六つ夢
結局あのままになってしまった。気が付いたらこっちに戻ってた。
っていうか、サキもあんな顔するんだ…。虚弱系だから心配だけど本気になったら案外強かったりするのかな?でもそうなるとレオが…
…ちゃん!
あーちゃんっ!!
間近から響いた大音量に私はビクッとなった。畳み途中の服を胸元に抱えたまま振り返った。
「もぉ~っ、何度呼ばせんのっ?」
見るとすでに傍まで迫った18歳の先輩・星華ちゃんがむくれている。これも内心でのみの呼び方だ。表向きはちゃんとこう答える。
「すみません、星華さん。ちょっと頭がぼおっとしてしまって…」
彼女曰く“申し訳ありません”だと固過ぎてこちらが恐縮してしまうから“すみません”程度にしてほしいとのこと。ちょうどいい具合に尊重されてこそ堂々と先輩顔で振る舞えるのだそうだ。そう、こんな風に。
「しっかりしてよねーっ!昨日の飲みはオールじゃないでしょ?疲れてるのはみんな一緒なんだからぁ!」
私は大人しくはい、と返す。ふん、と鼻を鳴らした彼女は更に言う。
「っていうかさぁ、なーんかしっくりこないよねぇ、そのつけま。眉毛も細過ぎ!流行りのメイクわかってる?あーちゃん」
「すみません、まだあまり…」
「雑誌読まなきゃ駄目だよぉ!私なんてね、新人の頃月5冊も雑誌買ってたんだよ!つけまなんて10種類も試したし!」
それはすごい。えらく経費がかさみそうだ。同じようにするなどとはさすがに約束できない。
私の困惑に気付いたのだろうか、少し我を取り戻した様子の星華ちゃんがフォローするみたいに笑った。強気な先輩顔は維持しつつも。
「あーちゃんは年上だし落ち着いてんのに、何か子どもっぽいんだよねぇ。妹みたい」
危なっかしいからいろいろ教えてあげる!と言う危なっかしい男性遍歴を持つ彼女。だけどその表情はすごく嬉しそうだ。私までつい笑ってしまう。
いいんだ。ちょっとばかり体育会系色が強いけど、お節介なときもあるけれど、彼女なりの好意なんだ。私もできる限り応えなくっちゃ。
まだ昼前のショッピングモール。それにしたって今日は閑散としている。売り上げは相当厳しそうだ。
満足のいくまで一通り話し終えた星華ちゃんはあと数分で遅番がくるから、と先に休憩へ向かった。重低音が揺さぶる店内には私一人。
あのぅ…
ふと届いた声の方へ視線を止めた。店舗の入り口付近でこちらを見ていたのはお年を召した女性。ギャルショップとは縁遠そうだが、ショッピングモールの中では決して浮かない、幾何学柄のスカーフが似合うなかなかスタイリッシュなお婆様だ。
「書店に行きたいのですがこの階で良かったのかしら?」
「ああ、書店でしたらこの一つ上の3階フロアになります。あちらのエスカレーターを登ってすぐ目の前ですよ」
少し離れたエスカレーターの場所を手で指し示すとそうですか、と品よく頷くお婆様。だけどなかなかその場を動かない。何故か私の胸元に目を止めている彼女を不思議に思った。やがて問いかけられた。
「あなた、瀬長さんとおっしゃるの?」
「は、はい。そうですけど…?」
ああ、そうか。名札を見ていたんだ。そこまでは納得できる。だけど何でまた?
ぱっと見“長瀬”に見えることくらいは知っているけど特に珍名という訳でもないこの苗字に突っ込まれる意味がわからなかった。ただ不思議に思って見下ろす私の前からやがてその一人は去った。
ありがとう、瀬長さん。
一言だけ言い残して。
遅番のメンバーはその後すぐにやってきた。いよいよ私の休憩タイムだ。
昨夜が飲み会だった為にさすがに朝から弁当を作る余力は残っていなかった。休憩室内のコンビニで恐らくはカップラーメンをチョイスするだろう。
さっきのお婆ちゃん、ちゃんと着けたかな?まぁしっかりしてそうな人だったし…などと考えながら業務用エレベーターの到着を待った。やがて開いた扉の間へぼんやりしたまま足を踏み入れた。すでに乗っていたのは一人。
「閉めていい?」
隣から声がした。思いの他扉のスレスレに立っていた私はすみません、と呟いて後ずさった。扉は閉まった。その後だった。
「顔色、悪いね」
また隣から声が。階ボタンの側に立っている男、さっきから思っていたけれどコイツやけに馴れ馴れしくないか?
いや、違う…何だ、この声…
前に……
すっ、と静かにこちらを向いた顔を前に時間が止まった気がした。再び動き出す頃、私は声を上げていた。
タ、タカ…!?
見間違いなどではない。髪色は少し明るくなっているけれど、あっさりした塩顔も細長い体型も半年じゃあそんなに変わることもない。名札にしっかり【千葉】って書いてあるしやっぱりそうだ、タカなんだ。
「何してんの、アンタ…」
「何って働いてるんだけど?」
そりゃそうだ。業務用エレベーターを使用するなど従業員や配達員などごく限られた立場の者くらい。自らの愚問に自らで突っ込んだ後は次の疑問を投げかける。
「何処で?いつから?」
「3階の書店に一週間前異動してきた。それまでは大宮店に居たんだけど…」
おいおい、まさかまさかの聞いたばかりの名称が出てきたではないか。そんなところに居たなんて。
っていうか何で大宮?埼玉?アーバン何とかライン(※1)の一番端じゃん。求人の状況にもよるだろうけど柏市内に書店なんていくらでもあるんだから最初からそっちにすればいいのに。
「お前今から休憩?」
「うん」
「俺も。1階のATM寄ってきたとこ」
「あっそ」
再会を喜ぶ…などとは程遠い何気ない会話が始まった。ごく自然だった。半年もの間、連絡の一つもとっていなかった事実さえ忘れされてくれる程。
ねぇ…
まだわずかな人気しかない休憩室、私はカップラーメンをすすりながら問いかけた。
「卒業式、来なかったの?」
同じラーメンをすすり終え、思い出したように顔を上げたタカ。
「あの日の前日、母親が倒れたんだ。俺んち二人暮らしだから他に誰もいなくて…」
えっ、とこぼしたっきり私の表情は固まった。初めて知る二つの事実に緊張を覚えた。
「大丈夫…なの?お母さん」
「ああ、もう平気。過労だった。遠くの親戚から援助はしてもらったけど一通り治療も終えて今じゃピンピンしてるよ」
「そっか…」
ほっ、とため息がこぼれた。彼の母親が無事であったこと、そしてずっと疑問だったことの解決に安堵してしまう。直後少し不安を覚えた。あの女は大丈夫だろうか。いや、でも実家だし…
自分の世界に浸りかけていたとき。
お前は?
声がした。顔を上げた。
真っ直ぐ見つめる彼の言わんとしていることがわかった。多くは語らなくたって。
うん。私は頷いた。ほんのり温まった奥から自然に返答が出てきた。
「もう、平気。こうしてちゃんと働いてるし」
答えを受け止めた、彼の表情がわずかに変わった。薄いながらも柔らかく見えた。
そっか、良かった。
心から安堵したような響きに何か揺さぶられる感覚を覚えながらも多くは考えないようにした。
ーーその日からわざわざ連絡など取らなくてもタカとは何度か会うことができた。主に休憩室でお互いが知らないことなんかを話した。
当初、大宮店で働いていたタカは柏店の人員不足を聞き、ちょうどいいと思って異動の申し出をしたそうだ。まぁ近くなるのならその方がいいだろう。雇用形態は準社員。本当は他にやりたいことがあるそうだ。そちらへの準備も今進めているところだと言う。
「書店を選んだのにだって意味はあるんだ」
ある日の昼休憩、珍しくその日は館内のカフェに居た。昨日、中途半端な期間のわずかな初給料が入ったばかり。少しでもお金を得たらご褒美的な感覚で寄ろうと決めていたその場所にタカも付き合ってくれたのだ。
「俺さ、気付いたんだ。絵も好きだけど活字はもっと好きだって。だからいろいろ見てみたいと思ってさ…」
今じゃヴィジュアル系バンドへの歌詞提供の他に趣味で物語の執筆をしているという新たな情報に驚いた。コイツいつの間にそんな技を、と。
対して私は…
変わったのは見た目くらい。派手になったことくらい。
時々絵は描いていたけれど実は昔とそれ程作風が変わっていないと今更ながらに気付く。最近じゃ描く時間さえあまり取れていない、と。
「浅葱…?」
タカの呼びかけが聞こえた。だけど顔を上げられなかった。何だかすごく情けない顔をしている気がして、怖くて。
知られちゃいけない、コイツ…千葉巳隆は涼しい顔して何処までも踏み込んでくるからって自身に言い聞かせているはずなのに、内なるもう一人の自分が前に出てこようとする。きっとそいつが私の表情を変えてしまっている。
ねぇ、タカ…
ついに内なる自身に突き動かされて一言が出ようとしていた。そのとき…
「あれ?あーちゃん?」
通路側からの声に振り向いた。ガシャガシャとでっかいアクセサリーを鳴らしながら駆けてくる星華ちゃんは側に着くなりぴたりと動きを止めた。
「えっと…その人は?」
何か期待したように見てくる彼女に我を取り戻した私は苦笑と共に最小限の真実を告げてやる。
「千葉巳隆。専門のときの同級生で今は書店で働いてます」
どうも、と小さく頭を下げるタカに星華ちゃんは華やかな笑顔で会釈を返す。ついにはこんなことまで言う。
「あーちゃんがいつもお世話になってますぅ」
まぁ心当たりはあるがいつもではない。そしてあなたが想像しているであろう仲でもない。毎度毎度、期待に応えられなくてすみませんです、先輩。
「じゃあ、俺行くから。良かったら二人で」
そう言って立ち上がったタカは明らかに大きな金額をテーブルに置いて背を向ける。いや、いいよ、と呼びかける私に、いや、いいから、と返して去っていく。
残された私はしばらくしてやっと佇んだままの星華ちゃんへ声をかけた。
「…ですって、星華さん。これから休憩なら、一緒にどうですか?」
しばらくの間の後こちらを向いた彼女の顔。一面に咲いた表情に驚く間もなく黄色い声の方が先に上がる。
「かっこいーーい!!」
え、マジか。どう見ても別ジャンルのあなたまでそれを言うとは驚きだ。いや、奢ってくれたからか?うん、まぁ貢ぐばかりだった彼女の遍歴から察するに、それならわからんこともないが…
ところが私のそんな予想は正面に腰を下ろした彼女によって呆気なく崩されてしまう。
「いいなぁ、あーちゃん。外から見たときすごくお似合いだったよ!」
優しそうな人だし羨ましい、と頬を染めて言う彼女に私は罪悪感を覚えつつもまた真実を告げる。
「いや、違うんです。そういうのでは…」
「えっ!じゃあ元カ…」
「それも違います」
ばっさり切り捨てると目を丸くした彼女。長いつけまつげに象られた瞳はやがて斜め下へと落ちた。ためらいがちな言葉と共に。
そっか、そうなんだ…
それなら、私…
このときすでに何となく察してはいたが、彼女が本格的に動いたのはその翌日だった。
ねぇ、あーちゃん…
アドレス交換できないかなぁ、千葉さんと。
閑散とした朝の店内で星華ちゃんは言った。いつになくか弱く見える強めギャルの姿に目を奪われた。
「聞いてみますね、星華さん」
自然と答えていた。みるみる表情を花咲せた星華ちゃんは更に悪戯っぽく言った。
「ありがとう、あーちゃん!その…さりげなくアピールしてくれてもいいからねっ!」
ちゃっかり者だ。そう思って苦笑した。
この日私は専門のとき以来初めての連絡を入れた。メールで済まそうと思ったのに何故か休憩室での待ち合わせを提示してきたタカ。
「うちの先輩がタカとアドレス交換したいって」
昨日カフェで会った子、と告げると彼はわずかに目を見開いた。そして問いかけた。
「何で、俺?」
まるでわかっていない様子の表情を目の前にして思っていた。
もはや周知の事実というくらい男運に恵まれなかった星華ちゃん。それでも性懲りもなくクラブなんかでナンパ待ちしていた危なっかしい星華ちゃん。
そんな彼女が珍しく一晩、たった一晩だけど考えた上で申し出たことだ。しかも相手はきっと今までとは異なるタイプ。
一つ自信の持てることがある。それは自店のどの商品よりも堂々とお勧めできることのはずだ。
タカなら大丈夫。ヒモになんかならないし、女たらしという称号が付いただけの不器用な男だって知ってる。その上どういう訳か言葉だけはくすぐるように甘く刺激的だ。本人にそんな意図はないけど、ときめきを求める乙女にはうってつけのスパイスとなりうるのではないか。
そこまで考えていたはずなのに、私は何故かこう返したんだ。
「友達になりたい…みたい」
友達?と返してきたタカ。彼の表情の変化に息を止めていた。
寂しげながらも薄く現れた、笑み。まるでずっと聞きたかったみたいに。純粋に友達と言ってくれる存在を求めていたみたいに。
後悔、とも少し違う気がした。ただ確かに自覚していたこと。
ーーさりげなくアピールしてくれてもいいからねっ!ーー
私は彼女の望みに反した。
さりげなく誘導する為?気遣い?いや、違う。
気が付いたら口にしていた。そんな自分の意図も何も、わからない。
少女みたいに可愛く恥じらうギャルと、褒められた少年みたいにはにかむサブカル系男子の顔が交互に浮かんでいた。あのうざったい耳鳴りがしてきそうだった。
※1)船橋駅~大宮駅間を繋ぐ私鉄。上下線共に大多数が柏駅止まりで乗り換える形になる。近年では“アーバン”と名が付く名称で呼ばれている。




