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Hypersomnia〜幻想と現実の旅人〜  作者: 七瀬渚
★専門世界★
32/57

十の夢

技法レクチャーの授業まであと10分ある。昼食を終えた私たちの前、机の上にはそれぞれの作品が並んでいる。そして始まった。



エントリーNo.1【一輪の花、咲いた恋心】作:河村梓


パステルが彩る淡い色調とぼかしはロマンチックなタイトルとよく合っている。草原の中央で咲いている花は小さくともみなぎる生命力を、それを挟んで向かい合ういかにも純朴そうな少年と少女の間には発展途上の恋心、そして未来への希望が見えるようだ。少女っぽさの漂う彼女らしい、思わず頬が緩んでしまう程に純で可愛らしい作品だ。


エントリーNo.2【Despair~戦い破れて~】作:原川夕菜


先程の河村氏とは真逆とも言える作風。暗い背景の色調に下地のモデリングペーストが更なる重厚感を与えている。泥沼を模したような下部分からぞろぞろと湧いている無数の手。目を凝らしてやっとわかるくらいの一つの人型が赤黒い液体を垂れ流している。普段朗らかな彼女が何故このような作風になるのか未だに謎だ。



うんうん、と自然に頷きながら友人二人のプレゼンテーションにのめり込む。そしてついに順が回ってきた。次はもちろん…



エントリーNo.3【彼方の記憶】作:瀬長浅葱


うちの科で密かにリピーター続出中の透明水彩を使用。トーンは抑え目で青と緑が基調となっている。空を透かした森の風景には木漏れ日を模したラメ(実はマニキュア)が散りばめられている。そして右端、ひっそりと寄り添っている二人の妖精…



「わぁ可愛い!!」


ロマンチック乙女代表・河村氏がすかさず声を上げる。


「雑な浅葱が何でこんな作風になるのかねぇ…」


闇を秘めたサバサバ女子・原川氏が続く。そりゃお互い様だろ、と言いたいところだがまぁいい。私のプレゼン練習はまだ続くのだから…そう気を取り直して口を開いた。



「ここは妖精の森。だけどきっと今に朽ちてしまう…」



空気が変わったことにも気付かずに続けていた。



「この妖精の二人は取り残されてしまったんだ。男の子の方は母親と、女の子の方は育ての兄と離れ離れに…」



どれくらい話した頃だったか。やっと静寂に気付いた私は顔を上げた。ぽかん、とした顔でこちらを見ている梓と夕菜。同じくぽかん、と見つめ返す私にやがて声が返った。


「ごめん、その絵からその重いコンセプトは想像つかないわ」


苦笑いを浮かべている夕菜。


「色調も抑えめで切ない感じ、するよ?なんて言うか…深いね?」


何重ものオブラートに包まれたような梓の返しがまた…




作風とコンセプトとのギャップ。あわよくば将来はイラストレーターに…などと考えていた私の希望はずぶずぶと泡を吹いて沈んでいく。クライアントの提示するイメージを描けてこその仕事。このギャップは致命的なのではないか…などと脳裏をよぎって苦し紛れの薄笑いを浮かべていた。




ーーそう?面白いと思うけど…



ふと届いた声に梓と夕菜が揃って顔を上げた。私は、上げなかった。そんな必要はない、見なくともわかるからだ。



「表向きが煌びやかである程、影も濃いと思う。浅葱にはそれが見えているんじゃないかな?」



ーー俺は好きだな。




ああ…また言いおった、コイツ…



私ははぁーっと息を吐いて頭を抱える。すぐ側から予想通りの反応が上がる。


「はいはい、ご馳走様」


「浅葱ちゃんには素直だよね、千葉君。…いいなぁ、お似合いで」



違いますそれは大いなる誤解大いなる先入観大いなる…何だ?いや何でもいい、もう勘弁してくれ。


願ってみてもすでに手遅れなのはわかっていた。それでも都度に込み上げるこのいたたまれなさは一体どうしてくれようか。



今や誰もが知る公認の仲。文化祭ではベストカップル賞まで戴く始末。先日担任にかけられた言葉は、卒業するまではちゃんと避…って、馬鹿かッ!!思い返すのも恥ずかしいわ!



私とタカがこんな事態になってしまったのは一年と数ヶ月前、20年の生涯の中で二番目に忘れられないあの事件の後だった。


未発表の楽曲のイメージ画像の紛失という絶対絶命の事態に追い込まれたタカはすぐさま落ち合ったメンバーに何度も何度も詫びていたそうだ。幸いだったのは姿を消したUSBメモリの中に楽曲が入っていなかったことくらい。しかしライブで流すはずだった力作はすでに水の泡と消えてしまった。


落胆こそしたものの責めはしなかったという見た目に反して心の広いハードなヴィジュアル系バンドマンたちは、うなだれる彼に今すぐに用意できる唯一の音源を渡してくれた。本当に何と優しく感動的な話だろう。しかし安心したのも束の間だった。


早速流してみたその曲は聴き慣れた戦慄的なものとはむしろ、真逆。爽やかな歌声、何処かレトロなポップ調、青空のもと二人乗りした自転車で何処までも駆けていけそうな青春ラブソング。


タカも含めた一同が呆然とする中、黒々としたメイクのメンバーの一人がほんのり頬を染めて言ったそうだ。ソロではこっち方向なんだよね、と。


原案なら家にある、再構成ならできる。だけどそもそもハードでヘビーかつダークな曲調に合わせて描かれたタカの絵はどう考えても…合わない。提出は明日。もちろん描き直している時間なんてない。


そんなときだったという。私からの連絡が入ったのは。



浅葱…!!



電話口の彼の声は普段の淡々としたものとはまるで異なり、高揚していた。こちらの提案を出す前に彼の方が先に言った。




俺の課題のことはもういい。すっげぇいい曲なんだよ、コレ!俺の好きな曲に俺の好きなお前の絵を与えてくれないか?



必要なんだよ、浅葱。




薄暗く静まりかけている学校の外、スマートフォンを耳に当てたまましばらく反応に困っていた。ようやく落ち着いた頃に返してやった。



「安心して、タカ。そのつもりだから」



今何処?と問いかけた。そこからはまさに怒涛の快進撃、天然たらしと居眠り魔との初めての共同作業だった。



後先考えず…とはこのことだと後から思った。共同作業の翌日、課題提出の前に行われたプレゼンテーションに二人揃って現れて、息の合ったコンビネーションまで晒してしまったのだからさぁ大変。


拍手の後に辺りを占めたのはヒソヒソとうごめく小声と何やら甘い空気、そして私に向けられる憐れみのような視線。


アンタこれから苦労するよ、とでも言いたげなそれを受け止めた私も察した。あまりにも真っ直ぐ突っ走り過ぎた。やっぱりプランBを考えておくべきだったと。



私たちに対する周囲の姿勢が変わったのはそこからだ。そしてもう一つ、変わったことがある。



いや、正確に言うなら“薄れていった”ことが。





ーーなぁ、浅葱。




プレゼンから二ヶ月程が経った頃のある日の帰り、新御茶ノ水駅のホームでタカが言った。


「見つけたんだよね、コレ…」


差し出してきた黒い物体を目をした私の息は、一瞬止まった。



「USB…あの課題の?」



どうやって…いや、何処にあったの?と問うとうつむき加減の彼が答えた。



「3階の教室。いつも俺が荷物置いてる机の下の…だいぶ奥」



そこなら探した。だって二人して潜って満遍なく手を擦り付けたんだ。平らな感触しかなかったこと、ただただ虚しい程に冷たかったこと、きっとタカも覚えてるはずだ。それに…



ねぇ、タカ。



私は切り出した。



「アンタ、心広い?」


「さぁ?」


「怒ったりする?」


「…内容による」




ーーじゃあ、言うね。




少し、いや本当はかなりビビっていた。いつだって表情乏しく淡々としているコイツが果たして本当に怒り狂ったりなどするのかはやってみなきゃわからないと思った。そしてそんなことよりも何よりも確かに思えることがあった。


そっちの方がよほど、怖かった。




全ての専門学校が同じかは定かでないが、少なくともうちの学校では中退も不登校も珍しくない。そしていなくなった人間に対して誰も触れようとはしない。出欠の際に名前が呼ばれていれば在籍、名前が消えたら中退、そう判断するだけ。


彼もまた同じだった。プレゼンの翌日から姿を消した、そしてやがて名前まで消した、植村も。




私は話した。向かい側の『新御茶ノ水』の文字だけ見ながら、タカの顔を見れないまま、植村と最後に交わした会話とそこで知った事実を。




そっか…



ぽつりと隣からこぼれた声に恐々と振り向いた。その姿に見入った。



静かな横顔。寂しげでそれでも受け入れているような彼がやがて、言った。



「植村とは高校が一緒でさ、それなりにつるんでたんだ」



帰り道で会ったこともない植村。アイツも柏だったんだ、と思いながら耳を傾けた。淡々としたタカの声は続いた。



「つるむときは大体三人だった。アイツと俺と、同級生の女子。アイツの好きな子だった。だけど卒業式の後、俺はその子を泣かしちまった」



元気でな、って言ったら泣いた。別れたくないって言われた。



…付き合ってるつもりもアイツから奪ったつもりも、なかった。




言葉を失くしていた私へ追い打ちはすぐにやってきた。低く沈んだ彼の声に乗って。



「また取られたと思ったんだろうな、アイツ…」



浅葱が、好きだったから。




やがて流れ込んできた電車。けたたましい音の中でかすかに聞こえた。



「俺、もう黙ってるしかないのかな?」



すぐ横で鳴り響く電車の音が邪魔だった。かぶりを振って掻き消されなように張り上げた声を彼に投げた。きっと届いたはずだ。速度を緩めた電車が静まって口を開く頃、彼も口を開いてくれたから。




ねぇ、タカ。私の声はちゃんと響いた?


アンタが返してくれた言葉、少なくとも私には響いていたよ。きっとこの先もずっと忘れられないくらい。



忘れたりしたらはっ倒してやろうと思った。私だけだなんてそんなの、悔しいから。



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