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キセル  作者: 佐井 識
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エピローグ

 配属先は横浜支社の営業部になった。

 特筆すべきエリアや職種というわけではないが、文句をつけたり不安になるようなものでもなく、要するにかなり妥当な人事だと思う。私は頭の中でヨコハマ、と繰り返して、そっと吐息をついた。緊張が解けたというより、一仕事終えたあとの小休止みたいな意味で。もちろん、本当の意味で仕事が始まるのはこれからなのだけど。

 人事が発表されたばかりの多目的ホールは、誰もかれもが頬を上気させて情報交換し合っている。

「三崎さん、横浜支社だよね? 私も!」

 先週、一緒にカフェに行った女の子のひとりが声をかけてきた。

「知ってる子が一緒でよかったぁー! 三崎さん、仲良くしようね」

 背の低い彼女は、興奮と安堵が入り混じった表情を浮かべて私を見上げた。

「うん。こちらこそよろしくね」

 私は頷く。偽りではなく、素直にそう思った。

「女の子は割と近場が多いみたい。杏奈は品川で、真由子は川越だって」

 こちらが聞くまでもなく、みんなの配属先を指を数えながら教えてくれる。

「男子も特にサプライズなのはいなくて……。あ、ひとりいた」

 彼女の視線が窓際の、ひときわ騒がしい集団に向けられた。私も目で追う。

「なんで、銚子なんだよーーーー!!!」

 4~5人が取り囲むなか、村林が頭を抱えて飛び跳ねていた。相変わらずオーバーな男だが、言葉ほどショックを受けてるようには見えない。

「しかも、支社じゃなくて営業所なんだぜ!?」

 誰かが「ヤッシー、調子いいからぴったりじゃん」とギャグを飛ばした。遠巻きから見ている私たちに村林が気づき、大声をあげた。

「三崎さんは横浜なんでしょ!?」

 訴えるような目で見てくる。

「一緒に研修したのにズルいよ~。三崎さんも一緒に銚子行こうよ~!」

「これを機に、“取り立て屋”道を極めるのもいいんじゃない?」

 私は微笑んでみせた。村林が恨みがましそうな表情で、「三崎さんの意地悪……」と力なくつぶやいた。

 でも実は、嫌味だけで言ったわけではない。週明けに研修レポートを提出する際、村林のレポートを回収するついでに見た。私が紋切り型の文章で無難にまとめていたのに対し、奴のレポートには筆圧の高い、子どもみたいに乱雑な太い文字で、“身寄りのない老年のお客様を、集金を通じて定期的に生活のサポートしていくことも、これからの電力会社が取り組む課題なのではないかと思った。”と書かれていた。

 正直驚いた。

 KYで調子のいい男ではあるけど、それだけではないのだろう、と思う。相性が合うかどうかはまた、別の問題としても。

「三崎さん、三崎さん」

 肩を叩かれて振り返ると、数人の女の子たちが手招きしていた。近づくと、真由子という子が内緒話するように私に耳打ちした。

「ヤッシーさ、ほんとは三崎さんと離れちゃうのがイヤなんだよ」

「ええ?」

 苦笑して訊き返したら、女の子たちは堰を切ったように語り始めた。

「飲み会のとき、三崎さんのことすっごい気にしてたんだから!」

「ヤッシー、『男と会ってるんじゃないか』ってソワソワしてたよ~」

 思わず噴き出しそうになるのを必死でこらえたが、それが肯定の表情に見えたのか、彼女たちはさらに前のめりになる。

「三崎さんはヤッシーのことどう思ってるの?」

 横目で村林の姿を確認した。引き続きバカをやっていた。有り得ない。

 言葉を探していると、場が期待に包まれるのがわかった。それが面白くて、わざとじらすように困った顔をしたら、女の子たちが目を輝かせて、ぐい、と一歩近づいた。

 なんて無邪気なのだろう、と脱力する。だが、端から醒めていくような感覚とは違った。むしろ平和だなあと、感心してしまう気持ち。

 村林の顔を思い浮かべた。目と目が離れたタレ目、浅黒い肌、パクパクとよく動く口……。

「綺麗なナマズ、かな」

 私を取り囲む女の子たちが、皆きょとんとした。そして、爆笑した。

「その例え最高―!」

「超ウケる! 三崎さん何気にめっちゃ面白いんですけど!」

 スーツの身体を折って、女の子たちは笑った。沼から顔を出す村林の姿が目に浮かんで、自分でも笑いがもれてしまう。私たちの姿に、遠くから村林を含む男子たちが怪訝な顔をしているのが見えた。

「そうだよね。三崎さんがヤッシーを相手にするわけないよね」

 それ以上私が何も言わなくても、女の子たちは勝手に納得し合っていた。私は最後にもうひとつ、にやりと笑ってダメ押しをした。

「実際、男と会ってたの」

 キャー!! という嬌声がいっせいに噴出した。誰誰? 彼氏!? と悲鳴に似た叫び声が渦をつくる。村林が近寄ってきた。

「なんの話してんの? 俺も混ぜて」

「ヤッシーには教えないよ~!」

 女の子たちが声を揃えて叫んだ。ハモり具合がおかしくて、みんなで顔を見合わせて笑った。村林が首をかしげた。

 改めて平和だなぁとホール内を眺めると、陽射しの強さにくらりとした。そのとき不意に、今日みたいな日は二度と訪れないのだと悟った。

 これから配属先に散り散りになり、目の前の仕事をこなしながら、私たちはそれぞれ生きていく。こんなふうに集まることはもうない。もしかしたらこの先喋ることすらない同期もいるかもしれない。

 電車が同時に何本もすれ違うような轟音が聞こえた気がした。でもそれは一瞬のことで、すぐに目の前の風景に戻る。私は誰にも気づかれないくらい、小さく頷いた。

 多目的ホールは、梅雨入り前の眩しい陽気で溢れていた。似たような境遇の、似たような格好の若い男女たちがさざめき合いながら、出発を待っている。私もそこにいる。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました。以下、冗長なあと書きです。


本作は、『さよならお兄ちゃん』の終盤を書いている頃に思いつきました。『さよならお兄ちゃん』は、3人称とはいえ割と隆之介側の視点で書いていたので、紫野の目線で彼女の内側をじっくり書いてみたいなというのがきっかけです。

が、いざ書き始めたら、あまりにもビター&ハードボイルドな女で、我がキャラクターながら息苦しくなることも・・・

その息苦しさが少しでも文章に表れればいいなと思いながら書きました。最終的に、ちょっとですが紫野を解放してあげられて良かったです。


また、前作ではあえて地名をぼかすような書き方をしていたのですが、今回は地名や路線名をばんばん出したのも新しい試みでした。そのぶんハードルも上がりましたが、取材と称して普段乗らない路線に乗ったりして、楽しかったです。

ちなみに紫野が昔住んでいた町に流れているのは、荒川です。はっきりとは書きませんでしたが京成押上線沿線をイメージしていました。隆之介の家は、春日~白山あたりの高台のつもりでしたが、今は白金台もアリだなーと思っています。


『キセル』というタイトルでしたが、副題というか英題は『The Girl I Left Behind』でした。後者のほうがテーマ自体は伝わりやすいですね。

(どうでもいいですが、一応『キセル』以外の作品にも英題があったりします。『さよならお兄ちゃん』は『Almost Sister』、『眼鏡の騎士』は『the Knight and the Bride』、『証明写真』は『Speed Photo』・・・ではなく、『3 Minutes for Lovers』です(笑))


今回、テーマソングは書く前から決まってました。

まずはサティの「グノシエンヌ」。幻想的で、どこかに迷い込んでしまう感じが、紫野が町をさまようときにぴったりだなと思ってました。

もう1曲はCharlotte Martinの「Redeemed」。反復するピアノがとても美しい曲で、内なる旅を続けながら最後に救われるイメージが作品のテーマそのものでした。Charlotte Martinはそれこそ「The Girl I Left Behind」という曲も歌っていたりして、今回かなり執筆時にお世話になりました。


それにしても、去年いきなり思い立って書き始めた紫野と隆之介の話が、ここまで続くとは思っていませんでした。読んでくださった皆様のおかげです。

自分でもこの物語に愛着が湧いてしまって、もしかしたらもう1作くらい続編を書くことになるかもしれません。先の話だとは思いますが、また是非お目にかかれれば幸いです。


ここまで長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。

感想・評価等お待ちしております。本当にありがとうございました。


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