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Hypersomnia〜幻想と現実の旅人〜  作者: 七瀬渚
★アパレル世界★
44/57

八つ夢

どうしよぉ、迷っちゃう~。



鏡の前、独り言をこぼしながらかれこれ30分はこうしている彼女に私は店内からセレクトしてきた服を両手に持ちこう提案する。



「こちらなどいかがでしょう、お客様。胸下に切り替えがあるのでスタイルアップ、更にこちらのパッド付きインナーを合わせてあげればバストアップも確実です」


「ちょっ!選択肢増やさないでよぉ!」



知ってる。他のお客様にならもちろんしない。無意味に選択肢を増やすのは購買意欲を遠ざけてしまうからだ。わかっていながらも私は意地悪くほくそ笑みながら持ってきた服を鏡の前の彼女に当てがってやる。



「でも私チビだからなぁ~、着こなせる気がしない…」


「大丈夫です!幼児体型の私でもちゃんとキマりますから」


「だね!」


「だね、って傷付くわぁ~、お客様!」



ついにはいつかの頃のような調子に戻ってしまう。ひとしきり笑ったお客様・砂雪は少し落ち着いて店内を見渡す。それから人が行き交う通路へ視線を移す。そこへ向かってため息をこぼしてぽつりと呟く。



「いいなぁ、都会だなぁ、柏は」



まぁ、あの地元から比べたらそうだろうね。実は畑も農家もあるんだけどね。



昔から都会に対して憧れの強い砂雪は頻繁に北千住の川崎宅に足を運んでいるらしい。その帰りには大概渋谷まで足を運ぶ。彼氏目的というよりかは完全に買い物目的…川崎、ドンマイ。


そんな彼女に先日、自身の近況を報告したら速攻で飛んできてくれた。渋谷ではなくとも十分に満足してくれているようで何よりだ。



「浅葱もたまには帰っておいでよぉ」


「うん、砂雪に会えるなら」



そう、正直地元に帰るのは気が進まない。別にあの田園の土地に罪がある訳じゃないんだ、それはわかってる。ただ帰りたいと思えるだけの魅力的な思い出をあの地で築けなかっただけだ。



「今給料日前で金欠だからさぁ、今日はこれだけで勘弁して?」


「もちろんいいですよ、お客様」


「まけてくれても…いいよ?」


「私にそんな権限はありませんよ」



押し売るつもりなんてない。楽しい時間を貰ったのはむしろ私の方だと感謝を込めて丁寧に包んだ商品を渡した。受け取った砂雪は何度もこちらを振り向いては手を振って去っていく。これから向かう先はまた川崎宅とのこと。もう結婚してしまえ、と思ってついニヤついてしまう。



開店業務も一通り覚えて今じゃ一人で任せてもらえるようになって早番。今日は中番がいたはずだ。確か…



思い返す前に彼女は姿を現した。相変わらずの黄色い声であーちゃん!と元気に呼びかけてくる。しかも今日はやけに大人びた装い。いつも背中がざっくり空いたトップスにお尻のはみ出しそうなショートパンツが主流の彼女が何故かロングスカートなんか穿いて。



その答えはすぐにわかった。すぐ傍までやってきた星華ちゃん。彼女が全て話してくれた。



「昨日千葉さんと電話したんだぁ」


「そうですか。アイツ、何て?」


「本の話してくれたよ。正直半分もわからなかったけど…」



少し困ったようにうつむいている。だよね、キャラに応じて話を合わせるスキルなんてアイツに備わっている訳がない。そんなものがあるならもっと上手く立ち回るし悪評だって立ちはしなかったはずだ。


深い息を漏らしそうになる自分を何とか寸前で抑え付けた。今は彼女の報告に集中しろ、そして精一杯に応援するんだ、と言い聞かせてまた耳を傾ける。




でも…




やがて、星華ちゃんが口を開いた。ほんのり染まった顔をうつむかせた彼女がぽつりと言った。



「優しいよね、あの人。素直だし、嘘つかないし…安心できる。年上であんな人、初めてだな…」



何だろう、妙に納得してしまった。ずっと疑問に思っていた答えを突きつけられた気がした。


何故だか不安定に感じる自身の胸に言い聞かせた。良かったじゃん、と。タカの不器用さはこの子には好印象で、この子も今まさに変わろうとしている。年上の彼に合わせて大人びた服まで選んで、気を引こうと一生懸命に頑張っている。


この想いはもしかしたら通じるかも知れない。少なくともタカは見た目で判断したりする男じゃないって知ってる。上手くいけばいいんだ、わかり合ってくれればいいんだ…



「ありがとね、あーちゃん、いい人を紹介してくれて。もうすぐ誕生日だよね?」



私、パーティ企画するね!盛大なやつ!



元気に言って笑う彼女に微笑みを返しながらも内心は同じことばかりを繰り返していた。何度も言い聞かせていた。



暗示みたいに、しつこく。





その日の帰りはやけに身体が重く感じた。やっぱりよく眠れていないから?いや、そんなはずはない、と一人かぶりを振る。そしてまた自分へ言う。


ここに来てからもう一ヶ月を過ぎたけど、私は何とかやれている。まだ十分とは言えないけれど接客だって慣れてきたし、早番だって一人でできる。オールの飲み会もクラブだって乗り切った。もう大人。病気でもない。大丈夫、大丈夫、って。



それでも重い頭は不安定にぐらつく。エレベーターの前、しっかりしろとばかりに壁に手を着いていた。そのとき、目の前の扉が開いた。



浅葱?



呼ぶ声に顔を上げた。全開になった扉の内側に、タカが居た。



「お前も帰り?」


「そうだけど、タカも?早くない?」


「ああ、今日は棚卸たなおろしだから早朝出勤だったんだ」



ああ、それで。明らかに帰宅の姿である彼を見て納得した。同じ早番だとしてもいつもなら私の方が早く帰宅する。だけど今日は前倒しになったんだなって。



なぁ、ちょっと付き合ってくれないか?



エレベーターの中、彼の声がした。別にいいと思った。何処に引っ張って行く気かはわからないけど、今日はおかんの実家の収穫日。迎えが来ないのも知っていたし暇をしのげるなら、と付いて行った。夕空が見下ろす柏の街へ。




彼が向かったのは駅の表側ではなくむしろ裏の方。越してきて3年目になる私はもう知っていた。古着屋や雑貨店の多く集まる“ウラカシ”と呼ばれるルートだと。


ずっと前から住んでいるであろう彼は何故だかそれを物珍しそうに眺めている。路面店を目にする度にちょっと寄っていい?と中へ入っていく。ついにはペンキを塗りたくったみたいな奇抜な小物までカードで購入している。いくらするんだろう?聞くのも怖い。そして疲れる。


今置かれている自分の状況は一般的に男の立場ではないのか、などと思ってしまう。彼女の買い物に付き合わされてやつれ切った状態の彼氏を今まで何度となく目にしてきた。今の私はまさにそれだ。世の大多数の男たちはこんな状況に耐えているのか。そしてまさか逆が存在するとは…と思っていたとき、タカがまた足を止めた。


「へぇ、面白いね。こんな店もあるんだ…」


まるでおもちゃに魅入る子どもみたいにショーウィンドウに張り付いている彼に、私はいい加減にしろ、という思いを込めて淡々と言い返してやる。


「まぁ、サブカル好きのアンタにうってつけな部類だよね。っていうか今更どうしたの?アンタもこっちの人間でしょ?」



ん、と振り返ったタカ。薄いその表情が一瞬、ほんの一瞬、静止したように見えた。



何?と眉を潜めた私へ、声は遅れて戻ってきた。




…こっちじゃ、ないよ。





「え…?」





聞き返す私。いつもの静かな表情に戻った彼がまた言う。




「俺、柏じゃないよ。春日部かすかべ(※1)」





時間はまた、止まった。



状況もわからないまま、無理矢理に形作った問いだけを動じない彼へ投げかける。



「…引越したの?」


「ううん、ガキの頃からずっと」


「春日部って…」


「埼玉」


「いや、知ってるけど…」



うん、知ってる。私だってここに住んでから3年は経っているんだ。専門学生の頃、電車が止まった際にもう一つの路線に世話になったことがある。そのいくつか先にあることだって知ってる。春日部、大宮…なるほど、埼玉と繋がってるんだ、この駅は。電光掲示板を見上げてそう納得したことだって覚えているんだ、はっきりと。



「だってあのときタカもここで降りてた…春日部なら北千住乗り換え、でしょ?」


「…だね」


「じゃあ何で…」



かすかに震える私の弱々しい問いに彼は親指を駅方面に突きつけてこう抜かす。




「そこのアーバンな私鉄から一本で帰れるじゃん」




いや…




いやいやいや、そうだよ、そうだけど!




私は思わずかぶりを振った。そして両手を伸ばした。変わらぬ薄い表情の彼の薄い肩を掴んだ。怯えながらも真っ直ぐ見据えて問いかける。



「アンタ…千葉、じゃないの?」


「“千葉”だけど」



「だからそうじゃなくて…!」



苗字の話をしてるんじゃない、いい加減気付け。それとも…




はぐらかすなよ…ッ!!




気が付いたら、叫んでた。驚いて振り返る人目さえ気にせずに。



「何分ロスすると思ってんだよ?」



そうだ、つい最近春日部からヘルプのスタッフが来た。彼女は言ってた。一時間以上かけて来たんですよ!って、得意気に。駅までの所要時間がどれ程のものかは知らないが何たって埼玉。ここは柏。電車に乗っている時間だけでも30分は下らないはずだ。



「アンタ、専門んときバイトしてたよね?課題だって忙しかったじゃん。なのに…何してんだよ…!?」



毎日毎日、ふてぶてしく寄りかかる女に文句の一つも言わないで、毎日毎日…




「何無駄遣いしてんだよッ!?こんなことの為に…!」




稼いだ金も貴重な時間もこんなことにつぎ込んだって言うのか?こんな私の為なんかに?嘘だよ、そんなの。嘘だって…




言え…!!





憎たらしいくらいに、微動だにしない、そいつの胸ぐらを掴んでやろうかと迫った。そのとき、足元がもつれた。焦燥のせいか、積み重なった疲れのせいか、私の身体は為す術もなく彼の方へ傾いていく。



強い力で支えられた。正面からしっかりと背中まで抱えられる形になった。タイミング悪く側を通った田舎のヤンキー風の男二人組がひゅーっ、と耳障りな音を鳴らして過ぎ去っていく。うざい。




「何で…何で…今まで、隠して…?」




細くとも力強く締め付ける腕の中、うわ言みたいに呟いてた。



何だよそれ。千葉のくせに埼玉…って、だからそこじゃない、とどうしようもないことを内心でも。



こんなときに限って、身体に力が入らない。



もはや立っていることさえままならない私をタカはずっと支えてた。いや、抱き締めてた。自らを傷付けたあのとき以来、やっと間近に迫った懐かしい匂いと体温まで感じさせながら、囁いてた。



「いつからかわからないけど、お前が大切だったから…」



かすれ気味な声が続いてた、耳元で。



「そんな状態のお前を一人で帰したくなかった。電車乗り過ごしたらとか、帰り道で倒れたらとか心配してるくらいなら傍に居る方がいいって思った。俺がいれば帰れるじゃん。何があっても絶対に送り届けるし…」





…それの何処が、無駄なこと?





容赦なく届く問いかけに虚ろながらも目の奥が染みてきてしまう。抑えられない想いが突き上げてこの口を割ってしまう。




自分のものであるはずの時間も金もこんなことに注ぎ込んで、何も知らない私なんかの為に来る日も来る日も止まり木になって…


言わなきゃわかんないじゃん。知らなかったじゃん。礼も何も言ってないどころか、あんな酷いことまで…私…




それを無駄だと思わないなら…




アンタはやっぱり、馬鹿だよ。






「タカ……!!」





爪まで立ててしがみ付いていた。更にきつく締め付ける彼の腕の力にやめて、と抗いたいのに身体が言うことを聞かないんだ。きっと言っているんだ、内側の私が。



ずっとこうしていたい。身を預けていたい。逢いたかった、この人に、逢いたかった…って、身の毛がよだつくらい、女じみた声で。






※1)埼玉県春日部市・・・埼玉県東部に位置する自治体。すでにいくつかのアニメの舞台ともなっており、関東在住でない人にとっても認知度は高いと考えられる。街並みは店が多い割に程々に歩きやすいが、通勤時の駅構内では都内顔負けのラッシュが発生するので油断してはならない。都心だけでなく各商業施設へのアクセスも容易である為、市民はおのずとお洒落好き&買い物好きとなる(と、かつて影響された著者が勝手に思っている)。ランチにも居酒屋にも事欠かない上に、至るところで有名な幼稚園児が迎えてくれる癒し要素も兼ねた街である。

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