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東雲に追われて  作者: San


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3/7

東雲に追われて 3

息が、続かない。


 吸っているのに、足りない。

 喉が鳴る。空気が薄いみたいに、うまく入ってこない。


 それでも足は止めない。


 止めた瞬間に、終わるから。


 商店街のアーケードに飛び込む。

 シャッターは半分以上閉まっていて、明かりもまばらだ。


 蛍光灯の白い光が、床に長く伸びている。

 誰もいないはずなのに、どこかに視線を感じる。


 走るたびに、足音が反響する。


 バン、バン、バン――


 その音に、もう一つ重なる。


 バン、バン、バン!!


 後ろから。


 同じリズムで、いや、それ以上に荒く。


 彼女も全力で走っている。


 振り返らなくてもわかる。


 呼吸の音が近い。

 靴が床を強く蹴る音が、すぐ後ろで弾ける。


「……はっ、はっ……!」


 喉の奥で音が鳴る。

 胸が上下するたびに、痛みが走る。


 足が重い。


 さっきよりも、明らかに動きが鈍くなっている。


 それは――彼女も同じはずなのに。


 足音は、消えない。


 むしろ、離れない。


 距離が、維持されている。


 ――なんでだよ。


 歯を食いしばる。


 限界に近いのは、同じはずなのに。


 なのに、彼女は追ってくる。


 止まらない。


 諦めない。


 自分を、逃がさない。


 アーケードを抜けると、今度は細い路地が続く。


 古い建物が並んでいる。

 壁が近い。逃げ道が少ない。


 足を踏み外せば、すぐに転びそうな道。


 それでも走る。


 壁に手をつきながら、体を支えて、無理やり前へ。


 その時――


 背後で、何かがぶつかる音。


 ガンッ、と鈍い音。


 振り返る。


 彼女が壁に肩を打ちつけている。


 一瞬だけ体勢を崩している。


 それでも。


 すぐに立て直す。


 顔を歪めて、痛みをこらえて。


 そのまま、また走り出す。


 スピードを落とさずに。


 その姿に――


 胸の奥が、嫌な形で締めつけられる。


 痛いはずなのに。


 苦しいはずなのに。


 それでも追ってくる。


 そこまでして――


「……なんでだよ……」


 言葉が漏れる。


 わかっているくせに。


 理由なんて、もう。


 *


 「痛っ」


 彼女が小さく声を上げた。


 その時も、似たような顔をしていた。


 少しだけ眉を寄せて、でも大げさにはしない。


「ほら、言ったじゃん。気をつけろって」


「大丈夫だって」


 そう言いながら、彼女は手を引っ込めようとする。


 指先に、ほんの小さな傷。


 赤い線が、うっすらと浮かんでいる。


 料理中だった。


 キッチンに立って、並んで。


 特別な日でもなんでもない、普通の夜。


「大丈夫じゃないだろ」


 手を取る。


 彼女の手は、少しだけ冷たかった。


 指先に触れると、わずかに震えているのがわかる。


「消毒するから、じっとしてろ」


「平気だって、それくらい」


「いいから」


 少しだけ強く言うと、彼女は黙る。


 そのまま、こちらを見る。


 じっと。


 何かを確かめるみたいに。


 でも、すぐに視線を外して、


「……優しいね」


 と、小さく言った。



「普通だろ、これくらい」


「普通、ね」


 彼女は少しだけ笑う。



「じゃあさ」


「ん?」


「私が、もっと怪我したらどうする?」


 軽い調子で言う。


 冗談みたいに。


 だから――


「そりゃ、もっとちゃんと手当てするよ」


 深く考えずに、そう答えた。


「ふーん」


 彼女は頷く。


 それで終わると思った。


 でも。


「じゃあさ」


 もう一度、同じ調子で続ける。


「私が、いなくなりそうだったら?」


 その言葉だけが。


 少しだけ、重かった。


 空気が、わずかに止まる。


「……は?」


 意味がわからなくて、聞き返す。


 彼女は笑っている。


 いつも通りに。


「なんでもない。変なこと言たわね」


 そう言って、話を切る。


 そのまま、何事もなかったみたいに料理を続ける。


 あの時の自分は、深く考えなかった。


 *


「……っ!」


 現実に引き戻される。


 足がもつれる。


 今度こそ、踏ん張りが効かない。


 体が前に倒れる。


 地面に手をつく。衝撃が腕に走る。


 痛い。


 でも、それどころじゃない。


 すぐに立ち上がろうとする。


 足に力が入らない。


 震えている。


 限界だ。


 体が、動くことを拒んでいる。


 その間にも――


 足音が迫る。


 止まらない。


 彼女も限界のはずなのに。


 それでも、止まらない。


「……はっ……はっ……!」


 彼女の呼吸が、すぐ近くで聞こえる。


 荒い。


 苦しそうな音。


 それでも――近づいてくる。


 立て。


 立て。


 無理やり体を起こす。


 足が震える。


 それでも走る。


 引きずるようにでも、前へ。


 振り返る。


 彼女がいる。


 すぐそこに。


 顔は汗で濡れている。髪が張り付いている。


 息は限界まで乱れている。


 それでも目だけは、強くこちらを見ている。


 執着。


 それに近い何か。


 いや――


 それだけじゃない。


 もっと複雑で、壊れかけた感情。


「……っ!」


 目が合う。


 一瞬だけ。


 その瞬間、体が凍る。


 逃げなきゃいけないのに。


 逃げたくないような、感覚が混ざる。


 ――違う。


 首を振る。


 走る。


 逃げる。


 もう、止まれない。


 止まったら――


 きっと。


 全部、終わる。


 夜の路地を、二人の足音が乱暴に駆け抜けていく。


 互いに限界に近づきながら。

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