御簾の向こうのトリオ
そんなこんなですっかり顔パスになった秋成様は、しょっちゅう我が家に出入りするようになった。
表向きは弟を訪ねてくる。
「尚、桑の実がたくさんなってたよ」
動物が好きなようで、弟の鳥に毎回お土産を持ってくる。
表向きじゃなく、こっちが本命説もある。
纏う空気まで麗しいのに、袋いっぱいに木の実を詰めてるなんて、ファンタジーが過ぎないか。
じっと見てたら、ふわと御簾の向こうが柔らかくなり、微笑んだ気配がする。
(今日も罪作りだぜ、秋成様――)
「今のもう一回聴かせて?」
「え?今の?」
言われるままに、直前まで練習していた曲を吹いてみせる。
"楽譜”の件で思い出した前世の曲が、一か所どうにもうまく吹けなくって格闘してたんだよね。
「速いやつ吹くと、息と指がこんがらがちゃうよね」
「そんな吹き方初めて聴いた」
秋成様は小さな火鉢で笙をくるくる温めながら不思議そうに言う。
よくわからないが笙は初めに温めないといけないらしい。最近彼が来る時はミニ火鉢を用意している。暑い。
「あー、そうだよね。あんまやらないよね」
前世の曲なのでバツが悪くて、えへへと肩をすくめて見せた。
「面白い。僕もできるかな」
秋成様は笙を構えると、かなり近い雰囲気で再現する。
「どう?」
「すご!そんなすぐできちゃうもの⁈」
いつも静かな秋成様から、珍しく得意げな気配が漂ってきた。
褒めるとさらに嬉しそうだ。
(今絶対ドヤ顔してる。見たい)
笙を持つ手が揺れて、ふと彼の持つ楽器が気になった。
「ねぇねぇ、ちょびーっとだけ、笙を見せてもらえないかな?」
「僕のこれ?」
「私一度も触ったことがなくって。吸っても吐いても鳴るんでしょ?」
「いいよ。その笛も、いつものじゃないよね。違う音してる」
「うん、これね!特注品なんだ!」
お互いの楽器を見せ合おうといそいそ御簾を上げいざり出る。と、弟の声が割り込んできた。
「姉さん――、何してるの」
笛を手に御簾から頭を出したおかしなポーズで、弟と、その脇に立つ見知らぬ青年と目が合う。
「ちか――。忘れてた」
秋成様がポツリと漏らす。
「お客様がびっくりするよ!何出てこようとしてるのさ」
弟があたふたと御簾の内へと私を追い立てる。
(ちっ。いいところで――)
楽器オタクの聖なる儀式を邪魔され、思わず心の中で舌打ちした。
「あはは、お目汚しを失礼しました」
仕方なく御簾の内へ頭を引っ込めた。
弟に連れられてきた青年は、びっくりしすぎて固まってしまっている。
ちらっと見た感じ、私と同い年くらいだった。中性的な雰囲気の秋成様と比べると、きっちりした骨格の男らしい感じだったけど――。
(誰だろ。平安貴族に珍しいワイルド系だったな?)
「すみません、忘れてました」
秋成様が優雅な口調で言う。
「あの夜の篳篥の、親房です。どうしても付いて来たいというので、こちらへ直接来るよう言っておいたんです」
「どうしてもって、秋成お前が、……」
親房様が慌てたように言う。
「あの夜の篳篥!」
(のお調子者――。この人だったのか)
みなまで言わず、後半は飲み込んだ。
「すっごく楽しかった!私つられて笛吹いちゃって」
秋成様の友人は私の友人、みたいな謎の馴れ馴れしさで、うっかりお友達テンションで話してしまう。
「そ、そうか」
親房様は居心地の悪そうな反応をした。
「でも親房は笛の音、聞こえてなかったんだって」
「ざわざわしてたもんね!聞こえてた秋成様がすごいんだよ!」
あの夜のわくわくを思い出し、胸が弾む。
「じゃ、あの時のやつ。今からやってみよう!」
二人はボソボソと打ち合わせて楽器を構えた。
目くばせし、息を吸い込み音が始まる――。
秋成様がこちらを向いた次の瞬間、私も笛を重ねた。
親房様が身じろぎして、こちらをうかがう気配がする。
光を撒く笙の響きを追いながら、篳篥の呼吸に合わせ、私は一息に風を巻き起こす。
笙の音が調子を変える。秋成様が背筋を伸ばし、調子を告げる。一緒に息を吸う。
音の波が満ちる——。
「すっげー、何これ、今のどうなってんの。俺ゾワゾワって……」
「良かったよね!? 最後のとこ、もうちょっと揺れないようにできる?がんばってみて」
「おうよ!」
(楽しすぎる――)
「お前、恥じらいってもんはないわけ」
「失礼だな、ちゃんとあります。必要な時しか発動させないの!」
我慢できずに御簾からにじり出てきた私に、親房様が呆れて言う。
うん、やっぱりワイルド系イケメンだ。
キリッとした眉にしっかりした顎。前世の部活仲間を思い出す。
「いいからさっきのとこ、もっかいやってみて。息継ぎしちゃダメ」
「無茶言うな」
大きく息を吸うと、親房様は息継ぎなしで音を明るく響かせてみせた。茜色の音が膨らむ。
秋成様がわずかに眉を上げ、親房様をじっと見た。親房様がニヤリと笑う。
「あはは、爆音。秋成様、負けてるよ。音のキラキラ、虹色にできる?」
「うん」
直に見る秋成様は想像通りの美人さんだった。
白い肌に細い鼻梁、薄紅の唇、長い睫毛に囲まれた瞳は透き通って神秘的だ。
え、美しすぎて後光差してない?
(笙で隠さないで、でも音は聴きたい……あぁ、罪深い私……)
秋成様が目を伏せた。七色に音が舞い散る。
私は二人の音に笛を低く添えた――。
「姉さん、お茶にしない?」
弟がおやつのお煎餅と鳥籠を抱え、いそいそとやってきた。
「尚!ありがと」
「親房様からのいただきものだよ」
「え、意外と気が利く……!ありがとう!」
「意外じゃねぇ」
お煎餅を齧りながら、思わずさっきの余韻に浸ってしまう。
秋成様は鳥籠をじっと見つめながら、弟の鳥トークに聞き入っている。
「なついてる」
「雛から育てたからね、手に乗せられるんだ。試してみる?」
「うん」
親房様はちょっと放心した様子でそんな二人を眺めていた。
「親房様、次は手ぶらで来てね!」
「"ちか”でいい。言いにくいからみんなそう呼ぶ」
親房様が、煎餅の欠片を小鳥にやりながらぶっきらぼうに言う。
(ツンデレ、かわ)
「小霧と尚だよ!ちか!」
「知ってる」
「僕"あき”ね」
秋成様もふと顔を上げて言う。
「ふふ、あっきーって呼んでいい?」
返事の代わりにふわりと笑った秋成様が、びっくりするほど美しい。
(笑うと空気がキレイに……)
「小霧、尚も、今日はありがとう」
「うん!次、何するか考えといてね!」
「お前、次は御簾ん中な」
「なんのために?」
「は?」
盛大に舌打ちされた。
いいじゃんね?
日が暮れかけた頃、二人は帰って行った。
うずうずと、どこかがむず痒いような余韻に頬が緩む。
これからずっと、こんな日が続いていくんだと私はのんきに喜んでいた。
新しい仲間との時間が楽しすぎて、すっかり油断していたんだ――。