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睡蓮の育て方  作者: あきよし全一
9/11

9 おしまいは突然に

羽水(うすい)が退院するそうだ」

「はあ……」


 モリセンは電話口で、藪から棒にそんなことを言った。春休みが明ける前日のことだった。こんなときは何と返せばいいのだろう?


「お、おめでとうございます……」

「うむ。それでな、松葉杖がないと移動できないから、買い物ができないんだそうだ」


 おっ、何だか嫌な予感がしてきたぞ? 僕は先手を打って守りを固めた。


「お断りします」

「まだ何も言っていないだろう? 羽水に聞いたら、学校で友人と呼べるのはお前だけだと言っていたが」


 友達になった覚えはありませんと答えると、モリセンは「お前、酷いこと言うなあ」と苦笑いした。


「なあ、頼むよ。羽水の買い物に付き合ってくれないか?」

「嫌ですよ。ヒロミさんに頼めばいいでしょう」

「ヒロミにも頼んだよ。けれど仕事の都合で、どうしても時間が取れないそうだ」

「そう言われても……」


 断ろうとして、待てよ、と脳裏に閃くことがあった。お見舞いに行った帰り、ヒロミさんは「今度モリセンとのご飯に誘ってあげる」と言ったじゃないか。

 うん、確かに聞いた。となれば、これはヒロミさんに貸しを作るチャンスではないか。

 僕が「やっぱり行きます」と答えると、モリセンは素直に喜んでくれた。電話のこちら側では、僕がニヤニヤ笑っているとも知らないで。


 清水駅のロータリーで、僕はレンの到着を待った。電話で聞いた話では、病院からタクシーで来るらしい。

 しばらくして一台のタクシーが停まり、中からモデル体型の女が降りてきた。あれがレンかな、と近寄ってみて、僕はぎょっとした。


「あっ、鐘梨さん! こんにちは」

「こんにち……は……」


 なんとレンは、母親が着ていたのとお揃いの、ヒョウ柄のコートを着ていたのだ。こんな格好した奴と並んで歩け? めちゃくちゃ目立つ(公開処刑)じゃないか。

 一時の浮かれた感情で物事を決断してはいけない。僕はこの頼みを引き受けたことの、軽率さを呪った。


 駅を挟んで反対側には、商店街や高校、ハイツ清水に続く大通りがある。午後の人通りは、陽気が暖かくなってきたせいか、ゆっくりと流れている。

 僕たちに共通の話題は少なく、自然とヒロミさんから聞いた話を持ち出すことになった。


「ヒロミさんに聞いたけど、レンってウスイ食品のご令嬢なんだって? 知らなかったよ」

「あはは……誰かに話すと『お前、頭おかしいのか?』って言われるんで」


 なるほどね。レンってオタクって言うか、挙動不審っていうか、根暗オーラがにじみ出てるもんな。どんなに綺麗な恰好をしていても、視線が足元に固定されている時点で、会話の信用性は大きく下がる。

 僕だってヒロミさんから話を聞いていなかったら――そして何も無くなったレンの部屋を見ていなければ――信じられなかっただろう。


「そうだ! レンタルDVD捨てられてました!?」

「うん。でも拾って、返却しておいたから大丈夫」

「良かったぁ~」


 レンは胸をなで下ろす。僕は少しだけ、彼女の領域(こころ)に足を踏み入れてみたくなった。


「ねえ、最初に会ったときレンの部屋で見ちゃったんだけどさ。洗ったコンビニの弁当箱が山積みだったよね」


 どうしてあんなことを、と視線で問う。レンは長いまつ毛を瞬かせてみせる。


「母さんは何でも捨てちゃうでしょう。だから自分のモノは極力持たないようにして、捨ててもいいモノを記録として取っておくことにしたんです。他の人が日記帳をつける感覚ですかね」

「そっか……あの部屋は全体で一つの日記帳だった訳だ」


 なんてむごい……。たとえるなら手足をがんじがらめにされた状態で、指先だけで絵を描くような努力を、レンは続けていた。それも、いつ風が吹いて消されてしまうかも分からない、砂の絵だ。


「足が治ったらね……」


 不意にレンが足を止めた。僕も立ち止まり、彼女の方を振り返る。


「私、学校辞めるんです」

「えっ?」

「高校に入るとき、父に『一人暮らしで普通の生活を経験してこい』って言われたけど。母は私が一人暮らしには向かないって判断したみたいで」

「まさか、お母さんが退学届を出しちゃったとか!?」


 レンはうつむいたまま何も言わない。

 僕はレンの肩をつかんで揺さぶった。彼女が勇気を振り絞れるように。


 ――なんで母親のせいで僕たちが苦労しなきゃいけないのさ!?

 ――そんなお母さん、こっちが見捨ててやりなよ!


 それは僕と父さんを捨てた母に言ってやりたい言葉だった。きっと僕は知らず知らずのうちに、自身の体験をレンに重ね合わせていた。

 けれど。


「お姉さんは森田先生が拾ってくれたけれど、私も王子様に拾ってもらえる保障は無いから――」


 レンはひんやりとした右手で、僕の左手を引きはがした。僕が持つ17年の人生に負けない重みを、レンもまた背負って立っていた。


「あの、歩き始めませんか? 今日中に当分の着替えと、コインランドリーまで持っていくバッグが欲しいんです」

「ああ、うん……」


 こうなるともう「母には逆らわない」というレンの誓いを変えさせるだけの言葉が思いつかなかった。

 色々なモヤモヤを心の中に押し込めて、歩き出そうとした、そのとき。


「あ! 波瑠(はる)、ちょうど良かった!」

「えっ?」


 通りの反対から声をかけられる。手を振っていたのは、クラスメイトの京子だった。


「波瑠に聞きたいことがあったんだよ。今ちょっといいかな?」

「ごめんね、今、羽水さんと買い物に行く約束をしてて……」

「すぐ済むから!」


 そう言って京子は大通りをダッシュで横切ると、息がかかるくらい近くまで僕に寄ってくる。

 ――なんとなく怖い感じがした。


「何? どうしたの京子?」

「正直に答えて。この前、波瑠とモリセン、デートしてなかった?」

「は?」


 なんのことだろう。突拍子もない質問に、頭が真っ白になる。


「ロータリーのバス停でさ、転んだ波瑠をモリセンが抱き上げてたでしょ」

「え? そんなこと……」


 ……あった。レンのお見舞いに行く途中、転んだ私をモリセンが起こそうとしたときだ。

 でも京子の言い方は大げさすぎる。モリセンが手を貸す前に、僕は自分で起き上がった。


「2人って付き合ってるの?」

「付き合ってないよ! モリセン、いつもヒロミさんって人と電話してるじゃん」

「浮気なんて、いくらでもできるでしょう!? 波瑠、携帯見せて」

「え、ちょっと、何するの!」

「やましいことが無ければ携帯ぐらい見せられるでしょ!」


 思いこみの激しい京子には、もう僕の声は届いていなかった。ジャケットのポケットから、力任せに携帯を抜き取られる。

 レンは僕と京子を交互に見て、おろおろしているだけだ。


 そして京子は見てしまった――ヒロミさんからもらった、僕とモリセンのツーショットを。

 やっぱりね、という京子の声が、硬質ガラスのような青空に吸い込まれていった。

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