226話 ねこありす その2
色々なクラスの出店でお土産を買ったわたしとてれすは、宣伝という大役を終えて自分たちのクラスに戻ってきた。
「ただいまー……って、けっこう人来てるね」
わたしたちの教室には、タピオカ屋さんほどとは言わないけど、それでもそこそこの人数が並んでいた。
受付をしている高井さんは少し疲れた様子を見せつつも、満足そうに笑みを浮かべる。
「おかえり。うん、二人のおかげかも」
「そうかなぁ? だったら嬉しいけど、ね、てれす」
「ええ。少しはクラスに貢献できた……かしら?」
てれすはまだ寝坊して遅刻してしまったことを引きずっているらしい。
そんなの、もう誰も気にしてないと思う。宣伝だって、てれすはあまり得意じゃないはずなのに、一生懸命してくれていたし。
高井さんも、てれすに優しく微笑みを返す。
「もちろん。大盛況だもん」
「それならよかったわ……」
「このままいけば、うちのクラスが学校ナンバーワンに選ばれちゃうかもね」
今のところはお昼時だし、飲食関係のクラスや部活動が強いと思う。
でも、それを考慮すると現時点でうちのクラスに並んでいる人が多くいるのは、それだけ盛況だということなのではないだろうか。
「それで、最上さんと高千穂さんは、何をいっぱい持ってるの?」
「これさ、みんなで食べようかなって」
ここまで繁盛しているとは思わなかったけど、受付をしている人や中で頑張っている人たちもお腹が空いてくるタイミングだと思う。
だから、自分たちの早めのお昼ご飯という意味と、みんなへの差し入れという意味で、てれすと一緒に買ってきたのだ。
「わたしももらっちゃっていいの?」
受付の机の上に買ってきた食べ物を並べていると、それ見て高井さんが尋ねる。
「もちろん。そのためなんだから」
「それなら、うん。ありがとう」
それからお土産をみんなで食べて、お化け役の交代まで時間を過ごした。
交代の時間になると、一旦お化け屋敷は中断ということにして、次の係の生徒で準備を始める。
受付をしていた高井さんと、中でお化けをしていた赤川さんは実行委員の仕事で生徒会室に向かった。
この文化祭のMVPといって間違いない二人を見送ると、お昼からの受付を行う山中さんが、掛け声をかける。
「それじゃあ、第二部? って言えばいいのかわかんないけど、お昼からもがんばろう!」
「おー!」
きっとお昼から来る人のほうが、午前よりも多くなると思う。
腹ごしらえをした人たちが午後から遊ぶ場所を求めて来るだろうし、宣伝した効果も本領を発揮するはずだ。
わたしとてれすは教室のお化け用スペースに待機をするわけだけど、その前に。
「ね、てれす」
教室に入ろうとしていたてれすを呼び止める。
教室はカーテンのおかげで暗いから、明るい廊下でやっておかないといけないことがあった。
「なに?」
「これお願いしてもいい?」
「え、ええ」
わたしに手渡された黒のマジックペンを眺めて、てれすは首をかしげる。
「構わないけれど、どうするの?」
「ほら、当日はわたしの顔に猫っぽいのを書くっていってたでしょ?」
「あぁ、たしかそうだったわね」
準備をしていた時の会話を思い出したのか、てれすもうなずく。
「でも、暗いのだし、やらなくてもいいんじゃないかしら」
「やるって約束したから」
「ありすの顔が」
「それは平気だよ。水性だから、洗ったらすぐに落ちるし」
「そ、そう?」
「うん。だからお願い。自分で鏡を見ながら書いてもいいんだけど、やっぱりてれすにお願いするのが一番かなって」
「そう、わたしに……」
てれすは頬を朱に染めて、顔を俯ける。数秒、マジックとにらめっこをしてから顔を上げた。
「わかったわ。やってみる」
「うん、よろしくね」
てれすがマジックのキャップを外したのを見て、わたしは目を閉じた。
できるだけ表情も動かさないようにして、少しでも書きやすくしようと、じっと待つ。けれど、なかなか肌にマジックが当たる感触がやって来ない。
「て、てれす? まだ?」
「あの、ありす」
「どしたの?」
「顔、触ってもいいかしら?」
「もちろん。どうぞどうぞ」
触れずに書くのは無理だろう。
嫌といっても、てれすならがんばってくれそうだけど、てれすに触れられるのは嫌じゃない。それに安定した状態で確実に、できれば綺麗に書いてほしい。
「それじゃあ、失礼するわ……」
てれすの手が、わたしの頬の右側に触れた。柔らかで温かく、しなやかな細いてれすの指が感じられる。
……あ、ヤバいこれ。
目を閉じて、しかもてれすに顔を固定されていると思うと、なんだかドキドキしてしまう。
そういえば、手とかは繋いだことあったけど、顔を触られるっていうのは、初めてかもしれない。
そんなことを考えていると、頬に触れているてれすの手に力が入った。
「ありす、表情筋を動かさないで」
「あ、ごめん」
「しゃべらないで」
「…………」
てれすの声は真剣そのもの。
こんなに真面目で強引なてれすは初めてかもしれない。ちょっとドキッとしてしまう。
書かれているとき、多少くすぐったくとも我慢。正直、すごく笑いそうになって、表情が崩れそうになるけど我慢を重ねる。
いや、たぶんすごく動いてしまっているけど、てれすも慣れてきたのか何も言わずに、書くことを続けてくれた。
「……できたわ」
その声で目を開けると、満足そうなてれすと目が合う。
さっそく手鏡で出来栄えを確認すると、
「あ、ほんとだ。いい感じ」
「そう? よかった」
「うん。ちゃんと猫っぽいし、可愛いと思う」
やっぱり、てれすに頼んで正解だった。
間違えた跡もないし、衣装ともマッチしてすごく猫だ。大満足である。
「てれす、ありがとにゃあ」
「ッ!」
ちょっとふざけながらお礼を言うと、てれすは一瞬だけ目を見開いてから、すぐに表情を硬めた。
「て、てれす?」
「なにかしら」
「なんで真顔?」
「別に普通よ」
「てれすは顔に何か書いたりしないよね?」
「ええ、そうね」
なら、どうして表情を動かさないの……?
せっかく最近、柔らかな素敵な笑顔が増えてきたのに。
「てれす、笑って? スマイルスマイル」
「それは無理な相談ね」
「なんで!?」
「その、今ほっぺたを緩めると、その、色々とまずいわ……」
てれすが何か言い訳するようにつぶやく。
けど、肝心だと思われる最後のほうが聞こえなかった。
「え、なに?」
「な、なんでもないわ。さ、ありす、わたしたちも行きましょう」
「う、うん」
腑に落ちないこともあるけれど、教室に入っていくてれすに促されて、わたしも待機するスペースに向かった。




