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Hypersomnia〜幻想と現実の旅人〜  作者: 七瀬渚
★君のいる世界★
56/57

夢えがく



ミーン…ミーン…



遠くで鳴く蝉の声。網戸越しに吹き込む緩やかな風が心地よい昼下がり。




ミーン…ミーン…




ジジジジジジジジ!!



「うわぁぁああぁ!!」



突如網戸に張り付いてきたでっかい虫の影と凄まじい羽音に私はのけぞった。何だよ?と近くの彼が顔を上げたとき。



ぶわっ!



今度は強い風が吹き込んで机の上のものを掻っさらった。同じ机の前、L時型に座っていた私たちは舞い踊る紙の群れを慌てて追い回す。



「タカ!窓閉めてっ!」


「わーってるよ、ちょっと待て!」



ガラガラッと音を立て、窓は閉ざされた。再び落ち着いた空気。蒸した小さな部屋。



「やっぱエアコンにしようよ~」



汗だくの私がだだをこねると散らばった紙やらペンやらを掻き集める彼の塩顔がくるりとこちらを向く。



「あと一時間。そしたらつけてもいいけど」



そんなことを言っている、コイツもまた汗まみれだ。まぁわからんでもない。先月の電気代の領収書を前に揃って青ざめたことだってちゃんと覚えてるんだから。



「じゃあちょっと休憩する!」


私はそう言い放って扇風機の前にどかっと腰を下ろす。


「あっ、ずりーぞ!」


そう言うタカも無理矢理隣に割り込んでくる。ピタ、とくっつく腕と腕。湿った感触に顔をしかめた。だから!それじゃ返って暑苦しいだろ、って。



だけどまぁ、何とかなるもんだ。扇風機の首振りスイッチをオン。これで平等、恨みっこなし。あー、って声を出すと震える。彼もまたあー、ってやってる。こっちに来る度、あっちに行く度、あー、あー、って何度も性懲りもなく。




…まるででっかい子どもだね、二人とも。




冷めた声に振り返った。ちょうどコンビニから帰ってきた若菜が呆れ顔で見ていた。私たちがふざけている間に預けた鍵で玄関を開けていたよう。全然気づかなかったよ、夢中で。


「差し入れにコレ買ってきたけど、飲めないね、子どもは」


そう言ってコンビニ袋の中を見せつけてくる。間から覗くにんまり顔のプルタブ。



『いる!!』



晴れやかな二つの声は重なった。袋を広げたままの若菜がふっ、と鼻だけで笑った。…可愛くない。




それからしばらくおのおののことをしていた。そうしているうちに迎えた夕方。


紙と画材とパソコンで埋まったテーブルの上を開けて三人で囲んだ。そこへしっかり冷やしておいたビールとチューハイの缶を並べた。つっても私は薬飲んでるからノンアルなんだけどね。でも気分って大事だから。



かんぱーい。



(棒)と付きそうな実にやる気のない掛け声の後、それぞれに飲み始めた。ある程度流し込んだ私が先にぷはーっ!と息を吐いた。


「ねぇ、おっさん臭いんだけど、浅葱」


「アンタこそそんなにすまして飲んで、本当に美味いの?若菜」


嫌味を交わし合う私たち姉妹。傍のタカはこくこくとあくまでマイペースに飲み進めている。このビール美味しいネ~!っておじいちゃんみたいなことを言い出すんじゃないかと思う程。



この江戸川近くのアパートに住み始めてから1年半。早生まれの若菜は来年で22歳、ひと月違いの生まれの私とタカは今年で23歳になる。


人のことをおっさん臭いなどと言っておきながら自分だってさきイカばっかつまみにしている若菜は法科大学院に進むことを決めたそうだ。相変わらず検事を目指している彼女は相変わらずアパートで一人暮らしをしている。葛飾区と江戸川区、隣同士なのをいいことに時々こうして我がもの顔でやってくる。


相変わらずの黒縁眼鏡、相変わらずのまとめ髪、相変わらずの仏頂面…コイツが本当に…ねぇ。



先日、母から聞いた言葉を思い出した私は一人笑ってしまった。何?と訝しげな視線を送る妹に何でもない、と返しておいた。


まさか私があの発言を知ってるとは思わないだろうね、と内心で呟きながら。



「小説進んでる?タカさん」


「ああ、ぼちぼちな」



ぼんやり空想にふける私の傍で会話が始まっていた。パソコンを開いてみせるタカ。興味あるんだかないんだか、のそのそとした動きで覗く若菜。


「この挿絵、浅葱のだよ」


原案も、と補足する彼の口調はまるで自分のことのように誇らしげで、私は逃げるみたいに残りのチューハイをあおった。へぇ、と若菜の冷めた相槌が続いた。




私は一年半前に異動した船橋店で短時間勤務を続けている。かつて新米だった私ももう後輩がいる立場。浅葱さん、浅葱さん、と呼んでくる子が何人か。


居心地は割といいと思えるがやっぱり女の園。時にはこんなトラブルも。




才加さやかさん…私のお客様取らないで下さい!」


「はぁ?あの人私の顧客様なんだけど?」


「でもさっきは私が…!」


「私のだもん!」




きゃあきゃあと言い合う若い後輩を前に私はただ身体だけ行ったり来たりさせるばかりだった。そこへ…



「やめな!お客様を物みたいに言うんじゃないよっ!」



出た。いや、降臨した。さらりとなびくストレートロングの髪、グラマラスなボディラインを強調するタイトなワンピース。ボキャブラリーの少ない私にとってはまさに神の降臨そのもので。



「だって…だって…」



ついに泣き出した一番下の後輩。ふん、とそっぽを向く二番目に下の後輩も強気な顔立ちでこそあるがしっかり涙目だった。まぁ、個人売のある店舗ではよくあることだ。そして…



「アンタたちの頑張りだったら個人個人ちゃんと受け止めてる。私を信じな」


「店長…」


「いがみ合ってちゃ世話ないさ。私ら、仲間だろ?」



「店長ぉぉぉ!」


「ごめんなさいぃぃ!」



わぁん!と声を上げてすがり付いた二人。スポ根青春ドラマばりの神展開だった。うんうん。私は納得と共に頷いていた。柏のイケメン店長の親友はやっぱりイケメン。そして決め台詞も同じだったか、と。もう船橋のカリスマと名付けて良いだろうか?





今じゃ笑い話でさえある思い出を懐かしみながら私は視線を流した。ふんふん、と適当な相槌をうつ若菜の顔は疲れ気味。一方、イキイキと話す彼は気付きもせず。




越してきてからも半年程柏の書店に勤務していたタカはやがて職を変えた。前々から話が進められていたというその仕事は音楽イベントの企画。晴れて正社員の座をゲットした彼の現在の勤務地はあの懐かしい御茶ノ水だ。


驚きなのは彼が今でも時々歌詞提供をしているヴィジュアル系バンドがインディーズの中でも注目され始めているということだ。このままいくと作詞家・千葉巳隆の誕生か?


ところがどっこい、彼にはあまり欲というものがない。いつかあのバンドがメジャーになって自分の歌詞を必要としなくなってもいいなんて言ってる。自分も好きなように書きたいからなんて言ってのけるコイツは典型的なアーティスト気質だ。それでいて必要最低限の生活は守ろうとしているリアリストな一面。夢追い人なんだが現実的なんだか…



…それもまた、いいんだけど。




ぽつりの胸の奥でこぼすなり何だか気恥ずかしくなった私はすぐに新しいノンアルコールチューハイを手に取った。早くね?なんて聞こえたけれど構わずにぐいぐい進めていった。



タカも変わり始めている。いつも一緒にいるからわかる。縦の繋がりから横の繋がりまで経験するようになった彼にはやがてトラブル回避能力が。




「こうして浅葱と一緒に作ってるとさぁ…」



そう言うタカがこちらを向いた。そう、コイツの言葉もいくらか聞きやすく…





「子作りみたいだな」





…まぁ、私には相変わらずこんな感じなんだけど。




「ちょっと、公然とノロケないでもらえます?」


冷たい視線を放つ若菜の冷たい言葉に対して当のタカは


「だって愛着あるんだもん、コイツら」


そう言ってパソコンの画面を指し示す。まぁね、知ってたけどね、そういう意味だって、私にはわかるけどね。



私とタカには本業以外にもう一つ仕事がある。これで収入を得ている訳ではないが、私たちにとっては外せない、大事な仕事だ。



ーーお前の夢のこと、書いてみてもいいかな?ーー



冬の国道で聞いたあの一言から始まった。ここに来て間もなく私たちは役割分担をした。ストーリー原案と挿絵が私。ストーリー編集と文章がタカ。こうして一緒に作り上げようとしている、私たちの物語。



「夕飯、どうします?」


「焼肉でも行く?」


「いいね!」



空になった缶を片付けた私たちはアパートを後にした。いくらか涼しくなった風とあったかい夕空が迎えてくれた。




三人で歩く河川敷。蝉の声とカラスの声が遠く、遠くで合唱しているみたい。



妹と同居人が話しているのをいいことに私はまたぼんやりとした。改めて思った。私は本当に空想好きだって。



思い出したのは二つの事件。一つは…





千葉…?



呼びかけられる声に振り向いた春日部の街中。私の表情は固まった。きっと同じようにしていた彼がやがて返した。



植村…。



時期はお盆期間中。何とか二連休が取れた私はすでに病気で他界しているタカの父親の墓参りに同行した。彼の実家に一泊した翌日、再会は訪れたのだ。



久しぶりに見る植村はいくらか大人びて落ち着いてこそいるものの、大それた変化はないように見えた。変化したのは彼の表情。私に目を止めるなり吸い込んだ息によってわずかに両肩が上がった。半開きの口は“あ”の形をしていた。私だって、わかったようだ。



浅葱、お前、一旦実家に戻ってて。



そう促すタカを案じながらもひとまず言うとおりに彼の実家に戻った。何度も何度も時計の針を確かめるその時間はすごく、すごく、長く感じた。


夕方頃、彼が帰って来た。その表情に私は安堵の息をこぼした。江戸川へ戻る車の中で彼が話してくれた。




「悪気はなかったけどお前には嫌な思いをさせてきたと思う…ごめん」


さながらスイーツ男子の如く男二人で訪れたカフェの中でそう言ったというタカ。驚いていた植村の表情はやがて落ち着いていった。


「…やっぱり、知ってたんだ?」


観念したように呟いた植村。しばらくうつむいていた彼はやがて少し笑って言ったそうだ。



「こんなんだからかなわなかったんだよな、俺。千葉の気持ちも、浅葱ちゃんの気持ちも、本当は知ってたよ」


そうなの?と聞き返したタカに植村はうん、と頷いた。だって…植村は続けた。




お前らお互いばっか見てたもん。それが一番いいって知ってたのに…



ごめんな。




最後に小さく、でもはっきり言った彼の顔には何処か解放されたかのような涼しさがあった。そんな気がする、そうだったらいいな、とタカは言った。


ハンドルを握って前を向いている。寂しげな笑みの横顔に見入った。うん…私は答えた。そっと身体を寄せることで、答えた。




いかんいかん、ついまた感傷に…と現在の私がかぶりを振る。だけどすぐにまた浮かんできてしまう、もう一つの事件。



それはつい最近聞いた。直接ではない。電話ごしに母の声で、聞いたんだ。



私さ…障害に理解のある検事になりたい。



「って、言ったんだよ、若菜!」


我が娘ながら立派だねぇ、と言う母の声はすごく嬉しそう、だったけど…


いや待て、障害に理解のある検事ってどんなだ?真っ先にこう考えてしまった私って、やっぱドライ?



だけど疑問は割とすぐに解決へと向かった。電話口の母が教えてくれた。



「発達障害で差別を受けた人が職場に嫌がらせをして捕まる事件があったんだって」



だから…



母の声は私の脳内で音を変えた。リアルに、妹の声色へ。




悪いものは悪い。精神鑑定で刑を逃れる凶悪犯だっている。難しいのはわかってる。でも…



ただ被告をより重い罪を課そうとするだけの検事にはなりたくないの。ベストな判断ができるように探求し続けたい。綺麗事って本当に不可能なのかな?不可能をいつか可能にする為に私たちは学ぶんじゃないのかな?



旅をしていくんじゃないのかな?





「難し過ぎてよくわかんなかったよ」


アハハ!とでっかく笑う母の声がまたうるさかった。だけど私も笑った。この女にしてはよくここまで覚えていたもんだ、と思ったりして。






「浅葱ぃ、遅いよ!」


「大丈夫か、浅葱」




前から呼ぶ声。少し先で足を止めている二人。仏頂面のくせに意外と熱い妹と、無表情のくせに意外と過保護な同居人…



いや、違うか。



もう……




情熱を示すみたいな赤い空のもと、私は駆け出した。真ん中に割り込んで二人の肩を掴んだ。



歩いていく途中でタカが切り出した。



「そう言えばお前、まだペンネーム決めてないよな?」


ん、と見上げた私は隣の彼へ


「だってタカの小説がメインでしょ?私は…」



え、やだよ。



言い終わる前に遮られた。少し寂しそうな彼が見ていた。



「お前と一緒に作ってんだ。俺だけのものじゃないし」



うーん…私は唸った。確かにこの絵が誰かの目に触れたら、そしてあわよくば何か感じてもらえたら…そう考えていた、途中。




「お前、海好きだからさ…」



海にちなんだ名前にすれば?




はっと私は息を飲んだ。そして口にしてみる。


海…うみ…



「UMI?」


「いや、まんまじゃん」



あっさり却下?されてしまった。私はぶぅっとふくれた。しょうがないじゃん、私のネーミングセンスはこんななんだよ、昔から、って。



「そういうタカのペンネームはどういう意味だよ?」


「俺は空だ」


「へぇ、何で?」



「いつも海を見ていられるから」




…マジか。これは従うしかなさそうだ。私はいよいよ思考をこねくり回す。



波?青?えーっと、えーっと…




そのとき蘇った。いつかの光景と、言葉。




ーー俺、あれ好きだな。あの左端のやつ…波打ち際?ーー




こっちの世界にタカがいた。その嬉しさに涙したあの日、柏の実家の私の部屋に飾っていた7枚の絵。



その中で彼が示した、1枚。




ああ、と私は呟いた。それ、いいかもね、って思った。



皆が集う場所、そして旅立ちに相応しい場所。それでいこう、そうするよ、タカ。



私はにっと笑う。その表情を両側へ交互に見せつけてやる。



「何?」


「何だよ?」



不思議そうにしている二人の間で更に実感を覚えた。強く、刻み付けたんだ。




だって私は旅人だもの。待っているだけの眠り姫じゃない。幻想でも現実でも駆け抜けて見せる、そしてえがいて見せる。




それでこそ、旅人でしょ?って。




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