221話 お化け屋敷
入口の鍵は赤川さんに閉められてしまったので、もう前進するしかない。
わたしはてれすの手をぎゅっと握って、決意する。
暗くててれすの姿をしっかりと捉えることができず、握られている手だけが頼りだった。この手と声だけが、てれすがすぐそこにいるということを教えてくれる。
「い、行こう、てれす」
「ええ」
頼りない懐中電灯で先を照らして、足を進める。
「ありす」
「ん?」
「そこ、気をつけ――」
てれすが何かを言おうとしたけど、それを遮ってザアッという音が急に聞こえた。
「うわぁ!?」
てれすに呼ばれて振り返っていたので、その威力は倍増。
最初の仕掛けであるテレビの砂嵐の音、に恥ずかしいくらいの大きな声を出して驚いてしまった。
びっくりして、てれすに抱きつく。
「……ありす。そこ、最初の仕掛けがあるわよ」
「……もっと早く教えてよぉ……」
「ごめんなさい……あの、ありす?」
「な、なに?」
「その、そんなに力を込められると腕が痛いのだけれど……」
「へ?」
指摘されて、自分がてれすの腕に思いのほか強い力で抱きついてしまっていたことに気づく。
自分でもびっくりするくらい腕に力が入っていたので、きっとてれすはかなり痛かっただろう。慌てて手と身体を離す。
「ご、ごごごごめん! 痛かったよね!?」
「え、ええ。まぁ……」
「ほんっとごめん」
「いえ、それはいいのだけれど。ありす、苦手なら赤川さんに言って、入り口から戻らせてもらったほうがいいんじゃない?」
「いや、大丈夫」
「本当?」
「うん」
てれすがすごく心配してくれているのが口調からわかる。
けど、本当にわたしはお化け屋敷が苦手というわけではないのだ。そりゃあ得意というわけでもないけど、ギブアップしなきゃいけないほど苦手じゃない。
今は始まりが思いがけないことで始まったから、少しおかしくなってしまっているだけなのだ。
それに、せっかく赤川さんや高井さんに譲ってもらった一番目の体験なのだから、最後までやりきりたい。……てれすと二人だし。
「大丈夫だよ、てれす。てれすがいるし、ここは教室でみんなで作ったお化け屋敷だし」
「……そうね。ありすがそう言うのなら、進みましょう」
「うん」
とは言っても、しっかりてれすの手は握って再開する。
次の仕掛けは暖簾をくぐると、壁にいっぱい人形とかぬいぐるみが飾られている道。そこを進んでいると、壁から手がたくさん伸びてくる。
もちろん、ここでもわたしは悲鳴を上げて、次の仕掛けへとやって来た。
「ひっ……」
首筋を風が撫でて、顔にふぁさっと何かが触った。
「て、てれす? 今何か顔に」
「ありす? それ、わたしたちが作った仕掛けよ?」
「え?」
てれすに言われて、懐中電灯を照らしてみる。
たしかに、わたしとてれすが二人で作った折り紙の飾りだった。
「ほ、ほんとだ」
ほっと安堵していると、前を見ていたてれすが言う。
「ありす、次が最後の仕掛けみたいよ」
「長かった……」
教室の中を、迷路のようにジグザグと進むようにパーテーションを配置しているとはいえ、高校の文化祭にしては大満足のボリュームになっているのではないだろうか。
……すごく疲れた。
最後の仕掛けはお化け役の生徒が出てきて驚かすということになっている。
前から来るのか、それとも横からか。
警戒するけど、なかなか出てこない。
もしかすると、出口のすぐ近くで驚かす作戦なのかもしれない。
気を引き締めて、少しずつ歩いていると、
「最上さん! 高千穂さぁぁん!」
背後からいきなり声をかけられて、振り返る。
するとそこには、光で照らされた顔が血だらけの幽霊がいて……、
「わぁぁぁっ!?」
混乱してしまって、てれすの手を思いっ切り引っ張ってしまった。
「ちょっ、ありす!?」
「わわっ!?」
わたしに引っ張られたてれすがバランスを崩して、わたしのほうへ倒れてくる。その身体を支えることができずに、わたしたちは二人でもつれるようにして転んでしまった。
「いたた……」
尻もちをついてしまったので、お尻が痛い。
パーテーションや机にぶつからなかったのは、不幸中の幸いだったかもしれない。
「てれす、ごめん。大丈夫?」
「え、ええ、なんとか……」
「よかった。ほんとにごめ――」
起き上がろうとして、わたしは息を詰まらせた。
目の前に、本当に目と鼻の先に、てれすの顔があったのだ。
本当に近い。お互いの息がかかってしまうんじゃないかって、思ってしまう。
白磁の肌が、長いまつげが、桜色の唇が目に映る。ふわりといい香りがする。
「ありす……? あ……」
てれすもそれに気づいたらしい。
お互いに恥ずかしくって、照れてしまって顔を逸らす。
「そ、その、ごめんなさい……」
「う、ううん。引っ張っちゃったのはわたしなんだし」
「え、ええ。それも、そうね……」
「…………」
「…………」
沈黙が訪れる。ど、どうしよう。
頭を悩ませていると、ふいに明かりに照らされた。
「二人とも、大丈夫!?」
顔を向けると、出口の扉が開いていて、高井さんが心配そうに覗き込んでいた。
わたしの悲鳴、倒れた音、それから外に出てこないから、出口から迎えに来てくれたらしい。
「う、うん。大丈夫だよ。ね、てれす?」
「え、ええ。問題ないわ」
「そう? それならいいんだけど……」
まだ心配そうな高井さんに、もう一度平気なことを伝えると、高井さんは納得してくれた。それから、高井さんに続いてわたしとてれすも教室の外に出る。
陽の光がなんだか懐かしい感じがした。
「それで、最上さん、高千穂さん。うちのお化け屋敷はどうだった?」
「すごくよかったと思う……っていうか、カギを閉めたりするなら先に教えておいてよ!」
ここまで怖がって、てれすにカッコ悪いところを見せる予定はなかったのだ。
普通に楽しんで、ここはこうしたほうがいいかも、と意見を言いたかった。
「ごめん、最上さん。でも、赤川と相談して、最初に人は何も知らずにしてもらったほうが、お客さんの気持ちになれるからって」
「それは、そうかもしれないけど……」
なるほど、それで高井さんと赤川さんは最初に行くことを断ったのか。自分たちで仕掛けを配置したから、わたしのようには怖がれなかったのだ。
「高千穂さんは? 何か気になるところあった?」
「いえ、特には。よかったと思うわ」
「そっかそっか。よかった」
高井さんは満足そうにうなずく。けど、すぐに眉をひそめた。わたしとてれすの顔を交互に見て、首をかしげる。
「気のせいかもしれないけど、最上さんと高千穂さん、ちょっと顔赤くない?」
「え!? そ、そんなことないと思うけど」
てれすを見る。
ほんのり頬が朱に染まっていた。……きっと最後のあのせいで、ということは、たぶんわたしも同じだと思う。
「ええ、気のせいよ」
「そうかな? もしかして、中は暑かった?」
「う、うん! そう! ちょっと暑かったかも!」
ということにした。
わたしの同意に、高井さんはふむとあごに手を添える。
「換気をしっかりしたほうがよさそうね。お客さんにも、お化け役の子たちのためにも」
そう言った高井さんが赤川さんへと相談をしに行くのを、わたしは少しほっとしながら見送るのだった。




