シュヴイル/茶碗蒸し掬う執事の主人自慢
1話2話と同じく、『』を使用しているのが過去で、「」を使用しているのが現在です。
『やっと見つけたわ!ここよね!』
『間違いないかと。…⋯それにしても、随分と可愛らしい場所を教えられましたね』
目の前にあるのは、最近お嬢様が仲良くされているアリュンテ様に教わったというお店。
本来立ち寄る予定のなかったここへ来ることになったのは、学園での勉学を終え、お屋敷へ戻る馬車の中でこんなやり取りがあったからである。
『アリュンテ様が仰っていたのは〈Kitchen.土井〉というお店ですわ。…確か商務報告書にも、小規模ながら極めて優良な店として名が載っていたはず。ちょうど少しお腹も空き⋯⋯いえ、この機会に視察をしてみるのも良いわね。寄ってちょうだい』
スッと扇子を広げて口元を隠し顔を逸らすと、窓の外を見るお嬢様。
『…建前は立派ですが、ご夕食前にあまり召し上がると料理長が泣きますよ』
隠しているおつもりなのでしょうが、窓に反射するお顔は赤く、お腹も小さくキュゥと鳴っていた。
『いいのよ、アリュンテ様が絶品だと仰るんですもの。次期領主として、味の確認もしませんと』
ご当主様に知られれば、また甘やかしすぎだと私が叱られてしまうのですが……まあ、お嬢様のあの可愛らしい音を聞いてしまっては、抗いようもありませんね。
『⋯承知いたしました。では、夕食に障らぬ程度に』
そういうわけで、結局、主人の無理難題に折れる形で帰路を逸れることになった。
『(…こぢんまりとした、どこにでもあるような飲食店。といった外観ですね。お世辞にも高級店とは程遠いようですが、アリュンテ様は一体どのような経緯でここを見つけられたのか…)』
お嬢様が一度こうなると、テコでも動かないのは三歳の頃から存じております。
お世辞にも貴族の令嬢が一人で入るような店構えではありませんが、今の彼女にはそんな心配など届かないのでしょう。
『おや、裏にも何か書かれているようですよ』
本日の料理が記載された立て看板をまじまじと見つめるお嬢様の後ろに控えていると、その裏面にも何かが記されていることに気がついた。
『本当ね。えーっと⋯⋯〈あなたの愚痴聞きます。〉?飲食店なのに変わったことをしているのね』
『お嬢様の溜まりに溜まった鬱憤を吐き出すには、ちょうど良いかもしれませんね』
私の言葉に、お嬢様は心外だと言わんばかりに唇を尖らせました。
『失礼ね。私には、わざわざ他人に吐き出すような悩みなんてありませんわ。…仮にあったとしても、幼馴染のあなたがいるもの。相手には困っていないわ』
そう言って、お嬢様はふんぞり返ってみせました。
私はあくまで執事としての礼儀を崩さぬよう口元を隠しましたが、その端がわずかに吊り上がっているのを彼女が気づかないはずもありません。数秒ジトッとした目を向けられました。
『それにしても、なぜ裏側になんて書いてあるのかしら。この向きでは気づきにくいわよね⋯⋯⋯⋯あっ、分かったわ!きっと慌てていて間違えたのね!お店の方にお教えしませんと!』
愚痴聞きとは、客の悩みを聞くといった類のサービスでしょうか。よく分かりませんが、お嬢様がお節介という名の暴走をなさる前にお止めせねばなりません。
『…それは、おやめになった方がよろしいかと』
『なぜですの?』
『不肖私めの推測にすぎませんが、恐らくはあえて裏面に記されたものかと存じます。こちらの店主殿は、あまり公には広めたくないのではないでしょうか』
『確かに、そういう見方もできるかしら。でも、書いてあるのに広めたくないなんて矛盾していなくて?』
『おっしゃる通りです。ですが、人とは複雑なものでございます。大々的に宣伝してしまえば、愚痴を聞いてほしい方ばかりが集まり、お食事がおまけのようになってしまう。それを避けるためにあえて目立たぬようにしている⋯。あくまで飲食店としての矜持を守りたい、という店主殿のこだわりかもしれません』
お嬢様はふむ、と可愛らしく首を傾げると、視線をこちらへと向けられました。
理屈に納得したというよりは、私の観察眼を信じてくださっている……そんな柔らかな眼差しを。
『…そうね。あなたがそこまで言うのだもの、きっとそうなのだわ』
その時、香ばしい匂い、食欲をそそる料理の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。高級店の気取った香りとは違う、どこか懐かしく優しい匂い。
『決めつけは良くないわよね。でも、看板の裏に書いてあるのは事実なのだから、後でお店の方にこっそり確かめてみることにするわ』
『それがよろしいかと』
真っ直ぐに目を見て訴えると、お嬢様はようやく納得してくださいました。
私が五歳の時、まだ三歳であられたお嬢様にお仕えして早十二年。月日が流れるのは実に早いものです。
十五歳となられても危なっかしいそそっかしさは相変わらずでございますが、私の言葉を真っ直ぐに受け入れてくださる気立ての良さもまた、あの日からお変わりありません。
「──お嬢様は、素直でお優しく、何事にも全力で取り組まれる大変素晴らしいお方なのでございます」
ニリジア公爵家の長女として、次期当主、次期領主という重責を担うべく育てられてきたお嬢様。その期待に応えようと日々奮闘し成長されるお姿を間近で拝見できるというのは、私にとって何物にも代えがたい喜びでございます。
「こちらのお品、優しく滑らかで美味にございますね。なんとおっしゃいましたか…」
対面で耳を傾けてくださっているラーナ殿は、実に見事な聞き手でいらっしゃる。懐も深い。
愚痴聞きという風変わりな役目を担っておられるだけあり、私のとりとめもない自分語りを、澱みなく受け止めてくださる。
その心地よい沈黙に、つい私の口も滑らかになってしまうようです。
「茶碗蒸しですね」
茶碗、とはこの器の名でしょうか。蒸すことでこれほどまでに柔らかな…。
スプーンですくい上げれば、自重で崩れてしまいそうなほどに儚い。
「と言っても、茶碗という大きさではないので、丼蒸しと言った方がしっくりきそうですけど」
「左様でございました、茶碗蒸し。…食感の違いも実に妙なるもので」
淡い黄金色の層が、口に含んだ瞬間に淡雪のように解け、凝縮された出汁の旨味が奔流となって喉を駆け抜けていく。
クニクニとしたしいたけに、独特な味わいの何かの豆、淡白な紅白の練り物、小ぶりながらもプリッとしたむきエビ、そして洗練された極上の出汁。それらを包み込むのは、フワッとした優しい卵。
表面には鮮やかな緑の葉が添えられており、爽やかな香りが出汁の深みをより一層引き立てている。
後を追うように現れる具材の歯ごたえが、夢心地だった意識を現実に引き戻すような、鮮やかなアクセントとなっていた。
『お嬢様。もう一度申し上げますが、庶民には庶民のルール、在り方がございます。ですから、あまり無茶な──』
『わがままは言わない、でしょ? 先回りしないでちょうだい』
『さすがはお嬢様、お察しがよろしいことでございます』
貴族としてもてなされることを望むのならば、相応の店に行け。というのは旦那様のお言葉でございます。
『分かっているわ。私を誰だと思っているの? 私は、交易都市ウタヨイを領都に頂く、ニリジア公爵家の長女で次期当主──』
『の、アルマフリア様でございますね』
『ちょっと! なんで「の、」から奪って先に言っちゃうのよ! 次期領主も言ってない!一番いいところだったのにぃ!』
周りにはお嬢様と私以外誰もおりません。お嬢様が名乗りを向ける相手は私で、その内容はとうに承知しております。
初対面の誰かに向けるための名乗りでないのなら、それは単なる自己紹介の確認ですよ、お嬢様。
『…失礼いたしました。お嬢様の凛々しい名乗りがあまりに心地よく、つい私の口まで滑り出してしまったようです』
『笑ってるじゃない! もうっ!』
抑えたつもりが、笑みが隠しきれていなかったようです。
プリプリと怒るお顔すら、私にとっては愛おしい。
次期当主、そして次期領主として、凛とした姿を見せようと背伸びをされるお嬢様ですが、その仮面は私のような信頼を置く者の前では容易に外されてしまいます。
フニャッと柔和に笑われたり、今のように感情のままに怒ってみせたり…。やはりお嬢様には、そのように表情豊かなお顔こそが一番お似合いでございます。
『(今までも、そしてこれからも。隣にいる私だけが知っていたい──)』
旦那様や奥様、近しい方々も存じ上げていることではありますが、願わくば、ご結婚の日を迎えられるその時まで独り占めしていたいと思ってしまう。そんな不敬な独占欲を抱かせるほど、お嬢様は私にとってかけがえのない宝物なのでございます。
『何をしているの、行くわよ』
誰とは申しませんが、私のせいで幼い頃からからかわれ慣れているお嬢様は、実にお立ち直りが早い。
気合を入れ直してドアの前に立たれたので、その凛々しい横顔を一度見つめ恭しくドアノブを引きます。
カランコロン。
『いらっしゃい』
扉を開けた瞬間に聞こえてきたのは、普段私たちが耳にするような磨き抜かれた余所行きの、よそよそしい挨拶。ではなく、砕けた気安い挨拶。
ですが、それを聞いて悪い気はしませんし、不思議とどこかホッとする。少しぞんざいに扱われているとすら感じるこの気安さが、きっと客の緊張を解き居心地を良くするのでしょう。……お姿は見えませんが。
『お邪魔いたしますわ。予約もなしに突然ごめんなさいね。こちらのお店、予約がなくても大丈夫かしら?』
お嬢様もどこから声がしたのか分からぬご様子。お顔をキョロキョロと動かしてなさいます。
『ええ、問題ないですよ』
その時、先ほどと同じふわりと可愛らしいお声が聞こえました。
コツコツと小さな音を鳴らしカウンターの向こうから出てこられたのは、小さな子供。歩くたびに、ふわふわと柔らかな髪が揺れている。
『(⋯この特徴的な髪色。梟の獣人でしょうか)』
輝くような白い髪に、1ダルア銅貨ほどの金髪が不規則に混じる不思議な斑模様。
ニリジア公爵邸にも一人、梟の獣人のメイドがおりますが、彼女もまた夜の森を思わせる独特の髪色をしていたことを思い出します。
『…あれ、もしかしてお貴族の方ですか?』
『ええ。でも気にしないでちょうだい。特別な扱いは不要よ』
『他のお客様と同じ扱いでお願いいたします』
予約もなしに勝手に訪れておいて、崇め奉れ、もてなせと強いるのは美学に反します。公爵家の名に泥を塗るような行為は、次期当主であられるお嬢様も、その専属である私も決して許容いたしません。
貴族の中には、権力を笠に着て不遜な態度をとる輩もおりますが……そういった手合いは、いつの間にか社交界から姿を消しお家ごと没落していくのがこの国の常です。
『は、はあ⋯⋯分かりました。では、空いてる席へどうぞ』
アリュンテ様もそうですが、貴族が平民を対象としたお店へ足を運ぶなど滅多にないこと。この子が困惑なさるのも無理はありません。
『ありがとう。……シュヴイル。あちらの席にしましょうか』
見つめる先にあるのは、店の隅にあるボックス席。カウンターは一席を残して先客で埋まっており、ボックス席は一つ空いていた。
お優しいお嬢様。空いている所ならどこでも良いと仰ったのですから、お一人でカウンター席に座られてもよろしかったのに、わざわざ私を気遣って広い席へと歩いていかれます。
『当然、あなたにも食べてもらうわよ。一人だけ太るなんて許さないんだから』
ニヤリと笑うお顔は、『共犯よ』と愉しげに語っているようでした。
『お嬢様、どうぞ』
茶目っ気あふれる道連れを、断れるはずもありません。
椅子を引き、汚れがないよう清潔なハンカチを敷きます。
『あら、ありがとう』
しかしお嬢様は、私の差し出した椅子には目もくれず、自ら隣の椅子を引きすとんと座ってしまわれました。差し出した手が、なんとも所在なさげに空を切ります。
『⋯⋯ンンッ⋯⋯コホン。⋯⋯こちらが本日のお品書きでございますね』
誤魔化すように小さく咳払い。素早くハンカチを畳んで懐へと仕舞うと、対面に腰掛け、テーブルに置かれていたお品書きをお嬢様の目の前へと広げた。
『ふふ。そうね、メニュー表ね?シュヴイル』
クスクスと、扇子の後ろで楽しそうに喉を鳴らすお嬢様。
『ここは庶民のお店ですもの。そんなに肩肘を張らなくてもよろしくてよ?』
……参りました。今度は、私がからかわれる番ですか。
「──お嬢様は、とても愉快……いえ、楽しい方なのでございます」
「主人を愉快、ですか。仲が良いんですね」
変わらず穏やかに耳を傾けてくださっているラーナ殿。顔に浮かべる柔らかな微笑みは、まるで陽だまりのような心地よさをこの場に添えていた。
「やはりこちらのお料理、茶碗蒸し。大変美味でございますね」
「ありがとうございます」
彼女がまとっているのは、貴族の社交場にはない飾らない空気。いつの間にかその空気に当てられて、毒気を抜かれている自分がいたことに気がつく。
見つめていた温かな湯気を立てる器から視線を彼女へ向け、スプーンを置く。
「…不躾ながら、後ほどレシピをお教えいただくことは可能でしょうか? ぜひ、お嬢様にも召し上がっていただきたいのです」
先日に続く厚かましいお願い。
「多分大丈夫だと思います。後で聞いておきますね」
しかしそれに対する回答に、彼女が悩む素振りは見せませんでした。
多分という言葉こそついているものの、彼女のあまりに軽い返答に、あの日のことを思い出さずにはいられない。
通常…いえ、常識的に申しまして、レシピや調理法というのは料理人にとっての命に等しいもの。貴族お抱えの料理人であろうと、どのような名店であろうと、基本的には門外不出の秘伝です。
だというのに、あの店主殿は『皆が平等に美味しいものを食べられた方がいいでしょ? それに……私がそれを独占するのは、ちょっとね』と、さらりと仰られました。
出された料理をたいそうお気に召したお嬢様が無邪気を装って(それが禁忌だと承知の上で)尋ねられた際も、隠す素振りすらなく語り始められたのです。
お仕えする家のお抱え料理人と同等、あるいはそれ以上に洗練された腕を持ち、超絶技法を惜しげもなく振るいながら、この無自覚さ。
これを平民たちが安価で、しかも日常的に口にしているのだと知った時は、正直に申し上げて戦慄いたしました。
「…ありがとうございます。レシピの件、よろしくお伝えください。我が家の料理長も、また隈を増やして喜ぶことでしょう」
「あはは、隈を増やして喜ぶって……どんな料理長さんなんですか」
彼女の快活な笑い声に、釣られて頬が緩んだ。
あの日、レシピを持ち帰った日。
『明日の朝食にも食べたいわ』というお嬢様の小さな独り言を聞き漏らさず、それを添えてメモを渡すと、彼はレシピを気軽に譲る料理人の存在に絶句しておりました。
ですが同時に、その眼光は職人としての闘志に燃え上がっていたのです。お嬢様がお生まれになる前からニリジア公爵家で腕を振るってきた彼らです。外の、それも名もなき料理人が作った品を『美味しい』と零されたことに、並々ならぬプライドが刺激されたのでしょう。
『我らに作れぬものはない』『その料理人よりも、もっと美味いものを作ってやる』と。
結局、料理長は他の料理人たちと一晩中試行錯誤を繰り返し、なんとか翌朝の食卓に再現してみせました。
お嬢様の『美味しいわ!』というお言葉を聞けたのは何よりでしたが…。朝食を運んできた彼と、その背後で喜ぶ料理人たちの目元には、揃って立派な隈ができておりましたね。
「おかわりはいりますか?」
「お願いいたします」
【学園・学校】
アゾオラート王国には貴族が主に通う三つの学園と、基本的に平民のみが通う三つの学校が存在します。
〈貴族-学園-〉
・王立クボラキタン学園(所在:王都ニモジグ)
王族や中央貴族の子弟が集う、国内最高峰の教育機関。国の政治と伝統を継承することに重きを置いている。
伝統と格式、そして絶対的な権力の象徴として、校章には「菊・牡丹・蘭」の三花が意匠されている。
・公爵立シラユバリ学園(所在:交易都市ウタヨイ)
ニリジア公爵家の全面的な支援により設立された。経済・外交・魔導技術など、領地経営に直結する実学を重視したカリキュラムが特徴。
実践的な知性と公爵領の誇りの象徴として、校章には「白い百合と赤い薔薇」が意匠されている。
・公爵立スハザミア学園(所在:堅城都市カミヅキ)
ルヴォス公爵家の全面的な支援により設立された。下級貴族を中心に、王を護る剣となるエリート騎士を養成する専門機関。
武芸・統率・軍学など、実戦における武の極致を重視したカリキュラムが特徴。
不屈の闘志と泥中にあっても汚れない高潔な精神の象徴として、校章には「蓮とアザミ」が意匠されている。




