第9話 弟 セイの不安
何かがおかしい。
これまでも姉上の行動で嫌な予感がすることはよくあったが、今回は何か心の奥底からざわざわするような、言い知れぬ不安感がぬぐえないのである。あの呼び出しから始まり、騎士団長からの口止めに、先日の盗賊の少女との再会、一体何を企んでいるのだ。
姉上から何とか聞き出すべきだろうか、しかし、こんなに気が進まないこともない。恐ろしいことこの上ないし、第一素直に教えてくれるはずもない。
「はぁー、どうすればいいんだ」
つい愚痴がこぼれた、するとそんな様子を見た同僚が、
「どうしたんだ、女に振られでもしたのか。」
とからかってくる。
「はあ、一体何のことですか?」
身に覚えの無い話に混乱していると、同僚がこのところ流れている噂について教えてくれた。
どうやら、先日の少女を追いかけて行ったことがあることない事、尾ひれがついて噂で流れているらしい。全くこの騎士団の噂話好きには困ったものである。ここのところ頭痛の種が増えていく一方だ。
とりあえず、同僚には適当にあの子はちょっとした知り合いで用があったとかなんとか言い訳をしておいたが、
「ふーん、まぁそういうことにしておいてやってもいいよ。」
と納得してはいないようだ。
もう、面倒だ、一々細々と言い訳するのも。もう言わせるだけ言わせとけばそのうち収まるだろう。フーッ、ため息が自然と漏れる。
「おーい、いい加減話はやめにして、手を動かせよー。」
詰所の椅子でくつろぐゴート隊長の声が響く。
「今日も、お客さんいっぱいなんだから。」
門外を見ると、長蛇の列が続いている。今日はこの王都正門である南門だけでなく、普段はあまり使われない西や東の小門も開かれているはずなのに、この人数である。ここ何日かはこんな調子だ。まぁ、しょうがないか。もう祭りは明日である。王都内も人で溢れかえっている。
年に一度開かれるこの祭りは、王都における最大の祝賀行事の一つであり、祭りの初日は開国の祖・初代国王が魔法の力を授かったとされている日だ。
この日から三日間は町の人々だけでなく、王族や貴族も心浮かれ、祭りを楽しむ。街には多くの出店などが立ち並び、いろんなところに舞台が立ち見世物が行われる。
しかし、人が増えれば厄介ごとも増えるのが世の常である。よって、王都中の人々が浮足立っている最中、唯一騎士団だけは警備の仕事に追われなければならない。まぁでも、その方が今身に降りかかっている面倒ごとを忘れられていいのかもしれないな。
そんなことを考えつつ仕事をせっせとこなしていると、
「皆さん、祭りの三日間の当番表を詰所に張っておきました。各自手が空いたら、確認をしておいて下さい」
と副隊長キリが皆に告げた。そうか、後で確認しなくては。
それから瞬く間に日は過ぎ、当日。
祭りは大変な盛況となった。初日、二日目と街は音楽や人々の笑い声であふれ、食欲をそそる香りや芳醇なお酒の匂いに満ちていた。王都中で飲めや歌えの大騒ぎが繰り広げられ騎士団の仕事の方も大盛況であった。あんまりうれしくはないが。
しかし、その献身的な騎士団の活躍によって大きな騒動に発展するようなことはなく、このまま、三日目も何事もなく済んでくれれば大いにありがたい。そう願いながら、私は二日目の仕事を終えて家路に着いた。
部屋に上がり、ベッドの上に寝転がると当番表を思い出す、確か明日は午後からの遅番のはずだ。今日はゆっくり休んでおかないとな。
とりあえず、夕飯はどうしようかと考えていると、コンコンと扉を叩く音。その音がこの二日間、仕事に打ち込み頭の隅追いやっていた不安をよみがえらせた。扉がゆっくりと開く。
「カイカ様からの伝言です。たまには、夕餉でも一緒にとのことです」
現れたのは、いつもの男の従者ではなく、女性だった、確かインジとかいう姉上の私兵の一人のはず。
「それは今すぐじゃないといけないのかな」
ダメ元で尋ねると、
「ええっ、それはもちろん。もう待っておいでです。馬車も待たせてありますので」
やはり駄目だった。またも有無を言わせず連れていかれるらしい。
「わかったよ、わかりましたよ。どうせ私も姉上に聞きたいことがあるんだ」
もうほとんど自棄のようにそう言うと、馬車に乗り込み、姉の下に向かった。
屋敷に着くと、シンと静まり返っている。どうやら、母と使用人たちはいないようだ。また母の話に付き合わされるのは御免なので助かった。
ほっと息を漏らすと、一階の食堂に灯りがともっている。中を窺うと姉上がいた。いつものような不敵な笑みを浮かべているかと思いきや、なぜか少々浮かない顔をしている。珍しい。
「どうかしましたか、姉上。元気がないようですが」
「何、こんな時期だ。なんだかんだと色々忙しくてね。疲れているだけだよ。まぁ席に着きなさい、食事をしながら話そう」
そう言って笑う。すると奥から食事が運ばれてきた、いつもの使用人たちではない、姉上の部下たちか。
「そういえば、母上たちは?」
「祭りの夜だぞ。あの母上が屋敷でじっとしているはずもないだろう。どこぞの貴族の晩餐会に呼ばれていったよ。使用人を連れて」
と苦笑しながらこちらを見つめている。
「そうですか、それならいいんですが。姉上は一体何の用で私を呼んだのですか」
「別に用というほどのものではないよ。言っただろう、ただ可愛い弟と食事をしたくなっただけだ」
そんなはずはない。あの姉上がそんな理由だけで私を呼びつけるなんて、と訝しんでいると、
「それよりも、セイ。お前こそ、私に何か聞きたいことがあるんではないのかな。そう聞いているが」
と問われた。ならば、と
「言わせてもらいますが、姉上は何を企んでおいでです。先日、あの盗賊の少女と王都で出会いました。彼女はあなたに呼び出されたと言ってましたよ。その他にも色々と裏から手を回しているみたいですし、一体何がしたいのです。姉上はっ」
と興奮のあまり大声になってしまった。
「はは、そういえばそうだった。ヨークのやつに出くわしたんだったな。聞いているよ」
あの子の名はヨークというのか。
「別にそんな大仰なことを考えているわけではないよ。ただあの娘の敵討ちに手を貸してやろうとしているだけさ。弱きものに手を差し伸べる。これもまた、王族の務めだとは思わないか?」
敵討ち? 姉上がそんなに感傷的になるなど、どうにも腑に落ちない。
「腑に落ちないという顔をしているな。まぁ確かに私らしいとは言えないかもしれない。しかし、あの娘が両親や故郷を亡くしたことに私も無関係ではないのでね」
「一体、何があったのですか」
「なによくある話さ。とある馬鹿な貴族たちがとある野望を果たさんがために邪魔になる私の部下もろともヨークの村に火を放った。それだけのことだ」
事もなげにそんなことを言う。
なんということだ。確かに皆が清廉潔白であるわけではない、そんなことは分かっている。しかし、無辜の民を手にかけるような輩が貴族にいるとは信じられなかった。
「ふん、まぁお前が気に病むことではないよ。ちょっと話しすぎたな。せっかく作ってもらった食事が冷めてしまう。残りはあとにしよう」
「はい……」
聞きたいことは色々あったはずだが、すっかりそんな気も失せてしまった。あまり食欲もわかなかったが、姉上に促されるように食卓に並べられた料理に手を付け始めた。
しばらく無言で食事を続けていく、すると何かがおかしい。
段々と目が回るような、宙に浮くような感覚が体を支配する。姉上の顔が目に入ると、笑っている。しまった。
「姉上、何をしたんです……」
絞り出すように問いかける。
「お前がいると、少々面倒な事になるんでね。ここでしばらく寝ているといい」
「なんで、くそっ……」
力が入らない。
そのまま食卓に突っ伏し、気を失ってしまった。