ある朝の風景
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その国を色で言うのなら、誰もが「あお色」というだろう。
青葉の生い茂る深い森。蒼い水を湛えた湖。そして、碧くどこまでも続く海。
モスタレルム帝国はオーガの治める軍事大国だった。しかし、周辺国との戦争は過去のものとなり、今は穏やかな情勢が続いている。
首都セラフェア。
政治と経済の中心都市だが、一番北に位置するセラフェア城の先にはなだらかな丘と森が広がっていた。
多くの羊達が放牧されている丘は、季節によっては城の方に獣の匂いが流れこんでくる。
◇◇◇
「…臭いな」
大岩は、部屋に流れ込む羊の香りで目が覚めた。侍女が気を利かせて窓を開けておいてくれたようだ。
眠い目をこすりながら、ベッドの上でぼんやりしていると侍女たちが勢いよく入ってくる。
どんどん布団を剥がされ、ベッドから追い出された。
「朝食の時間に間に合いません」
頭をゆらゆら左右に振りながら出された服に着替える。
自分で靴を磨く。どうせ直ぐに汚れるけど、それを言うと「汚さないように」と怒られる。
身支度を終えて立ち上がる。侍女に黙って服の後ろを指さされた。
上着の裾をズボンの中にしまい、腰布をギュッと強く締める。
両手を広げてクルリと回ってみせると、侍女たちが笑顔で拍手をしてくれた。完璧に着られたようだ。
顔を洗い、髪を整える。元々くせっ毛だが、右側が大きく跳ねて直らない。見かねた侍女が直してくれた。
◇◇◇
「おはようございます」
食堂に入ると全員揃っていた。
「大岩。今日も遅いぞ」
赤石兄様がボクの方を見ながら声をかけてきた。
ボクの事を、父上と母上は叱らない。いつも、一番上の赤石兄様が叱る。
「ごめんなさい」
「大丈夫。昨日よりは早くなっているよ」
蒼石兄様がボクの襟を直してくれた。
「蒼石は、すぐに甘やかす。王族であれど、身支度を素早く自分で終え、誰よりも早く前に出られるように日ごろから……」
「赤石兄様だって、私よりも遅かった時が何度もありましたよ」
皇太子の赤石兄様と第二王子の蒼石兄様は、2歳しか離れていない。小さい時は、いつも一緒にいたから、すごく仲良しだ。いっぱい喧嘩もしているけど。でも、いつも2人で笑っている。
赤石兄様と蒼石兄様は、もう成人しているから本当は幼名で呼んじゃいけない。
赤石兄様は、人前だと「皇太子殿下」か、「ゲラルド兄殿下」って呼ばないといけない。
蒼石兄様も、「レイナルド兄殿下」って呼ばないといけないっていつも言われる。
面倒臭い。兄様は兄様なのに。
赤石兄様は騎士団にいるし、蒼石兄様は父上と一緒に外交でいろんな所で美味しいものを食べるお仕事を手伝っている。
周りの目っていうのが煩い場所にいるから、ボクはお仕事中の時は絶対に間違えちゃいけないと、何度も言われている。
「蒼石兄様。今日も美味しいもの食べに行くの?」
今日も外交のお仕事があるのかな。美味しいもの食べるのかな。
兄様はびっくりした顔をして、ボクを見ていたけど、「ああ…」というと笑ってフォークを置いた。
「今日は、舞台芸術賞の授賞式があってね。そのあと受賞者との茶話会に出席する予定なんだ。大岩は、美味しいものが食べたいのかい?」
「うん。美味しいものって、何があるの?」
「茶話会だから、お菓子が用意されるはずだ。菓子職人に伝えて、後で大岩の部屋に届けてもらうよ」
ヤッターと声を上げたら、赤石兄様に怒られた。「はしたない」って言われた。
◇◇◇
侍従長が、チビ足は昼食前にマグダリア様と一緒に来ると伝えてきた。
ボクはチビ足と一緒に勉強をする。だから、午前中は遊びに行けるという事だ。
なら……。
「なら、大岩は午前中に本を読む時間がありますね」
母上が笑いながらこっちを見た。
…バカチビ足が来るのが遅いから、ボクは本を読まないといけないじゃないか。
ボクが黙ってスープを飲んでいたら、蒼石兄様が「返事は?」と聞いてきた。
「……はい」
ボクが返事をすると、赤石兄様が頭を撫でてくれた。
◇◇◇
「父上」
赤石兄様が呼びかけた。
「お時間の取れる時はありますか?また、一緒に将棋をしていただきたいのです」
父上は手を止め、少し考えた。
「明日の夜なら、遅くなるが時間が作れるだろう。明後日から、東部の視察に出てしまう」
「……だから、一晩のうちにオマエを倒さないといけないね」
父上は楽しそうに兄様の顔を見た。兄様が物凄く嫌な顔をする。
「父上の戦術を研究しました。今度こそ勝ちます!」
「私は最強の皇帝に将棋を教えてもらったのだよ?どこまで通用するかな?」
父上は皿の上を食べ終え、食後のお茶を持ってこさせた。
ボクも食後の牛乳を頼む。
赤石兄様はまだ怒った顔をしながら残ったパンを口に突っ込んでいた。
◇◇◇
「私の父上、オマエ達のおじい様は将棋が強かった。戦場でも負け知らずだった」
「おじい様は、どうして強かったと思うかい?」
ボクは赤石兄様の顔を見た。何かすごく考えている。
蒼石兄様も同じだ。2人とも何も言わない。
「牛乳をいっぱい飲んだからじゃないですか?」
みんながボクの方を見る。
「おじい様が言ってました。牛乳をいっぱい飲んで、ご飯を残さず感謝して食べれば大きく強くなれるって。いつも言ってます!」
ボクは誰よりも大きくて強いおじい様を思い浮かべた。
なぜだか、みんなが笑っている。
「そうだね。それは大事な事で、半分合っている」
「おじい様、先代皇帝は食事に感謝する気持ちを絶対に忘れなかった」
この国は、大昔からずっと戦争ばかりしていた。みんな、戦争は嫌いだけど。どの国も同じぐらいの力だった。
何より、この国はなだらかな平地と豊かな水。特に山から流れる綺麗な水と乾季でも枯れない大きな湖を持っていた。
農業や酪農を行い、広い海もあるから貿易港も作られた。
誰もが欲しがる国だ。
だから、戦争でこの国を奪おうとする人たちに、いつも攻めこまれていた。
先代皇帝、おじい様は、毎日の食事は多くの国民が頑張って育て、狩りに行き、集めた物だと感謝していた。その感謝に応える為に、国民の盾となるべく戦場へ赴いた。幼名の通り、国の「岩壁」として敵の前に立ちふさがった。
先代皇帝は、軍を動かす時、兵士達を将棋の駒とは考えなかった。
そこにいるのは生きた、自分が守るべき家族だと思っていた。どうしたら一番傷つけずに戦えるか。生きて戦場から戻せるかを常に考えていた。
それを、国民も分かっていた。
自分達の皇帝の為に力になりたい。
皆が力を合わせてくれた。
だから、この国は負けなかった。
他の国が、戦う事を諦めるまで、負けずに立ち続けた。
先代皇后が、皇帝不在の国内をしっかりまとめ上げたのも、この国の強さのもう一つの理由だ。
「なぜか、皇帝という椅子に座りたいだけの者が時々イタズラを仕掛けてきたからね。
そんなイタズラをする連中の尻を叩いて追い出し、国民の不安を取り除いた功績は大きい」
父上は僕たちにそう話してくれた。
「皇帝の椅子に座りたいだけなの?お仕事しないの?」
「お仕事は嫌いなんだよ、座りたいだけの連中はね」
「……変なの」
僕は残りの牛乳を一気に飲んだ。
「オマエは皇帝の椅子に座りたいかい?」
父上が聞いてきた。
みんながボクの顔を見ている。
「ヤダ。あの椅子に座る時、背中をつけちゃダメだっておばあ様が言ってたから。疲れる椅子はいらない」
ボクは椅子に深く背中をつけながら答えた。
兄様達が声を上げて笑った。
父上は「そうか」と言うと、母上と一緒にニコニコと笑っていた。
◇◇◇
父上と母上が退室し、赤石兄様、蒼石兄様が退室する。
ボクが食堂を出るのは一番最後だ。
これは決まりごとだ。
明日の朝まで、もうみんなと会えない。
ちょっとだけ、母上にチビ足と一緒に作った押し花の話をしたかったけど。将棋の話とおじい様の話になったから出来なかった。
おじい様の話は、なんとなく分かったけど、なんとなくわからない。
牛乳が大事なのは、合っていた。
ボクは図書室へ寄って、歴史の本を手に取り、自室へ戻った。
◇◇◇
歴史の本は、やっぱり面白くない。
蒼石兄様や父上が話してくれると面白いのに……。本を書く人は、作文が下手なんだと思う。
窓から風が入り込む度に獣の臭いが強くなる。
昨日、チビ足と仕掛けた罠が気になる。
ボクは部屋の窓枠に手をかけて外に出る。
三階だから、ちょっとだけ気をつけないといけない。雨どいと二階の庇を伝いながら下に降りる。
裏口に、いつも黒い制服のオジサンが暇そうに座っている。
(このオジサンは強い)
笑っているけど、きっと強い。
ボクに向かって手を振ってきたから、ボクも手を振り返して裏門から城の外に出た。
森の中に仕掛けた罠を見てまわった。
2カ所は何もいなかった。1カ所は、餌だけ取られていた。
後で餌を持ってもう一度来よう。
途中で見つけたアケビを何個かポケットに突っ込んだ。
「手ぶらですか?」
裏口から城に戻ると、黒服のオジサンが声をかけてきた。
「餌だけ取られちゃった」
ボクがそう言うと、オジサンはちょっと考えた。
「餌と罠に坊っちゃんの臭いが残ったのかもしれませんね」
それは考えていなかった。
「人間よりも鼻がいいですからね。一度、森の入口にある猟師小屋で相談してみるといいかもしれませんね」
「猟師小屋?」
「緑の屋根と壁の小さい小屋です。たまにしかいませんけどね。山猫が教えてくれたって言えば、きっと相談に乗ってくれますよ」
ボクはオジサンにお礼を言って部屋に戻った。
帰りは雨どいを登るだけだから、楽に戻れる。
◇◇◇
昼食前にチビ足が来た。
マグダリア様とは違うエルフが連れて来ていた。
優雅に挨拶をされたので、ボクもきちんと挨拶を返した。
足元に目を落した時、今朝磨いた靴に泥がついている事に気付いた。森から帰った時に汚れを落とすのを忘れてた。兄様達に見られたら、挨拶の時に服装が乱れていたら、相手は侮られたと思うぞと強く言われていたのに…。
顔を上げると、エルフは優しく微笑んでいた。
「デカブツ!」
チビ足がボクの方へ走ってきた。
ボクの事を「デカブツ」と呼ぶのはチビ足だけだ。
浅黒い肌と黒く長い髪の小人族の黒エルフの女の子だ。
ボクと同じ7歳だけど、チビ足はボクよりもずっと背が低い。名前の通り、足も小さい。
オーガの中では、ボクは小さい方だ。だから、「デカブツ」と呼ばれるのはちょっとだけ恥ずかしかったけど、もう慣れた。小さいのに、「大岩」って名前も同じだって気付いたから。
「今日は、バアバと一緒にキッシュを作ったのだ。ワシと一緒に食べるぞ!」
チビ足は、エルフの里の魔導書図書館館長であるマグダリア様の養女だ。でも、ボクのおじい様、ベルディアド上皇陛下も一緒に育てた。チビ足の口調は、おじい様とそっくりだ。
…マグダリア様は、それを嫌がっているけど。
食堂でチビ足と並んで昼食を食べる。
今朝はみんながいた。
今はチビ足がいる。
ほうれん草とコカトリスのキッシュはとても美味しい。嫌いなトマトも、ベーコンと一緒のスープは美味しい。サラダに、クルミが散らしてあったから、チビ足は機嫌よくいっぱい食べていた。
食後に、一緒に牛乳を飲んだ。
「今日は何をするんだ?」
チビ足がボクに聞いてきた。
「今日はこれから授業を受けなきゃ…。昨日仕掛けた罠だけどね…」
ボク達は一緒に食堂を出た。




