10 壊された宝物
京子は背筋をそらして、僕のことを見下ろすように言ってくる。
僕は追い詰められたネズミのように、少し背中を丸めて睨み返している。
「なんかさあ、おかしいと思ってたんだよね」
「何が」
「猫が迷い込んできたとき。波瑠が猫を飼う直前にモリセンが出てきたじゃない」
「飼うなんて、一言も言ってないんだけど」
「言ったでしょ!」
ダメだ、会話が噛み合わない。京子の中では、僕は猫を飼うと発言したことになっているようだ。
とは言え、僕の携帯はまだ京子が握ったままだ。あれを取り返さないと、立ち去るわけにもいかない。
「おかしくない? 波瑠ってばモリセンが来るまで、時間稼ぎしてたみたいでさ」
「何が言いたいの」
「嘘だったんでしょ、猫を飼うっての。モリセンが猫を殺しにくるのを、私たちに見せつけたかったんだ」
「はあ!? 何それ!?」
「お陰でさあ、私、先輩に『嘘つき』とか『猫殺し』って散々いじめられたんだからね! 絶対忘れない!」
ここまで聞いて僕は京子の本音がやっと分かった。要するに八つ当たりだ。先輩たちに、自分の早とちりで猫の飼い主が決まったと思わせてしまった失敗を、僕のせいにしたいのだ。
僕は迷う。ありのままを話すか? あの猫は生きていて、モリセンが飼っています――
いや、それはダメだ。都合のいい嘘だと思われてシカトされるかも知れないし、仮に信じたところで「何でモリセンのこと細かく知ってるの? やっぱり付き合ってるんだ!」と思いこみを強くしてしまいそうだ。
何より、あのときモリセンの言った「責任を取れない者が、他人に責任を押し付けるんじゃない」という言葉の重みが無くなってしまう。
ふと見ると京子は僕の携帯を何やら操作していた。たまらず止めに入る。
「何してるの、京子!?」
「放せ! この写真、クラスの皆にLINEとメールで送ってやるんだ!」
「はあ!? ――ふざけるな、返せ!」
あまりに恐ろしい発言に、僕の背中を冷たい汗が流れ落ちる。そんなことをしたら僕やモリセンの立場はどうなる? 先生たちにもクラスメイトにも、こちらの事情説明が通用するとは限らない。
「返せっ……」
「嫌よっ……」
「この野郎っ……!」
「てめェ……!」
僕らは商店街の真ん中で、人目もはばからず揉み合った。
自転車で走ってきた清水高の男子が、僕たちを避けるとき露骨に眉をひそめて通った。知った顔が混じっていたような気もするが、気にしている場合ではない。
「あっ」
京子が声を上げる。何だろうと思う時間も無かった。彼女の手をスッポ抜けた僕の携帯は放物線を描いて飛び、歩道と車道を隔てる縁石にぶつかって砕けた。
「あ……僕の携帯……」
「わ、私のせいじゃないからね!」
よほど悪人になりたくないのか、京子はへっぴり腰になりながら捨て台詞を吐く。
「それに、アンタとモリセンのことは学校で言いふらすんだから。このままじゃ済まさないんだからね!」
そして京子は走り去ってゆき――後には僕と、レンと、壊れた携帯だけが残った。
「あ……あの……」
「買い物、いこっか」
「え?」
「羽水さん、着替えを買うんでしょう? 早く行かないと、お店閉まっちゃうよ」
「でも、鐘梨さんの携帯が壊れて……」
「僕のことはいいから!」
思わず大声を出してしまう。ギョっとした表情で道行くおばさんたちが振り返るが、知ったことか。
僕が息を切らしていると、レンが穏やかな口調で告げた。
「鐘梨さん、大声を出さないでください」
「ごめんなさい……でもお願い、今は何も考えたくないの。何でもいいから、お店に入ろう」
「分かりました」
洟をすする僕を、レンが先導する。いつもと逆だなあ、と苦笑いが出た。
レンが選んだのはコーヒーショップだった。レジに並んでメニューを眺める。レンは「苦いのダメなんです」とロイヤルミルクティーを頼むと「ちょっと失礼」と、どこかへ行った。僕も甘ったるいカフェオレを頼むことにする。
席に着くと、僕は自分が想像以上に疲労していることに気づいた。京子の捨て台詞が耳の奥で響く。
――アンタとモリセンのことは学校で言いふらすんだから。
これから僕はどうなるんだろう。明日からの学校生活を思うと、胃がキリキリと締め上げられた。
そのままカフェオレが空になり、ロイヤルミルクティーが冷めてしまうほどの時間が過ぎた。レンのアホタレ、何やってるんだろう?
「お待たせしました」
「遅いよ、レン――!?」
「ここか。商店街でクラスメイトとケンカした、内申書の評価を恐れない勇者がいるのは」
顔を上げた僕は、鏡の前に立たされたガマ蛙のように動けなくなってしまった。レンの後ろにいたのは、誰であろう、僕が一番守りたかったモリセンだった。
「先生、どうしてここに……?」
「話は羽水から聞かせてもらった。携帯、残念だったな」
「はい……」
「羽水の買い物はいいぞ。ヒロミに頼んでな、パジャマを1着持ってきてもらうことにした。明日の午前中は今日着てる服で我慢してもらって、午後から姉妹で好きな物を買ってきてもらおう」
「はい。あの、先生はどうしてここに?」
繰り返して訊ねると、モリセンは「ああ」と笑ってみせる。
「自転車部の男子が俺のところに来て『商店街で同級生の鐘梨がケンカしてた』って言うんでな。様子を見に学校を出てきたところで、羽水が俺のスマホにコーヒーショップに居るって連絡をしてきたわけだ」
「ご、ごめんなさい……勝手なことしちゃって……」
レンが小さくなって謝罪の言葉を口にする。僕は――怒ったものか感謝したものか分からないくらい――混乱してしまって、ああうん、と頷くしかできなかった。
そうして一瞬とも永遠とも思える沈黙が流れた。僕が何を言えばいいか分からず黙っていると、モリセンの低くて優しい声が聞こえてきた。
「鐘梨、何か言いたいことはあるか?」
「先生……先生、ごめんなさい! 僕が余計な写真を持っていたせいで、明日から先生に迷惑がかかっちゃうんです! 全部、全部、僕のせいなんです!」
そう口にした途端、堰を切ったように涙が出てきた。モリセンに未練タラタラだった自分が、ヒロミさんに甘えてしまった自分が、京子を説得する言葉が出てこなかった自分が情けなくて悔しかった。
「そのことだが鐘梨、俺も話しておきたいことがある」
僕が泣き止むのを待って、モリセンが口を開いた。
「俺は明日から3年生の進路指導を外れて、2年の担当になる」
「えっ?」
「本当は始業式当日まで、人事のことは秘密なんだが、お前にだけは教えておきたい」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。




