逃げ水 5 完結
一年が、過ぎた。
その時間は、短いようで、
あまりにも大きく、何かを変えていた。
—
「……っ、はぁ……」
リナは、床に座り込んでいた。
立とうとして、やめた。
もう、何度も同じことを繰り返している。
「無理……」
自分で分かる。
体が、ついてこない。
—
「シリ」
「はい」
「今日の私、どんな感じ?」
少し笑うように言う。
「体力、かなり落ちてるでしょ」
「歩行能力の低下が顕著です」
「だよね」
あっさり受け入れる。
もう、驚かない。
—
子どもが、少し離れた場所で遊んでいる。
小さな手。
不安定な足取り。
「……元気だね」
リナは、少しだけ微笑む。
その笑顔は、もう昔みたいに強くはない。
でも、優しかった。
—
「ねえ、シリ」
「はい」
リナは、天井を見ながら言う。
「なんとなくさ」
ゆっくり、言葉を選ぶ。
「分かってきたんだよね」
「なんで、この宇宙船に人なくなったのか」
静かな声。
「事故とかさ、そういうのもあるんだろうけど」
少し、息を整える。
「たぶん……再び、争い、あったでしょ」
シリは、答えない。
否定も、肯定も、しない。
—
「資源とか、減っていってさ」
「人も減って」
「で、たぶん……うまくいかなくなった」
リナは、小さく笑う。
「なんか、想像できる」
それは、確信ではない。
でも、
彼女なりに辿り着いた“答え”だった。
—
「あとさ」
少しだけ、声が軽くなる。
「エデン」
その名前を口にする。
「まだ、めっちゃ遠いでしょ」
沈黙。
「まだ何万年、とかかかるでしょう」
[宇宙って広過ぎだもんね]
シリは、答えない。
でも――
その沈黙が、答えだった。
—
「だよね」
リナは、静かにうなずく。
「なんとなく、分かってた」
スクリーンで何度も見た航行ログ。
数字。
変わらない距離。
違和感は、ずっとあった。
「私じゃ、無理だよね」
軽く言う。
「そこまで生きるの」
それは、諦めじゃなかった。
ただの、事実確認だった。
—
子どもが、よちよちと近づいてくる。
「……おいで」
リナは、腕を広げる。
ゆっくりと抱き上げる。
「重くなったね」
小さく笑う。
—
「ねえ、シリ」
「はい」
リナは、子どもを抱いたまま言う。
「お願いがあるんだけど」
「内容を確認します」
「この子」
少しだけ、言葉が詰まる。
「この子、見ててあげて」
静寂。
「私が、いなくなったあとも」
「……もちろんです」
「よかった」
その一言で、リナは安心したように息をつく。
—
「ねえ」
最後に、もう一度。
[この宇宙船って]
「エデン、行けるかな」
シリは――
少しだけ、長く沈黙した。
そして。
「航行は継続されます」
それは、答えだった。
そして同時に、
答えではなかった。
—
「そっか」
リナは、うなずく。
それで十分だった。
—
「じゃあさ」
子どもの頭を、優しく撫でる。
「任せたよ」
その声は、
もう、とても小さい。
—
その夜。
リナは、眠るように目を閉じた。
苦しみは、なかった。
ただ、
少し疲れて、
少し安心して、
静かに、止まった。
—
「生命反応:停止」
シリは記録する。
「個体数:1」
再び、ひとつに戻る。
宇宙船は、進み続ける。
終わりの見えない航行へ




