第3話 偏位――当たらない位置
数日経ち、実技の時間がやってきた。
屋外の訓練場に整列した俺たちに、ハーグ・レイゼン教師は短く告げる。
「基礎確認だ。現状を見せろ。」
石畳の上に引かれた白線。その内側に立つのは、二人。
対峙しているのは、レイン・ヴェリスと――同級生の男子生徒。
「……無属性、だっけ?」
軽い笑いを含んだ声が、周囲から漏れる。
「攻撃魔法もまともに使えないんだろ。模擬戦になるのか?」
そんな空気のまま、開始の合図が鳴った。
――先に動いたのは、相手だった。
『ファイアボール』
短い詠唱。掌に灯る炎が、そのまま弾けるように放たれる。
直線。
速い。
避けられる距離じゃない。
――はずだった。
俺は、一歩だけ横にずれた。
それだけで、炎は彼の肩をかすめることもなく、背後へ抜けていく。
「……今の」
誰かが、小さく呟く。
だが、それだけだ。
偶然。たまたま。運が良かった。
そう片付けられる程度の、回避。
相手も気にした様子はなかった。
「なら、次は――」
間合いを詰める。
今度は近距離。逃げ場を塞ぐように踏み込みながら、連続で魔力を叩き込む。
『ヒートエッジ』
炎の刃が、一直線に突き出される。
回避不能の距離。
当たる。
――誰もが、そう思った瞬間。
レインは、動かなかった。
避けていない。
防いでもいない。
ただ、そこに立っている。
炎は、届かなかった。
「……は?」
刃の軌道が、わずかにずれていた。
ほんの数センチ。
それだけで、レインの身体を外れている。
あり得ないズレ方だった。
「今の……当たってなかった?」
「いや、でも……」
ざわ、と空気が揺れる。
――その瞬間。
リュシアだけが、息を呑んだ。
(今の……違う)
ただ避けたんじゃない。
当たらなかったんじゃない。
“当たるはずの位置そのものが、ずれていた”
相手の表情が、初めて曇った。
「……もう一回だ」
今度は、確実に当てる。
そう言わんばかりに、踏み込みが深くなる。
距離を詰め、角度を潰し、逃げ道を消す。
そして――放つ。
炎。
直線。
今度こそ、外れようがない。
レインは、やはり動かなかった。
――いや。
ほんの僅かに、視線が動いた。
炎は、またしても――外れた。
「……なんでだよ」
今度は、はっきりとした声だった。
距離も、角度も、タイミングも。
全て、外れるはずがない条件。
当たっているはずだった。
なのに――成立していない。
「当たってるだろ……今のは」
誰かが言う。
それを否定するように、別の声が重なる。
「でも、当たってない……」
矛盾した認識が、同時に存在していた。
レインは、何もしていない。
ただ、そこにいるだけだ。
それなのに。
“当たる”という結果だけが、なぜか起きない。
「……もういい」
相手が、歯噛みする。
焦りが、動きを荒くする。
詠唱も省略し、魔力をそのまま叩きつけるように放つ。
乱れた連撃。
だが、それはすべて――
届かない。
当たらない。
ずれている。
繰り返されるたびに、その異常ははっきりしていく。
「……ありえない」
誰かが、そう呟いた。
その言葉に、誰も反論しなかった。
距離が、噛み合っていない。目の前にいるのに、ほんの少しだけ遠い。
レインはふと我に返ったような表情を見せる。
(……なんだったんだ)
距離はある。
届くはずがない。
それでも――
何かが、そこに“ある”気がした。
(試してみるか)
俺はそのまま踏み込もうとして――
拳を、少しだけ別の角度に向けた。目の前の相手じゃなく、何もない空間に向けるように。
触れた気がした。
手応えはない。でも確かに、何かに触れた感覚があった。
次の瞬間、相手の体が横に弾かれた。
「え?」
誰かの声。周囲が静まる。
俺も止まっていた。
(殴ってない。当ててない。なのに)
倒れた相手が俺を見上げている。何が起きたか分からない顔。
そうだよな。俺も分からない。
「そこまで」
ハーグの声が入り、試合が終わった。
やがて、終了の合図が鳴る。
勝敗を告げる声が響いたが、それを聞いている者は少なかった。
視線はすべて、一点に集まっている。
レイン・ヴェリス。
ほぼ何もしていないはずの、その存在に。
ざわめきの中で、ひとり。
離れた場所から、静かに見ている視線があった。
黒髪の少年――アルト・レグナス。
「……測れないな」
小さく、そう呟く。
その目は、わずかに細められていた。
「だが――あれは、“力”じゃない」
断定するように言い切って、視線を外す。
しかし。
ほんの一瞬だけ。
彼の表情に、理解できないものを見る色が混じった。
それはすぐに消え、代わりに冷静な判断だけが残る。
実技場にはまだ、ざわめきが残っていた。
その中心にいるのは、ただ一人。
――当たらない位置に立ち続ける、少年だった。
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