九つ夢
ーー朝日を星屑みたいに散らした水面…海。今日は静かに音も立てずに凪いでいる。人の気配はない。
サキの姿は、ない。
この世界でも同じだと思った。向かうべき場所はもう見えている、と確信の元で瞳を閉じた。
足元から風が起こった。裾が浮き上がり露わになった両脚へパチパチと打ち付ける砂の感触。やがて軽く握った両手に宿った熱が形を帯び始めた。目を開く頃にはいつの間にか握り締めていた。先端に透き通った薄藍色の石と金色の羽を携えた杖を、しっかりと。
初めて手にしたはずのそれの使い方を私は何故だか知っている。思い描き、強く念じる。それで意図する場所に飛べるのだと疑いもせずに内なる力をみなぎらせていく。
身体を巻き込む旋風が止んで、やがて視界に映った光景に安堵した。白みの強い朝の斜陽を受けて一層神々しく幻想的に輝く教会へ歩を進めた。
観音開きの扉を開いた。いつだってそこに居た二つの姿は今日もやはり、ある。
ゆっくりと進んだ。振り返った桃色の彼女の方に私は呼びかける。
モモ。
見てほしいものが…
そう言って懐から取り出したものを彼女の前へと差し出す。そのままじっと黙って見下ろしていた。円らな桃色の双眼が更に大きく形を変えるまで。
ーーこの人…!ーー
そうこぼすのがやっとのような彼女に私はうん、と頷いて言う。
モモに逢いたがっている人…
名前はサキだよ。
そっと教えてやる。写真に見入る彼女のすぐ後ろで不安げな表情を浮かべているシンに気付きつつも思った。
今ここに居る二人が絵になる程お似合いなのはわかってる。だけど…
悪いね、シン。今はモモの判断に委ねたい。サキはずっとこの子との再会を願ってたった独り曇りの海辺で黄昏れていたんだ。そしてたった独りで…
切なくも温かい思いでモモの潤んだ瞳を見ていた。そのとき、声が上がった。
ーーお兄ちゃん…!!ーー
唖然とした。そして内心で呟いた。
それはいかん、と。
ーーお兄ちゃんに会ったの?アサギーー
細い両手ですがってくるモモ。魂が抜けたみたいにガクガクと揺すられていた私の脳裏にやがて一つの疑問がよぎった。
モモとサキは兄妹と称するには無理がある程似てもにつかない。そもそも妖精とヴァンパイア。一体何処でどう繋がるというのか。
言葉の一つも発せられない私を前にモモが何か察したみたいに、あ、と呟いた。よほど感が鋭いのかはたまた私の顔にありありと現れていたのかどっちかはわからないが、ともかく彼女は言った。
ーー育てのお兄ちゃんなのーー
ーーこの写真を撮って間もなく離れ離れに…ーー
今にも泣きそうなモモの表情には一抹の期待が見える気がした。私の喉は更に詰まった。
言えない、言える訳がない。
私は確かにこれを受け取った。だけど止められなかったんだ、海へ消えていったサキを。
彼が何処へ向かったのかわからないなんて、ましてや生きているかどうかも…なんて、一体如何にして伝えることができると言うのか。
逃げるみたいに目をそらしてしまった。だけどすぐに逃げ場などないと気が付いた。
今私の目に映っているのは困り果てた顔でまごついている、シン。彼をそうさせているのは何か。不安か焦燥か、哀れみか…
もう、見えない。
ーーお兄ちゃん…サキは、元気?ーー
ーーねぇ、アサギ…ーー
問いかけるモモの声が遠く感じた。反して間近に迫ってくる感覚に、怯えた。
私は何も見えていない。
いくつ色を覚えても、いくつ名を与えても、一向にわからない。
こっちでも、あっちでも
…私は、無力だ。




