちの婚約者が籠絡されるのではと心配していたサフィリーンは、ホッとした表情を浮かべる。
クロードに大きく関わってほしくはない。
けれど、一度でも話す姿を見せれば、皇子が不快に思っていると周囲に伝わり、人々は彼らから距離を置くようになるだろう。
。
サフィの安堵を見て、クロードは微笑んだ。
(愚かな連中なんてどうでもいい。けれど、サフィの憂いが少しでも晴れるなら──仕方ない)
クロードもサフィリーンも静観して接点など持たないはずが、意図せず接触する事になってしまったのだった。
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