明治【1】
(1)明治維新政府
薩摩長州土佐肥前の各藩下級武士が、政府の中心メンバー。
薩摩人・大久保利通は、外交力あり、バラバラの感のあった政府を統合した。諸国との外交でも、自ら訪欧した。
薩摩人・西郷隆盛は、人望力あり、政府のシンボル的な存在になった。
長州人・木戸孝允は、知略政略に秀で、薩摩独裁の傾向を公議政体御誓文で牽制した。
長州人・山県有朋は、組織指導力あり、奇兵隊統率に成功し徴兵制明治陸軍を確固たるものにした。
土佐人・板垣退助は、突進力あり、難題の廃藩置県を薩長と協力し実現させた。
公家出身の岩倉具視は、異彩力あり、薩長土肥など藩閥に偏ろうとする政府に波紋を投げかけ近代化を遅らせた。
(2)不平士族反乱
肥前人・江藤新平は、正義力あり、薩長人による不正を徹底追及した挙げ句佐賀で反乱した。
長州人・前原一誠は、組織指導力あり、徴兵陸軍に反対し士族陸軍を主張して反乱した。
薩摩人・西郷隆盛は、その人望力により、不平士族のシンボルとなってしまいやむなく反乱した。
(3)明治初期外交
岩倉具視の異彩力に、政府は不平等条約改正のウルトラCを期待して訪欧をさせたらしい。
幕臣出身の榎本武揚は、陰謀力あり、ヨーロッパ諸国との権謀術数外交において能力を発揮しロシアと交渉して千島列島を獲得するなど明治外交に巨大な足跡を残した。
征韓論は、薩長独裁化したことに対抗した土肥勢力がスローガンにしたものだったが、人望力ありシンボル的な存在の西郷隆盛が担ぎ出されてしまった。
宇和島藩主だった伊達宗城は、外交力あり、明治外交の場面に現れ鎖国していた朝鮮王国を開国させた。
西郷隆盛の弟・西郷従道は、兄と同じく人望力あり、勝手に台湾に出兵したときも政府から事後承認されるほどだった。
このとき土佐人・岩崎弥太郎が、知略により、海援隊を動員して出兵を助け巨利を得て三菱財閥の基礎を作った。
琉球国王・尚泰は、陰謀力により、日本明治政府からの侵略を免れようとしたが能力が老成していなかったので裏切りになってしまった。
(4)殖産興業
長州人・伊藤博文は、突進力あり、資本主義育成に次々に手を打った。
薩摩人・黒田清隆は、人望力あり、その北海道開拓にはケプロン、クラークら多数の人材が集まった。
幕臣出身の前島密は、知略あり、郵便制度を先進国並みに整備した。
薩摩人・松方正義は、正義力があった。私の姓名判断を知っていたかのような名付けに、驚くばかりである。西南戦争インフレを急激なデフレ政策で終息させ(農業を崩壊させ自由民権運動を激化させたが)、日銀を作り明治財政を確立した。