217話 ナースてれす
「それじゃあ最上さん、猫のものまねしようか」
「なんで!?」
犬飼さんの無茶ぶりともいえる言葉に、思わず声をあげてしまった。
その犬飼さんはと言うといつも通りで、ニコニコとしていた。
「いやだってほら、本番では猫するんだし」
「そうかもしれないけど……」
そう言われてしまうと、あまり強く否定することができない。
本番では暗い場所でとはいえ、知らない人相手にするのだ。友達、それも一番の友達と言ってもいいてれすの前でできないと、本番では難しいかもしれない。
……本番は驚かすだけだから、猫の真似っているのかなって一瞬思った。
けど、隣に立っている犬飼さんは笑顔を崩さないし、てれすは何やら期待するようにわたしの方を見つめている。
こうなってしまうと、時間が経過すればするほどやりにくくなる。
わたしは覚悟を決めて、肉球手袋をしている両手を顔の高さに持ってきて、猫っぽいポーズをとる。そして。
「にゃ、にゃー……」
うぅ……めちゃくちゃ恥ずかしい。
今すぐに制服に着替えたい。
そんなことを考えながら、反応を待っていると。
ガンっと音を立てて、てれすが机に突っ伏した。
大きな音はおでこを机にぶつけた音だろう。平気なのだろうか。てれすは起き上がる気配がない。
「て、てれす!?」
「…………」
「どうしたの、てれす?」
慌てて駆け寄って声をかける。
てれすは顔を突っ伏したまま、もごもごと答えた。
「あの、少しだけ待ってくれる?」
「え? いいけど、大丈夫なの? すごい音がしたけど……」
「ええ、問題ないわ。むしろ危ないのは心臓のほう」
「ど、どういうこと?」
よくわからず、当惑してしまう。
と、肩にポンと手が置かれた。
「犬飼さん?」
「最上さん、よかったってことだよ! あたしもすっごい可愛かったと思う、よ?」
「なんで疑問形……」
「まぁまぁ。そんなことよりも最上さん的には、実際に着て何か気になるところとかってある?」
そんなことよりも、という言葉にちょっとだけ引っかかりを覚えたけど、ここは気にしないでおこう。
犬飼さんに言われた通り、衣装をもう一度確認する。
気になる点や変更してほしい部分もあまりない。猫川さんが言っていいた、キュロットのサイズくらいだろうか。
「特には……強いて言うなら、どうして猫のまねをさせられたのかなって」
「おっけー、何もないと」
「…………」
犬飼さんはわたしの皮肉交じりの言葉や視線を華麗に受け流して、てれすのほうに移動する。
「じゃあ次は高千穂さん来てもらえる?」
「え、ええ」
「もう平気?」
「ええ、なんとか」
首肯して、てれすが顔を上げる。
おでこやほっぺたが赤くなっているけど、それでもいつもと同じてれすだ。少し安心する。
「てれす、おでこ大丈夫?」
「ええ、問題ないわ」
そう答えるてれすだけど、視線をさっと外される。
「てれす?」
「あ、いや。ありす、そのすごく似合っていると思うわ……」
「ほんと?」
「ええ。……怖いくらい」
「え、なんて?」
最後のほうが聞き取れなかったので聞き返す。しかし、てれすは「いえ」と首を横に振った。
「なんでもないわ。わたしも行ってくるわね」
「う、うん」
次はてれすがお着替えをする番。
ということで、わたしが折り紙の飾りを作らないと。
教室を出ていくてれすと犬飼さんを見送って、作業に取り掛かる。その前に。
わたしは大事なことに気づいて、急いで廊下に出た。
少し先を歩いている犬飼さんを呼び止める。
「ちょっと待って犬飼さん!」
「んー?」
てれすとともに振り返った犬飼さんが、不思議そうに首をかしげる。
「最上さん、どうかしたー?」
「わたし、このままなの?」
「うん。二人で並んでもらいたいし」
「え」
「じゃあ、そういうわけだから」
「えぇ……」
てれすが困ったようにわたしと犬飼さんへ視線を交互に向けていたけど、犬飼さんはまったく気にしていないらしい。
犬飼さんが再び歩き出して、てれすもそれに続く。
二人の背中を呆然と見送って、わたしは猫の格好のまま、作業を再開するのだった。
それから数分後。
最初にてれすと一緒に切った折り紙は全て輪っかにして、飾りはほぼ完成した状態になっていた。
まだ増産したり、ほかの飾りを作ることになるかもしれない。けど、これなら他のチームのお手伝いにも行けそうだ。
そんな感じでてれすが帰ってくるのを待っていると、廊下から何やら声が聞こえてきた。
「ほらほら、高千穂さん」
「待って犬飼さん、まだ心の準備が」
「いいからいいから。早く」
「お、押さないで」
どうやら、着替えたてれすと犬飼さんが帰って来て、すぐそこで揉めているらしい。
たしかに教室の戸を開けて中に入るの勇気がいるよねと共感しつつ、戸を一枚隔てた向こうにナースてれすがいると思うと、わくわくするような緊張するような不思議な感じだった。
いつ入ってくるんだろう。
じっと見つめていると、ふいにガラッと勢いよく扉が開かれて、白衣姿のてれすが現れた。
わたしの視線とてれすの視線がばっちり交差する。その刹那、てれすのほっぺたが一気に赤くなった。
「あ、ありす……」
「おかえ――わ、可愛い!」
まずはおかえりと言うべきだと思っていたのに、思わず言葉が零れてしまった。
そこに立っているてれすは本当にナース。病院にいてもおかしくないほど似合っていて、美人ナースといった感じ。
学校にナースと言う特殊な状況、てれすがナースになっているということ、本人がものすごく恥ずかしそうにしていることなど、色々なことが組み合わさって、見ているこっちがドキドキしてしまう。
何と言えばいいのか、まさに白衣の天使そのもの。
純白の衣装にてれすの艶やかな長い黒髪が映えて美しい。目を凝らせば、背中に羽や頭に天使の輪っかが見えそうだ。
さすがはてれす、さすてれである。
「すごいね、てれす。超似合ってる!」
「そ、そうかしら……」
「うん。ばっちりだよ」
「とても恥ずかしいわ……」
熱でもあるんじゃないかって程、てれすの顔は耳まで朱に染まっている。
隣に立っている犬飼さんは胸を逸らして「ふふん」と得意げになっていた。
「ね、これ高千穂さんヤバいよね最上さん」
「うん」
「くじに書いた赤川さん天才だね」
たしかに、これは少し赤川さんに感謝したくなる……かも。
もう一回てれすの可憐なナース姿を見て、自分の格好に目を落とす。
てれすの白とわたしの黒。
犬飼さんと猫川さんの狙い通り、すごく目立つ二人になっていた。
というか、なんだかこれって。
とわたしが口を開く前に、犬飼さんが声を発した。
「なんか二人だけハロウィンみたいだね」
それだ。
コスプレ感っていうかコスプレなんだけど、今はもちろんハロウィンじゃないし学校だし、みんなは制服だし、着替えたい。
「あの、犬飼さん」
「なに、最上さん」
「そろそろ、着替えたいんだけど。ね、てれす?」
「……ええ、ぜひ」
「え、ダメだよ。高井さんと赤川さんがまだ見てないじゃん!」
「…………」
わたしもてれす絶句する。
結局、わたしとてれすはこのまま作業をすることになり、他のクラスの子たちからも見に来られることになったのだった。




