#50 第五十二噺
ちょっとした連休スペシャル状態です。引き続きお楽しみください。
小学校教諭、齋籐音奈(25)は、
村に1つしかない本屋『あけぼの書店』で古文の問題集をパラパラと捲りながら、片手にキープした推理小説の新刊を肘と腰の間に挟み直した。
問題集を棚に戻し、そろそろレジに向かおうと思った時だった。
赤字で『1才から8才』と印刷された黒い暖簾の内側から、
三途川商店のアルバイト、慈光亘(32)が出てきた。
ギョッとした亘は、素早く手に持った本を背中側に隠す。
「あら、慈光さん。」と音奈は少し弾んだいつもより高い声を出し、慌てたように自分の身体に付いた香水の薫りを確認した。
「またお会いしましたね。」とパーマした肩までの髪の襟足をフワフワッと整え、鼻の上に丸眼鏡を乗せ直した音奈が言う。
返事をしない亘に対し、戸惑ったような素振りを見せながら、彼女は「どんなご本をお読みになるんですか?」と聞いた。
びくびくした様子の慈光亘は、「い、急ぐので……」と言って、狭い通路を無理矢理すれ違おうとする。
「あ」
バサバサバサッ……。その拍子に彼の手からビニールパックされた数冊の本が床に落ちた。
「あ、すみません……」と音奈が手を伸ばす。
「…………」「…………」
音奈は一瞬手を止め、床に散らばった、明らかに少女向けと思われる漫画の一冊に、
『乙女容れ☆オドロキまんしゅう事変』と書かれたタイトルを読み取り、重なった二冊目が見えるようにそっとずらすと、『ろまんちっくび☆しょうじょ・れびゅー』と金字で印刷された可愛らしい少女が描かれた表紙を見つめた。
「……これは……」と音奈は呟く。
「……慈光さんは相変わらず少女漫画がお好きなんですね。」と音奈は微笑んだ。
「塾に来る女の子達の為に揃えているのですか?私もあの頃、勉強の息抜きに読んだ漫画がきっかけで国語の教師になりましたからね。まんしゅう事変は歴史もの、びしょうじょ・れびゅーは音楽ものですかね?こういった娯楽から興味を持った子達が自分の進む道を決めていくものなんですよね。でも女の子ばかり依怙贔屓してはダメですよ?」と音奈は言うと、3冊目の『続おもいでくらし。』というセピア色の装丁の本を見つめ、教室の椅子に座って涙か何かを流す詩的な少女のイラストが描かれた表紙に、
自身も懐かしいような、切ないような、不思議な気持ちになっていた。
「も、もう行ってもいいでしょうか……」と慈光亘が本を受け取りながら言う。
「……あの1才から8才の暖簾の向こう、てっきり子供向けだと思って入ったことなかったですが……こんな綺麗で可愛らしい本が一杯置いてあるんですね。」と音奈が言う。
躊躇なく暖簾をくぐろうとする若い女性に、亘は慌てて、思わず彼女の手を掴んで引き戻していた。
「え………」
耳まで真っ赤になった音奈が、力強い彼の手に視線を落とし、今度は自分が持っていた小説を落としてしまう。
「す、すみません……あ、あっちには行かないでください……店主も迷惑だと思います……」と亘が呟いた。
「……で、出ましょう。」彼はそう言うと、素早く会計を済ませ、買った本を黒いビニール袋に本を詰めてもらい、
音奈の買い物が終わったのを見届けると足早に店の外へ出ていってしまった。
「ま、待ってください……」と若い女性教師が彼の背中を追い掛ける。
ピタリ。と彼は立ち止まり、おもむろに音奈の方へ振り返った。
そして、ササッ……と彼女のことを頭から爪先まで観察すると、(はぁ……)と残念そうに溜め息を吐き、「何故ボクに付きまとうんですか?」と言った。
「つ、付きまとっているわけでは……も、申し訳ありません。」
「いや、もういいです。本屋に長いこと居たから、ウンチクを語りたくなりました。一人にしてください。」
音奈は、はい?と戸惑った表情をした後、すぐにプーゥゥッと吹き出し、「……慈光さんったら!変わりませんね……ホント面白い!私もウンチクが語りたくなりました!何故でしょうね??本屋さんに居るとウンチクを披露したくなるのって!」
すでにプーゥゥッと出された物に対して、亘は、眉をしかめながら手で仰ぎ、「……ごめんなさい。齋籐先生。ボクは高校生以上のウンチクには興味がありません。大人の知識自慢は見苦しいだけです。」と言った。
急に『音奈』と名前呼びされたことに驚き、「み、見苦しいですか…ね……」と彼女は、微かに涙目になって俯いた。
「で、でも、慈光さん?私は曲がりなりにも教師をやっております!音奈のウンチクはですね…いつも生徒達を喜ばせられるように…しゅ、趣向を凝らしたものなんですよ!」と生真面目そうな女性教師が言う。
「……子供達が、精一杯のウンチクを披露するというのなら、可愛らしいですがね。……そんなに言うなら、今、ここで、ウンチクのさわりでも聞かせてもらいましょうか?あまり興味は湧かないですが……」
亘はチラッと黒いビニール袋の中身を見て、早く帰ってこれを読みたい……と考えていた。
音奈は「今??!こ、ここでですか?」と叫び、「……ちょっとそれは………」と項垂れた。
「まあ、口だけだとは思いましたよ。」と亘が言う。「どのみち、ボクは大人がウンチクを垂れる姿には関心がありません。それはただのひけらかしです。自分の頭で考えたものではなく、誰かの受け売りでしかない。そんなものは本を読めば載っているものだ。あけぼの書店にもそういう本は一杯売ってますよ。店主の趣味ですからね。とにかくボクは、穢れた大人が仕入れた手垢にまみれた既出のおマメ知識なんかじゃなく、まだ綺麗な子供達が一生懸命考えて出した推論やケツ論が聞きたいんです。
……論理は至高です。申し訳ないですが、齋籐先生。今の貴女がウンチクを語られている姿を想像すると……正直……。」
そこで亘は口を閉じ、黙ったままスタスタと歩き去ってしまった。
取り残された齋籐音奈は、今にも出かかっていたウンチクを引っ込めて、唇を噛んで震えていた。
そのまま小一時間は商店街をさ迷っただろうか。
音奈は、裁縫店の前で立ち止まると、意を決してそこの扉をくぐった。
……カランカラン……。
そして白いフワフワの、果物やお花がプリントされた布を買い漁り、ピンクや水色のリボンを大量に買い込んだ。そして、レジ前に置いてあった『月桂樹社刊 新星甘カワまほう系♡の女の子の服』と『これでアナタも若返り♪カ☆ロリーコン☆トロールで脂肪にバイバイ』 という書籍を手に取り、……よし!と拳をグ!と握ったのだった。
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慈光亘は、足早に雑木林を抜け、住み込みで働いている三途川商店に向かってズンズンと歩いていた。
頭の中に、若いが成熟した大人の女性でもある齋籐先生の姿と、
初めて塾に来た頃の小学生の音奈ちゃんの痩せた姿が交錯する。
はぁはぁ………と息を荒らげ、亘は、ザクザクと砂利を踏みしめながらわき目もふらずに真っ直ぐ歩いていた。
黒いビニール袋が揺れて、脚に激しくぶつかる。
あまりに強く揺すっていた為、ビニールの持ち手は伸びて、段々と裂け始めていた。
彼が手を強く振った瞬間、スパッ………と袋の側面が切れ、ドサドサドサ……とパックされた漫画本が道に落ちる。
亘は、しゃがみ込んでそれらを拾い集め、そのままの姿勢で表紙の女の子達を凝視していた。
……………。
やがて彼は呼吸を元に戻せないまま、短い息継ぎをしながら立ち上がり、
鬱蒼と繁った雑木林の方へ進路を変えた。
そして通りから充分離れたところで、ザラザラとしたクヌギの木と、名前の知らない背の高い雑草に身体を隠して、
ゴソゴソと草を揺らし始める。
次にセロテープで包まれた硬いビニールを破る音が聞こえ、いっそう草が左右に激しく揺れた。
時折、草の間から不健康そうな肌の色が見え隠れし、脛毛の生えた細いふくらはぎに、黒い靴下と革靴を履いた脚が、ワサワサと音を立てながら周囲の植物を踏み倒す。
数分後、静かになった叢から、額にかいた汗に前髪を張り付けた慈光亘が出てくると、彼はジャケットとスボンに枯れ葉や土を付けていて、襟を正すと、足元に散らばった書籍を見下ろした。
三々賀村で小さな塾を経営する彼は、商才は殆どなく、子供達へのプリント作りやオヤツなどはほぼ全部自腹で出し、保護者達からの少しの謝礼だけで細々と日々を生きていた。
理想主義者の彼は、三途川商店の少ない給与を使って、勉強法の本や専門書などを揃えて独学で学び、更にほんの1時間前にせっかく買った漫画本3冊さえ、雑木林に捨てていくことにしていた。
……ここに置いておけば、子供達が見つけるに違いない。この辺りは男の子達が、よく秘密基地を作るところだ。
………その子のうちの誰かが、もしかしたら妹を連れてくるかもしれない。そう。男の子だけでなく、女の子も等しく学びの機会は与えられるべきだ。
亘は自分の考えに興奮してきて、いつか作りたいと思っていた『子供図書館』についての夢を巡らせ始めた。
……しかし子供達は偶然見つけたこの本から、色々なことを学び、そして自分の頭で考えてくれるようになるはずだ。
もしかしたら塾に本を置いておくよりも、こうやって強制されずに見つけた知識の方が、子供達には価値があるものかもしれないのだ。
亘は、本屋を出てから、三途川商店に戻るまでの間、
我慢出来なかったウンチクを出し終えたことでスッキリとした顔をし、即席で掘った穴にそれを埋めておいた。
『王様の耳はロバのみみ~~~』
彼は買ったばかりの本のページを破り、ウンチクの後処理に使ったことで、読むとホントーにタ(”)メになる少女漫画3冊をその場に捨てていくことにしたのだった。
3冊とも捨てることはなかったかも知れない。
…でも正直一回読むと充分なんだよね。表紙を見て買うところまでが一番ワクワクするっていうか……ね?
ボクが12才の頃、この雑木林で見つけた本。
『はダ・カーポ♯♭少女レッスン』。そして『陰に陽♡マジメなあの娘のアブない趣味れえしょん』……
これらを見た時の知的好奇心を越えるものは、その後のボクの人生に一つとしてなかった。言ってみればあの2冊の本がボクをここまで連れてきたのだ。
亘は、雑木林を抜け出すと、後はよそ見をせずに、塾に通う子供達の未来に向けて歩き出していた。
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翌日の朝、両親と暮らす家から小学校へ通う齋籐音奈(25)は、いつもよりも一時間近く早く通勤路から外れた雑木林のある砂利道を歩いていた。
早速昨日買った本の内容を実践し、カロリーコントロールを行う音奈は、毎朝のウォーキングを始め、身体の脂肪を燃焼させようと試みていた。
夜はお風呂で脚の根本からリンパマッサージをし、太ももを細くする。
そして筋トレと、ストレッチによる骨盤矯正でお尻を小さく。
コーヒーを適量。ブロッコリーやキャベツなどのアブラナ科の植物に含まれる成分には、女性ホルモンを抑える働きがあると言われていて、女性らしい丸みも抑えてくれる効果が期待出来る。これらを日々行うことで、私は小学生の身体に戻っていくはず。
でも一番の問題は肌の黒ずみね……。
小学生の時は、唇のようにピンク色だった部分は、いつの間にか年齢と共に赤茶色から黒っぽく変色していった。
この本によると、これにはビタミンB2がいいらしい。
肌の新陳代謝には青魚や卵や納豆、そしてアーモンドも良いとのこと。
黒ずみを抑えるにはビタミンC。キャベツ以外にもキウイフルーツも毎日食べたいわね…。
質の良い眠りを確保するだけで、代謝もよくなるそうだから、早く肌を生まれ変わらせるには睡眠が一番。寝る前の読書はもうやめましょう。
たった1日の生活改善で、音奈の身体には劇的な改善が生まれている……ような気がしていたが、実際は髪と眉毛と睫毛以外の体毛を全て剃った以外に大きな変化はなく、
昨日買った生地で作る予定の可愛らしいお洋服が似合うようになるまでの間、
音奈は、家の押し入れに捨てずにしまわれていた小さい頃の下着をもう一度履くことで、小学生気分を高めているだけだった。
朝一に食べた、納豆と生卵とキウイフルーツをミキサーにかけた飲み物が、……お腹の中でグルグルと回っている。
ここまで軽く走ってきたことで、音奈の腸は活発に活動を開始していて、
本から仕入れたばかりのちょっとしたウンチクを、もうひけらかしたくなっている自分に気付いていた。
……私ってダメね………。慈光さんが言っていた通り。本からの受け売りだけで、自分の考えをまるで持っていない。こんなのが本当の知恵と言えるのかしら……。流仁大学を受験する為に詰め込み学習を始めた頃からだったな……慈光さんが私に冷たくなったのは……。きっと見透かされていたんだ。今思うと何もかもが恥ずかしい……。
音奈はウンチクを語るのをじっと我慢していたが、……ついに限界が来て、左右を見る暇もなく、袖と髪を木の枝に引っ掛けながら、すぐ近くの雑木林に駆け込んでいった。
はあはあ……と息が上がる。
目の前に見えてきたゴツゴツとした木肌のクヌギの木。……近くには丁度身体をスッポリ隠せそうな背の高い雑草が生えている。
音奈は足をもつれさせながら、林の中に白いスーツのパンツを浮かび上がらせて、叢にバサッ!と身を埋めた。そして前後の確認もせずに、昨日までの体の悪いものを全部出しきったような大量のウンチクを放出し、
しばらく終わりがないくらいに知ったかぶりぶりの無駄知識を披露し続けた。仕上げにトリビアサーバーから泡立つ生を勢い良く注ぎ込み、
ホッ………と溜め息をつくと、
自分の足元で3冊の本がヒタヒタに埋没してしまっていることに気付いた。
もう判読出来ないほど汚れ、ふやけてしまったそれらの本からは、辛うじて表紙で微笑む可愛らしい少女の絵だけを見つけることが出来た。
彼女は震える指で慎重に、一番無事そうな本のページを開くと……、
花のように可憐な女の子が……、見せてはいけないポーズでブリッコかブリッジか何か分からないことをしているであろうコマの一部が見え、
音奈は、ん?ん?……んん??!と顔を赤色から青色に変化させ、
き、き、き、きもぉぉぉぉぉぉぉぉぉ???う、うぇぇぇぇぇぇぇえええ??!?と白目を剥いた。
そして無我夢中でびりびりびり……!!とページを破ると、む、む、むら、村に変質者がいる?!!クソが!クソが!クソが!
と、それを使って最後の最後まで体の汚れを拭い取ってから地面に投げつけた。
幸いなことに(?)彼女の脳裏には、慈光さんの買った3冊の本のことが一瞬でも頭を掠めることはなかったが、
音奈はキモいキモいキモいキモい………と呪文のように唱えながら、…誘惑に逆らえずもう一度ページを捲ろうと試み、
2人の少女がおし愛っこ♡している微笑ましいシーんを見つけて、オうぇぇええぅぃぇぇぇぇぇ♡と、思い切り言論の自由をはき違えたのだった。




