表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Hypersomnia〜幻想と現実の旅人〜  作者: 七瀬渚
★専門世界★
28/57

六つ夢

浅葱ぃ!


ねぇ、起きなよ!



慣れた声で瞼を開いた。横向きの身体の顔だけを上へ仰がせると目に飛び込む仏頂面。蛍光灯の明かりを背後に受けて陰ったそれはなお恐ろしく可愛げがない。


「寝るならちゃんとベッドで寝なよ。私先行くからね」


そう吐き捨てて不機嫌そうにため息をつく妹・若菜。年子とは言えまだ高校生の分際ですっかり姉気取りなご様子だ。こちらも今更頭にくるということもない、むしろそれで気が済むなら好きにして頂きたいくらいだ。


「おかんも寝たの?早くね?」


「腰痛いんだってさ。38歳初めての畑仕事だからね」


おやすみ~と顔の横で手を振る若菜の後ろ姿は寝室の方向へ消えた。起き上がった私はとりあえず干からびそうな喉を何とかしようとキッチンへと向かった。



「おお、浅葱はまだ寝ないのかい?」


換気扇前で煙草をふかしながら父が言う。


「まだ眠くないし」


コップに注いだ麦茶をあおりつつ私は返す。さっき寝たからでしょ、と父は吹き出すように笑った。のんびりゆったり締まりのない会話はまだ続いた


「早く浅葱と一緒にお酒を飲みたいものだねぇ」


「ちょっとくらい大丈夫っしょ。付き合うけど?」


「いやいや、駄目だよ!浅葱にはちゃんと成人してもらってから清く正しくだね…」


未成年の女と駆け落ちした男が何を言う。ヘラヘラとした困り顔で両手を振っている父を横目で見て内心で毒づいた。すると何だか無性に興味が沸いてきたのだ。


学年で言うと今の私と同い年だった母。この草食系優男を相手に一体どんな風に惹かれどんな気持ちでこの柏を出ていったのか、うろたえる父に容赦もなく尋ねてみる。



「母さんは見た目こそ派手だったけどすごく純な子でね…よく食べてすぐ眠る自由なところも可愛かった。当たり前みたいに男に奢ってもらう子が多い中、御殿場ごてんば(※1)から上京したばかりで貧乏だった僕を気遣ってアパートまで遊びに来てくれたんだ」


俺んち集合、俺んち解散というやつか。


「画家になりたいという僕の夢を応援してくれてね、モデルにもなってくれたんだよ」


某ハリウッド映画みたいにネックレスだけを身につけて…的なことしてないだろうな?


「お互いに結婚の意思も固まって母さんの実家に挨拶に行ったんだんけどものの数分で追い返されてしまった。だけどその頃には…」


うぶな少年みたいに赤らんだ顔をうつむかせる父を前に私は顔をしかめた。正直気持ち悪い、そして早く言えと思っていたとき遅れて声が返ってきた。



「…母さんのお腹には大切な命が、ね」


「うん、知ってる。デキ婚でしょ」



大切な命とやらの私がサラッと言ってのけると更に顔を赤くする父。こんなうぶな中年…いや、当時は若者だった訳だが、ともかくこんなナヨナヨ男がよくそんな大それたことができたもんだとある意味関心してしまう。逃げた先が同じ首都圏という辺りはまぁ…アレだ。アパートの一室で盛った愛を育むくらいしかできなかった経済状況からやむを得ないと言えるだろう。


そんな言い方しちゃ駄目だよ~とか、女の子なんだから~とか抜かしている父を尻目に私は気になるもう一つを尋ねる。



「そんでおかん、大丈夫なの?」



はた、と父が動きを止めた。悲しむように眉を寄せていく。どうやら説明せずとも察してくれたらしい。


「無理をしないようにとは言ってるんだけど…母さん、律儀だからねぇ」


だったら何とかしてやれよ、と少し苛立ちさえ覚えてしまう。きっとその術もわからないのだろうが、と。



柏に越して以来、母は実家に通いつめ畑仕事を手伝っている。駆け落ちした娘を笑顔で迎え入れた上に採れたての野菜をタダで分けてやる…なんて虫のいい話など実際のところはないもんだ。そして私自身特にそれを冷酷とも思わない。大人たるもの借りは返さなければならないと未成年ながらも知ってるつもりだ。



「父さんも頑張らなきゃなぁ~」



手を上で組んで伸びをしている父。画家の夢は諦め切れずとも大黒柱として安定のサラリーマンに落ち着いた元青年の幸薄げでありながらも何処か柔らかい横顔を眺めて思った。



母はきっと気が遠くなる程なんべんも頭を下げたのだろう。そして借りを返そうと慣れない畑仕事に勤しんでいる。私があの御茶ノ水の美術系専門学校で新しい色を覚え、新しい作品を作っている間もずっと繰り返している。来る日も来る日も、ずっと…



私にこの男を責める資格なんてない。電車以外に移動手段がない、誰かに運んでもらうしかない私に一体何が言えるのだろうと、胸焼けのようにくすぶるむかつきにもう一杯注いだ冷たい麦茶を一気に流し込んで、鎮めた。




※1)静岡県御殿場市・・・静岡県東部に位置する富士山のふもとの高原都市。静岡県内の市の中では寒さが厳しく…というか本当に寒い。静岡は温暖な気候よね〜なんて思っていたらえらいことになりますよ、と忠告したいくらい寒い。富士山を見上げれば一目瞭然、もちろん雪だって降る。しかし夏は涼しく快適である為、避暑地としても親しまれている。観光の際は是非着脱可能な服装でお越し頂きたい。著者が見たところ住まう人々の気質もおっとり穏やかなように思える。御殿場市民も含む静岡県民の描く富士山の絵は右側に宝永山を含んでおり、宝永山の見えない山梨県民のシンメトリーな絵とは違い、おのずとアシンメトリーになる…らしい。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ