#28 第七十四噺
稲田創士は、ターナー家からの帰り道、弁天沼の畔で、白い錯覚石の上に腰掛けて休憩していた。
……昨夜、驚いたことに宮代蛍から連絡があった。
神おむつのパッケージに記載していたお客様相談室を見て、直接電話をかけてきたのだ。
最初は何を言っているか理解出来なかったが、
どうやら宮代の娘は、僕のことを『弁天の遣いの白蛇』だと勘違いしているらしい。
で、あの金髪女児ちゃんのことを雨乞いの処女と呼んでいた。スケジュールの調整があるから、早いとこ日程を決めてほしいとか何とか。
……こちらも適当に話を合わせておいたが、もしかしたらこれはタナボタな話ではなかろうか。
宮代に警戒されず、内部に潜り込めるチャンスでは……。さらに生け贄もこちらに取り込むことが出来て一石二鳥。
このまま弁天の白蛇として振る舞えば、宮代の娘を油断させたまま、簡単に復讐計画を進められるのでは?
外宮来神、稲田創士は、スマホのアプリで自分のスケジュールも確認し、
……このまま雨が降らないうちに、早急に準備を進めねば……と考えていた。次の日曜日に、宮代が言うには沼の底さらいを手伝ってほしいとのこと。うまいこと晴天続きで水の量も減っているので、あと2人の友人を誘って1日で終わらせるらしい。
創士は、三々賀村のしきたりを完全に把握しているわけではなかったので、早速、この土地の風習を研究しているターナー家を訪ね、
今日は色々と外宮来以外の蛇信仰について聞いてきたところだった。
さすがに僕自身、八百万の神全部を把握しているわけではないからな……と創士は苦笑いし、紙の手帳にメモを取ったターナーのはげちゃびん先生の言葉を読み直していた。
……ターナーは、この僕の依り代のサラサラヘアを見て、……将来禿げる可能性が高いと見て、親近感を持ってきている。そのおかげか娘にぴったりの男として、警戒感なく僕を受け入れてくれているようだ。
……ターナー曰く、三々賀村にはどうやら蛇の神だけでも沢山いるらしい。
その中でも弁天の白蛇は、善き神とされ、昔から村人は親しみを込めて、この沼の主を弁女の神様と呼んでいる。
また、弁女の烙書きと呼ばれる、雨乞いの処女の体への写経は、とても名誉なことであるとターナーは言っていた。
ボロが出るといけないので、念のため自分が蛇であることも、金髪の娘が雨乞いの処女に選ばれた?こともまだ伝えていないが、この様子だと、あの金髪の娘を貰い受けるのも時間の問題であろう。タイミングを見て、実は自分が白蛇だと明かせば、生け贄の件も滞りなく済ませることが出来るだろう。
創士は、ターナーが他の部屋にある文献を取りにいっている間に、弁天のページをスマホに全部写しておいた。
……しかし、それよりも彼が興味を惹かれたのは、蛇が関わるもう一つの神話の方であった。
……ここ日本には、クリスマスやバレンタイン、ハロウィンなど、異国の神や儀式を取り込みながら、直近のたった数百年の間で、八百万の神を数十柱の勢いで増やしてきたという歴史がある。
ターナーが持ってきた文献には、ある異国の神が記されていた。
……冥界の王オシリス。
元は穀物の神としてもエジプトに君臨した人間の王。
その人気を妬んだ弟のセトに殺された後、死体はバラバラにされてナイル川に捨てられた。
オシリスの妹妻であるイシスは、その肉片を拾い集めたが、…男の大事なところのみ、魚に喰われて見つからなかったという。
イシスは、オシリスの不倫の子アヌビスと協力し、新開発のミイラ技術によりお兄ちゃんを復活させ、最終的にオシリスは冥界の王となった。
その妹妻イシスは、別の神話では、かの太陽神ラーを失墜させる為に毒蛇を創造して咬ませたという。……妹を嫁にするのはやめた方がよい。
オホン。それはともかくとして。毒蛇は宮代の宿敵だ。
ターナーの研究によれば、どうやら数百年前に三々賀村を襲ったとされる未曾有の危機は、この異国の神々が引き起こしたものらしい。
かつて三々賀村の七割を壊滅させた大災害は、三神丘に続く強固な鳥居の半分を吹っ飛ばし、当時の宮代の男どもを皆殺しにした。
それがどのようにして終結したのかは、今はもう伝わっていないが、
その時に外宮来神を含む多くの祟り神が生まれたらしい、とターナーは語っていた。
……確かにそうかもしれない。記憶を辿るとその時代の自分が何をしていたのか、どこにいたのか、全く思い出せない。それ以前のことになると完全に無に帰してしまう。だが言ってみればそんな昔から、外宮来と宮代の争いは続いていたのだ。
大災害の後、三々賀村への異教を崇拝する余所者の移住は固く禁じられていたはずだったが、
先々代の宮代の巫女が井戸に落ちて死んだ時、行政の機能が麻痺したことによる手続きの不備のどさくさで、研究者のターナー家は入村許可されて入ってきてしまったのだった。
その時、チャンスとばかりに外宮来も宮代の杜を攻めたのだが、
……逆に若い宮代の返り討ちに合い、当時の依り代が老人だったこともあって、あっけなく首を切り落とされて今に至るというわけだ。
………そして今、宮代の巫女の不在による、祟り神の活発化。余所者の入植。異国の神々の儀式。そして蛇の復活。
あらゆる出来事が一点に収束しようとしている気がする。
……そう。
数ヶ月前、この稲田創士くんは、村境の首吊り山で祟り神に体を明け渡したのだ。何故、彼がそんなことをしたのかは知らないが、正直理由はどうだっていい。
僕は久々の足を得て、血液の失くなった頭をふらつかせながら山を下りていった。
このまま三々賀村に向かうことも出来たが、……この壊死しかけた体だ。同じミスは犯せない。十分に動けるようになってから宮代に戦いを挑むのが得策だ。
僕は、回れ右をして四国山の方を目指すことにした。……あそこには温泉施設があったはず。
遭難者の振りをして助けを求め、回復するのを待とう……。
そして僕は、四国山療養所の敷地内に倒れ込み、施設の人間に保護されたのだった。
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糞尿を垂れ流した少年が運ばれてきた時、木守龍治は、丁度、宿泊客のオムツを焼却炉に運んでいるところだった。
土色の顔をした少年は、首に切れた縄を巻いており、それを引き摺りながらここまで歩いてきたようだった。
彼の衣服は汚れたままになっており、龍治は、まずは急いで少年をベッドのある部屋に運ぶと、備え付けの電話機から内線で、他のスタッフへ警察に連絡を入れたのかと尋ねた。
「それが……こういった場合、警察に連絡していいものか。未成年ですし、恥ずかしいのではないかと…。」と真面目そうな男性スタッフが言う。
「まあ、確かにそうだね。だがね、未成年だからこそ…」と龍治が言った時だった。
背後から肩に手が置かれ、驚いた龍治が振り向くと、先ほどまで意識のなかった少年が立って首を振っていた。
「だ、大丈夫かい??きみ?!」と力強く彼の肩を掴む。
少年は喉からぜぇぜぇとした息を吐き、何度か痰のからんだような咳をすると「だ、大丈夫です。」と言った。
そして「お願いです。警察には連絡をしないでください……」と訴えてきた。
「……いや、そういうわけにはいかないよ。君は……」と龍治が言いかけると、少年が「僕は家出をしてきただけです。親に連絡してください。それで十分です」と言って、ポケットから汚れた生徒手帳を取り出してきた。
「もう、僕の体は何ともありませんから……。とりあえずそこの連絡先へ電話してくれませんか。」
必死な様子の少年を見て、龍治は「いいの?逆に今日のことを親に連絡しちゃっても?」と言って、背中を向ける。
少年は自分のもう一つのポケットに震えるような違和感を感じ、慎重にそこに手を入れると…硬い板が指に触れた為、
それを外に引っ張り出してみた。
んーんーんー………
小さなテレビ画面に『母』という文字が表示され、光の明滅が湧き出しては消えながら、くるくると回っている。
少年の脳に戻ってきた血液と共に断片的な記憶が甦ってくる。
……ああ、思い出したぞ。これは現在の世界の電話か。
「なんだい、それは?」と龍治が不思議そうな顔をして鉄の板を見る。
「あ、いえ、何でもないです。」と言って少年はそれをポケットにしまった。
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翌日、少年の家族と連絡が取れ、その日の夕方のうちに彼の母親が療養所にやってきた。
この稲田創士という高校生の少年は、おとといから行方が分からなくなっていたとのこと。
子供の年齢のわりに年老いてみえる母親は、息子の姿を見るなり「創士くん……また首をそんな風にして……ごめんね……ママが全部悪いの……許してね……学校にはもう行かなくていいから……アナタの好きにしていいから……もう1人でそんな危ないことをしないで……」と涙を流した。
創士は、「ありがとう、お母さん。心配かけてごめんね。」と言い、「ねえ?許されるなら、……僕はしばらくここに居たいんだけど……ダメかな?」と母親の肩を支えるように抱きながら呟いた。
母親は涙を拭きながら、少し意外そうな顔をして息子のことを見つめる。
「……あ、あの、空き部屋はありますか?お金はいくらかかっても構いません。この子がこう言っております。しばらく……ここでお世話をしていただけないでしょうか………」
同席していた館長は木守龍治の顔を見て、次に年老いた母親を見つめると「……お母さま、顔をお上げください。……当施設の目的は、世捨て人の願望を叶え、自由に心を解放することで、最終的には社会復帰を目指すことです。……わかりました。その若い少年は、うちで良ければしばらくお預かり致しましょう。…永遠というわけにはいきませんが、彼のようなマニアックな性癖の持ち主には、常に命の危険が伴う為、しっかりとした保護観察が必要となると思います。」と言い、それを聞いた隣に立つイケオジスタッフも沈痛な面持ちで何度も頷いていた。
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部屋をあてがわれた稲田創士は、すぐに心身共にめざましい回復を遂げ、
その後は宿泊費の不足分をまかなうという建前で、龍治の雑務を手伝うようになっていた。
高校生とは思えない落ち着きと聡明さ、清潔感のあるサラサラヘアは、一部の宿泊客にも人気で、彼は急速に施設に溶け込んでいった。危惧された危険な遊びも、あれ以来いっさいやることがなくなり、今では全くの常識人に見えた。
「…ところで3号室の方は肥えが出せるようになったんですか?」と、タオルを持った創士が聞いてくる。
「まだのようだね。」と龍治がビニールにつめた宿泊客四人分のオムツをカートに乗せながら言った。
「ツクシくん、他の宿泊客と顔を合わせないよう気を付けるんだよ。色々と手伝ってくれるのは助かるが、まだ君はここの社員ではないんだからね。」
「ええ、分かっています。でも高校を卒業したら、ここの試験を受けるつもりです。」
「そうか…。まあ、採用を決めるのは私ではないがね。頑張るといいよ。あ、今は5号室周辺には近付かないように。」
ウキ~!と扉の向こうで猿のように叫ぶ声が聞こえた。
「はい。」
「じゃあ君も部屋に戻りなさい。」
創士は、ポリ袋に密閉されて運ばれていく茶褐色に染まった汚れ物を横目で見つつ、龍治が立ち去っていくの見送り、
彼の姿が見えなくなるとスマホを取り出し、写し取っていた宿泊客名簿を確認し始めた。
……今ここに泊まっているのは5人か。
……声優、アイドル、俳優、スポーツ選手。そしてVチューバーの中の人。
ここは神の産卵場。
うまいこと誘導し、蟲姫に、神の卵を運ぶ手伝いをさせよう。あの屋敷には使い魔のスカラベがいるはずだ。
創士の頭の中を、ターナーの研究論文がよぎっていく。
ボクが偶然引き寄せられてきたこの場所は、明らかな特異点だ。
……封印されし出エジプト記の民と呼ばれる、古代文明の空想から生まれた神の欠片が、
5人揃うことで発動する強力な破壊呪文があるということだ。それはかつて三々賀村を襲った未曾有の災害と同じもの。鳥居の半分を吹っ飛ばし、強力な宮代の男どもを壊滅させた、あの災厄。それを今再びここに……。
オシリス、アヌビス、エクソダス。そして蟲姫のスカ・ラベによって……。
……名簿の最後にあるこの小山内 囲炉理とかいう女の便秘が解消したその時、バラバラになっていた5人の封印されしエクソダスが揃うはずだ。
その時、三々賀村は塵となり消え失せるだろう。
……覚悟していろよ、宮代蛍……。
色白の高校生、稲田創士は、オタクに優しいギャルがしているような謎チョーカーを暑そうに引っ張り、首に出来た汗疹をポリポリと掻いた。
……小山内 囲炉理……え、この人っておちゃっぴーの中の人なの……?何という運命。
蟲姫に『おちゃっぴーに会える』と言えば、会いたがるかも知れないな。
……まあ、まずは雨乞いの儀が先か。
さあて、忙しくなるぞ……。
創士は嬉しそうに手を擦り合わせ、弁天沼の横にある岩から立ち上がると、気分転換で今日は徒歩で帰っていった。




