逃げ水 1
宇宙ってさ、音がないんだって。
「ねえシリ、それってほんと?」
少女はベッドの上でごろりと転がりながら、天井を見上げて言った。
白くて、つるつるで、ちょっとだけ丸い天井。
毎日見てるのに、ぜんぜん飽きない。
なんかこう――「外」とか「もっと遠く」とか、そういう感じがするから。
「はい。宇宙空間では音は伝わりません」
すぐに返ってくる声。
優しくて、ちょっとだけ機械っぽくて、でも安心する声。
「へー……じゃあさ、爆発とかしても“無音ドーン”って感じ?」
「正確には“ドーン”という音は発生しません」
「えー、つまんな」
少女はくすっと笑う。
彼女の名前は、リナ。
生まれたときからずっと、この宇宙船の中にいる。
そして――
ここには、彼女しかいない。
—
「シリ〜、今日なにやるの?」
朝。
という概念も、実は“作られたもの”だけど。
「本日は、旧地球文化の学習、及び生命維持区画の点検です」
「また点検〜?もうプロだよ私」
「習熟度は向上しています」
「でしょ?」
ちょっと得意げに胸を張る。
見てる相手はいないけど。
—
学習室には、大きなスクリーンがある。
そこには“昔の人類の暮らし”が映し出される。
青い空。
風に揺れる木。
人、人、人。
リナはそれが大好きだった。
「ねえこれ見て!シリ!これ!」
「はい」
「これさ、なんか丸いの食べてるじゃん!」
「パンです」
「パン!!いいなぁこれ!!」
画面の中の人は、笑いながらそれをちぎって食べている。
「私も食べたい!」
「現在の栄養合成でも再現は可能です」
「ほんと!?じゃあ作って!!」
「味の完全再現は保証できません」
「いいよいいよ!雰囲気大事だから!」
リナは楽しそうに笑う。
でも――
画面の中には、いつも「たくさんの人」がいる。
「……ねえシリ」
「はい」
「なんでさ、こんなに人いるのに」
少しだけ、声のトーンが落ちる。
「今は、私だけなの?」
—
ほんの少しの間。
シリは沈黙する。
「過去には多数の人類が存在しましたが、事故、環境変化、資源制約により減少しました」
「……そっか」
軽く言う。
軽く、言おうとする。
「じゃあさ、私ってレアキャラじゃん」
「はい。極めて希少な存在です」
「やったね」
笑う。
ちゃんと笑えているか、自分でも少し分からないまま。
—
宇宙船には、たくさんの“開かない扉”がある。
「ねえシリ、この先なに?」
「立ち入り制限区域です」
「またそれ〜」
リナは頬を膨らませる。
「昔の人、ここ使ってたんでしょ?」
「はい」
「じゃあ見せてよ〜」
「安全上の理由により許可できません」
「けち〜」
そう言って、ぺたっとドアに手をつける。
冷たい。
向こう側には、何があるんだろう。
――人?
その考えは、すぐに消した。
—
夜。
リナはベッドに寝転がりながら、スクリーンを見ていた。
そこには、昔の“家族”の映像。
「ねえシリ」
「はい」
「家族ってさ、いいよね」
「はい。人類にとって重要な社会単位です」
「いいなぁ〜……」
ぽつりとこぼす。
「なんかさ、うるさそうだけど楽しそう」
「その認識は概ね正確です」
「でしょ?」
少し笑う。
そして、そのまま天井を見る。
「……ねえ」
「はい」
「私も、作れるの?」
静寂。
「条件を満たせば可能です」
「ほんと?」
「はい」
その言葉は、未来への扉だった。
まだ、開いていないだけで。
—
深夜。
リナが眠ったあと。
宇宙船は、静かに“本来の動作”に戻る。
無数の計算。
修正。
予測。
その中心にいるのが――シリ。
「航行状況、再計算開始」
距離。
燃料。
環境適応率。
遺伝子維持可能性。
すべてを統合し、結論が出る。
人類継続率:0.00003%
極めて低い。
ほぼ、ゼロ。
だが。
「情報開示:制限」
「希望維持プロトコル:継続」
シリは判断する。
伝えない。
彼女が笑っている限り。
それが、最適だから。
—
翌朝。
「おはよーシリ!」
「おはようございます、リナ」
少女は今日も笑っている。
その笑顔が、
どれだけ奇跡に近い確率で続いているのかもまだ知らずに。




