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『黄の章』第19話:部屋の中の暗き森

「さて、お二人とも頑張ってきてください」


 お茶を飲みながら一息ついていた3人だったが、その中でギンコとヒナギの2人を至王は何のためらいもなく消しとばした。

 声を発する暇もなく、茶碗とヒナギがたまたま手を伸ばしていた菓子ごと消えた。

 ずずと啜ったお茶が利緒の喉を通るよりも速く、何の前触れもなく。利緒は消えさった2人がいた空間を目の当たりにして、知らず知らずのうちに目を見開いていた。

 喉が仕事を放棄して、液体は口腔へと流れ込むはずが、唇の端からこぼれ落ちていた。


「彼女たちは当分帰ってこないから、適当に探索でもして時間を潰すといいよ」

「……はっ?」


 急な出来事に我を失っていた利緒に対して、欠片も慮ることのない声。

 利緒が止める間もなく、何か事を考える余地もなく、道化は指を鳴らして姿を消した。


 日本食が何故あるのか、どうして知っているのか、そもそも試練とは何なのか。現状の変化に追いつかない思考。尽きぬ疑問が解消される間も無く、1人取り残される利緒。

 状況を把握しきれていない利緒の脳が、思考を放棄して疑問符をただただ量産した。

 何が起こるでもなく、何するでもなく呆然と机の上あたりの空間を眺め惚けていた。


 しばらくして我に返った利緒は手元を覗き込んで、まだお茶が残っていることを確認すると、湯呑みを大きく傾けて、残る緑を一気に喉へと流し込んだ。

 底に残る僅かな粉末、カシャカシャと音をかき鳴らす竹らしき茶筅で立てられた抹茶、いかにも日本を思わせる茶器を西洋の道化が扱う喜劇。常識が何かを考えようとすると、その全てを複合したこの光景はもはや狂気だ。

 どうしようもない困惑と疑問と混乱を一挙に胃袋へと流し込み、トンと音を立てて茶碗が机に着地する。


 そのままの姿勢で今度は30秒ばかり動きを止めると、ゆるゆると手を茶碗から離した。


「……探検してみるか」


 立ち上がりながら膝裏で椅子を押し出して、思い切り伸びをした。

 思いがけない感動、涙を流すほどの激情が尾を引いて、感情のあまりの落差に利緒は恐ろしく枯れた心持ちでいた。


「ごちそうさまでした」


 誰もいない静かな部屋で1人ポツリと呟いて、利緒は食堂を後にした。



「探検ても、何があるんだろ?」


 歩くうちに潤いを取り戻しつつあった利緒は、無計画な散策を独り言で賑やかす。

 この世界に来て、独り言が増えたと自覚する利緒。

 元の世界を強く意識した今、過去の自分との差異がより顕著に感じられるような気がしてならなかった。


 そんな寂しさを紛らわすように、大げさに足を振り上げで大股で廊下を歩く。


 綺麗に整えられた板と白壁、床はベージュのカーペット。

 等間隔で並ぶ壁に据え付けられたガラス様の灯は、時にユラユラと震え、中にろうそくでも入っているかのようだった。

 緩やかな右周りの道がひたすらと続き、どうも大きな円状の建物であるようだと、利緒は思った。


 数十歩ごとに、部屋がある。

 いずれも扉はなく、どの部屋も簡単に覗き込むことができた。

 初めは恐る恐る中を確認していた利緒だったが、誰に会うでもなし、部屋数が5を超えたあたりからごく当たり前のように部屋を視察する。


 廊下とは打って変わって、部屋の中はそれぞれ部屋単体としてのみ調和がとれていた。

 それぞれにコンセプトがあるのだろう。

 綺麗に磨かれた石の壁、水の入った瓶、積みあげられた大量の食材有する調理場。

 豪華なシャンデリアは煌びやかな光を放ち、床にはふかふかとした赤い絨毯が敷き詰められ、純白の布を乗せた丸い机がいくつも並ぶダンスホールらしき部屋

 パイプオルガンらしき装置を筆頭に、弦、管、さまざまな楽器が並ぶ、さながら演奏場のような部屋もあった。


 いずれにせよ、自分の立つ廊下と出入り口一つで繋がっていることに違和感を感じる部屋ばかりだった。


 そんななか、より一層不可思議な光景を広げた部屋が見つかった。


 森。


 森だ。奥へと続く一本の道を左右からうねった木々が覆う暗い森。

 重なる枝と黒い葉が天井を隠し、適度な暗さが本能的な忌避感を呼び起こす。


「ここから外に出られる……いや、まさかここも部屋?」


 訝しげな表情を浮かべながら、ひたすら歩くことにも飽きてきた利緒。

 どこかの部屋を本格的に物色しようと考えていたこともあり、よりにもよって、この先の見えぬ道へと足を踏み出した。


「『探検』は至王が口にした言葉。思えばアレは誘導みたいなものと思う。なら、仮に迷ったとして……まぁ助かるでしょ」


 根拠のない楽観的な未来予想だが、なにより好奇心が優ってた。


 パキッ。


 勢いよく踏み込んだ勢いで小枝を砕き、靴底から伝わる不確かな感触に、ビクリと背筋を伸ばす。

 わずかに勇気が削られるものの、引き返すという選択肢は利緒にはなかった。

 うねうねと続く木々の間をひたすら進む。一本道で、迷う要素はどこにもなかった。


「なんかあるな」


 どれくらい歩いたのか、なかなか代わり映えしない光景にとうとう終わりが訪れる。

 道を覆う木々が消え、開けた場所へとたどり着く。


 薄暗い森だが、その場所だけは光があった。

 上を見上げると、周囲を覆うように広がった木の中央から光が降り注いでいる。

 直視するには眩しくて、利緒はその光源が何かを判別することはできなかった。


「なんでもありだな」


 そんな光に照らされた一画には石で組み上げられた噴水があった。

 水を貯める槽と、その中央にある水を吹き出す排水口。

 キラキラと輝く水しぶきは、降り注ぐ光と相まって幻想的な光景を作り出していた。


 もしそれだけなら、利緒はもう少し平静で入られただろう。

 普通でないから、利緒の口は薄ら笑いを浮かべつつわずかに歪んでいた。


(そうだ、寿司なんてあったけど、ここは日本じゃあない、よな……)


 ソレは、周囲に溜まった水が重力に逆らって噴水口に入り込むという、いかにも幻想的な噴水だった。

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