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睡蓮の育て方  作者: あきよし全一
11/11

11 卒業までにはまだ早い

「どうしてですか? 京子が言いふらすからですか? 僕とは口もきけないってことですか!?」

「鐘梨、まあ最後まで俺の話を聞け」


 これから先、卒業までモリセンとの接点が無くなると知って、僕は食ってかかった。

 一方モリセンは、ブラックコーヒーを苦いとも熱いとも言わずに啜ってみせた。


「まず人事異動があったのは、いわゆる大人の都合って奴で、お前たちが悪かったわけじゃない。しかし一応『これでいいですか?』という意思確認は受けた」

「じゃあ、何で賛成したんですか?」

「去年、お前に好きだと言われてから、俺はずっと考えていた。なぜお前が俺に興味を持ったかについてだ」

「なぜって、理由なんてありませんよ。好きだから好きなんです」

「お前はそう考えたかも知れない。けれど本当の理由は、猫を拾ってくれるような『お人よし』になら甘えられると思ったからじゃないのか」


 その言葉は鋭く、京子のモノとは比べものにならない深さで、僕の心に突き刺さった。

 モリセンは、なんだか自嘲気味に語り始める。


「俺はさ、妾の子供なんだ。私生児って奴だ。母親は父親の『降ろせ』という言葉に逆らって、ひとりで俺を産み育てた」


 いとも簡単に告げられた事実に、僕は言葉を失った。

 モリセンは、もう一口コーヒーを啜ると、カップを置いて窓の外を見た。その目に映っているものを、想像することさえできなかった。


「地元じゃいじめられたよ、子供だけじゃなく近所の大人にもな。お袋に当たり散らしたこともあった、なんで俺を産んだ、なぜ責任を持って俺を殺さなかったってな」

「あ――」


 学校に猫が迷い込んできた時のことがよみがえる。モリセンは保健所に電話した山田先生を「命に対して責任を持とうとしている」と言った。

 あれは一体、どういう意味で出した言葉だったのか。寒気がして、体がぶるりと大きく震えた。


「そんなときにな、学校で先生に言われたんだ。『森田、お前はお経の一節にこんな言葉があるのを知っているか』と」

「どんな言葉ですか?」

「世間の法に染まざること蓮華の水に在るが如し――泥水の中で育つ睡蓮の花は、それら一切に染まることなく美しい花を咲かすという意味だ。まあ、その先生も聞きかじりで、深い意味は知らないらしいがな」

「……」


 泥水の中で育つ。それはモリセンの生い立ちであり、僕の生い立ちであり、隣で紅茶を飲んでいる羽水レンとヒロミさんの生い立ちでもあった。

 僕の視線を追いかけて、モリセンがレンを見やる。


「羽水、お前はどうだ。泥水の中で綺麗に咲いてるか?」

「綺麗だなんて。私はただ自分が傷つかなくて、でも母も傷つけない範囲で生きていこうと思っただけで……」

「そうか。無意識にそれを選んだってことは、羽水は純粋なんだな」


 ――純粋。その言葉を聞いたとき、パチッと心の奥でパズルのピースがはまる音がした。

 彼女の泣き声は美しかった。純粋に生きようとし、失敗し、悲しみにぶつかるたび全身全霊で泣いた。僕は知らず知らずのうちに、彼女の純粋さに惹かれていたのではないか。


「鐘梨、お前はどうだ。世間が立ち向かってきたときに、俺抜きで綺麗に咲ける自信があるか?」

「僕は……もう先生のことなんて、好きじゃ、ないです」


 嘘だ。

 嘘をついた。

 本当は今すぐ抱きしめて欲しかった。

 母さんとは違う、父さんを傷つけない手段で、誰かと愛を交わしたかった。


 そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、モリセンは話を続ける。


「まあ、ちょっと話が脱線したけどな。俺が明日から違う学年の進路指導をすることにした理由の何分の一かは、鐘梨の強さを信じたからだ。それだけは覚えておいてくれよな」


 そう言ってモリセンは立ち上がると、僕の頭をクシャリと撫でた。


「そんな顔するな、鐘梨。お前の高校生活はまだ一年ある。卒業までには、まだ早い」


 じゃあな、とモリセンはコーヒーショップから出て行った。

 少しして僕たちも店を出た。ハイツ清水に送って行く途中、レンが「あっ」と声を上げた。


「ほら、桜ですよ! 花吹雪が舞ってます!」


 見れば商店街の一角に、桜の樹が植わっていた。満開をわずかに過ぎて、ヒラヒラと粉雪のように花びらが落ちてくる。


 ――ほら、あんな風に咲いてみせるんだぞ。


 そんなモリセンの言葉が聞こえたような気がした。

 次の瞬間、僕は膝から崩れ落ち、あらん限りの声でもって泣き叫んでいた。

 レンが何か言ったが、それさえも耳に届かない。聞こえるのは桜を散らす風の音と、自分の泣き声だけ。

 ただ、ひとつ良かったことがあった。


 ――僕の泣き声、とても綺麗じゃないか。


 レンにだって負けないくらい、綺麗な声をしている。その声がもっと聞きたくて、僕は声を振り絞り、身も世も無く泣き続けた。


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