2-1
「たーだいまっと」
誰もいないつもりで玄関の扉を開いた亘は、予想外に明るい部屋と
「お帰り」
と言う、落ち着いた声に迎えられた。
慌てて顔を上げると、僅かに苦笑を浮かべた叔父がリビングの扉を開いている。
「え? あれ?」
玄関の扉を開いたまま、クエスチョンマークを飛ばしている甥に、手招きする。
「とりあえず入ってしまいなさい。
外は冷えただろう?お茶を煎れるから」
「あ、はい」
わたわたと玄関に入った甥の姿に、小さく笑みを浮かべながらコンロに向かう。
そんな叔父の後ろ姿を複雑な視線で見てから、小さく亘はため息をつく。
もそもそとスニーカーを脱ぎ、広いシックな玄関を見回し再度ため息をつく。
短いとは言え廊下を歩く亘は、呆れた表情を浮かべていた。
カシャン、と凝った造りのドアを開いた亘は、急須にお茶葉を煎れる叔父を見つけた。
本気で手ずからお茶を煎れてくれるようだ。
「ねぇ、桂輔さん?」
これも装飾が施されたテーブルに、芸術的な椅子に座り込む。
ふんわりとしていて、座り心地は満点だ。
湯飲みにお湯を注いでいた叔父、桂輔が顔だけを亘に向けた。
「聞きたいこと、っていうか、突っ込みたいこと満載なんだけどさ」
「うん?」
頬杖をついた亘の姿勢に、真剣な話ではないと判断した桂輔は湯飲みに注意を向けなおす。
そんな叔父の背中を見つめ、亘はくだらない突っ込みは後回しにする。
「桂輔さん、忙しいでしょ?
こんなトコでお茶を煎れてくれてて良い訳?」
急須にお湯を注いだ桂輔は、蓋を閉じながら肩を竦めてみせた。
「まあ、暇ではないが」
湯飲みとともにテーブルに急須を置いた桂輔は、ふと亘を見た。
「何?」
言葉が途切れたのに気付き、亘は急須から桂輔に視線を動かした。
「元気そうだな、亘」
嬉しそうに、またどこか懐かしむように笑う叔父が腕を伸ばして自分の頭を撫でるのを、複雑な表情で耐える。
「桂輔さん、お茶!」
10秒も持たなかった忍耐の限界に達し、亘は急須を指差す。
残念そうな表情を浮かべたが、桂輔はちょうど良い案配だろうお茶を注ぐ。
「久しぶりに顔を合わせた甥と話す時間くらい、あっても良かろう?」
片方を亘に押しやり言い放つ桂輔の言葉に、亘は裏を語り呆れた。
「つまり?」
「脱け出してきた!」
ふっと笑う叔父に冷たい視線を送りつつ、お茶を口に含む。
「うま!」
ちょうど良い熱さに、まろやかな味わいで苦味を感じない緑茶。
思わず湯飲みを見つめる亘に、桂輔が頷く。
「亘は帰国したばかりだからな。
紅茶ではない、日本の緑茶にも親しんで欲しくてな?」
厳格そうな雰囲気の叔父が楽しそうなのだ。
また忙しいはずの桂輔が、自分のためにお茶を厳選してくれた所を見ると、歓迎してくれているようで、亘としても嬉しい。
美味いお茶を啜りながら、亘が己の過去の回想に突入しかけた時。
「だからと言って、全て和式にするのも大変かと思ってな。
家財道具は洋式に変更させた。
ケンブリッジが建てられた頃の様式のものを揃えた。
亘が生活に違和感がないと良いが」
心配そうな表情を浮かべる叔父に、亘は思わず額に手をやる。
何だかんだ言っても、桂輔さんもアノ一族の一人だ。
仕方がない。
懐具合が特に。
その割りには父さん、妙に金銭感覚が現実的だったなぁ、と遠い目をする亘。
返事を返さず遠い目をする甥に、首を傾げつつ哀しい目をした。
「亘のお父さんも、私が話していると時折そんな表情になっていたよ?」
目を細めて言う叔父に、亘は瞬きをする。
桂輔の哀しい表情を見て、亘はふと笑った。
まだ律義に約束を守ってくれている叔父に、尊敬と敬愛を滲ませた笑みを。