『黄の章』第18話:利緒、少し壊れる
「……オ……リオ……リオ!」
肩を揺する振動を受けて、利緒の瞼がほんの少し開いて、その眼に光が差し込んだ。
(どこかで見たような光景だ)
そう考えてから、瞼を閉じたままの暗闇をどこかで見たなどと思うなんて、と利緒は内心苦笑した。
ぼんやりとした頭を持ち上げて、上半身を起こす。
目を覚ましついでに視線を左右に振れば、ヒナギと、もう1人別の誰かが視界に映った。
「リオさんー。大丈夫ですかー?」
のんびりとした声。
普段聞きなれないテンポのためか、言葉の意味を理解するのに時間がかかったが、逆にそれが朧げな意識を覚醒させるのに役立った。
「ギンコ……さん?貴女もここに?」
「はいー。気がついたら石の化物がいてー、まあどうにかどうにかでした」
ギンコも石の化物、《巨壁》フェスタルガンドに襲われたが、それをどうにか打ち倒してきたという。
のんびりとあいた言い回しに、どこか脱力するが、巨大な遺物を相手に打ち倒すということは相当な手練れなのだろうと利緒は息を飲む。
《巨壁》を倒してすぐ、光の渦に飲み込まれたと思った次の瞬間にはこの部屋の外の廊下に立っており、そこでヒナギと合流、利緒の眠るこの部屋に入ってきたのだった。
ギンコがフェスタルガンドに襲われた。
話を聞きながら利緒はその光景を思い出す。ヒナギとともに見たアレは、とても利緒の手におえる存在ではない。
不安と恐怖、そんな異常に2人の少女が戦わねばならない理不尽。
自分がなんの役にも立てない負い目もあって、心は酷く揺れ動いたが、利緒を不安そうに見る2人を前に、感情を押し殺す理性が勝った。
とくにヒナギには短期間で倒れているところを見られている、そう思えば少しでもましなところを見せるべきだと利緒は思った。
(短期間?)
ハッとする利緒に、ギンコが首を傾ける。
「リオさん、どうしました?」
「あ、いや僕はどれくらい寝ていました?」
利緒はベッドの上で寝ていた、正確には至王の手によって気絶させられたのだが。
ヒナギが飛ばされてからどれくらい経ったのかを聞いて見ると1日はかからないくらいと返ってきた。
この言葉に、自分がどれだけ意識を失っていたのかと利緒は絶句する。
しかし、悩み続けても詮無いこと。
2人が頑張っている中、寝ていてすみませんと笑いながら頭を下げて、訝しげに利緒見るギンコも半ば押し切る形で、ひとまず話を打ち切った。
「僕とヒナギは一緒に、変な部屋に送られたんだけどギンコさんはどうだったんですか?」
フェスタルガンドに襲われたこと、至王が急に現れたこと、この部屋からヒナギだけ飛ばされたこと。
利緒の知っているこれらに加えて、ヒナギだけがもう一度壁の壊された部屋に飛ばされてフェスタルガンドと戦ったことを伝え、ギンコとの情報共有を図る。
「そうですねぇー……」
ギンコが、今までのことを思い出すように語る試練。
細かい違いはあれど、岩の巨人との戦いという意味では違いはなかった。
「……試練って、アレと戦うことだったのですかね?」
「んー、どうでしょう?」
「覇王の試練は戦い続けるって聞いたぞ」
ギンコ、ヒナギも色々と考えるが答えは見えない。
「……まぁそこはー至王様ご本人に確認しましょうー」
現状では、考えても答えは出ないとギンコが思考を打ち切った。利緒も頷いてベッドから腰をあげる。
「あ」
「大丈夫?」
少しばかりふらついた利緒を支えながら、ヒナギが尋ねる。
利緒は苦笑しながら、大事ないと答えた。
「うん、少しお腹すいたみたいだ」
「それは丁度良いですー」
2人の会話を聞いて、先に部屋を出ていたギンコが扉のない出入り口から顔を出す。
「朝ごはん、だって」
利緒の腕の下で、ヒナギは笑いながら言った。
◇
「うおおお!!?」
「ん……?」
「あやー……」
その光景を見て、それぞれが三者三様の反応を見せた。肯定1に否定2と、総合的にはあまり好印象ではなかった。
「魚、生だよ?」
大丈夫なのか?とソレに訝しげな視線を向けるヒナギ。
「どうなんですかーねー?」
マギニアには魚の生食が存在したことを知識で知っているが、実物を目の当たりにして困った様子を見せるギンコ。
「ああぁ!?」
利緒は叫んだ。もはや諦めた、久方ぶりに見る故郷の思い出に、利緒は涙を流して歓喜に震えていた。
ソレとは、握った酢飯に切った魚を乗せる一口サイズの食べ物、いわゆる寿司であった。
洋風の机に白のテーブルクロスがかけられた食卓に、燭台と漆塗りを思わせる黒塗りの器と、ガラスの中の紫。
一見するとアンマッチに見える組み合わせだが、そんなことは利緒にはどうでも良いことだった。
表情を変える事なくひたすらにボロボロとこぼれ落ちる少年の涙を見て、2人は余計に困惑の色を強くする。
そんな3人を、至王は仮面越しに眺めていた。
「これは『寿司』という食べ物でね、生魚に忌避感はあるかもしれないが、美味しいものだよ?」
「これ、食べても、食べていいの?」
「え。リオ食べるの?」
涙を拭う事なく放たれた台詞に、ヒナギがギョッとした顔で利緒を見た。
幸いなことに、寿司に意識を完全に奪われた利緒がその視線に気づくことはなかった。
「では皆さん席についてください」
利緒の異常にも、ヒナギの反応にも、さほど興味なさげに至王は皆を食卓へと誘う。
真っ先に利緒は椅子に座り、ヒナギもすぐに続く。ギンコはそんな2人を見てため息をつきながらゆっくりと椅子へと腰掛けた。
「食べられないようなら、別のものも用意しますよ」
右手を上げながら、利緒以外の2人に至王は尋ねる。
「私食べる」
「ヒナギちゃんが食べるみたいですしー」
それぞれの解答を聞いて、至王は指を打ち鳴らすのを止めて、両手を挙げるとパンと一回手を叩いた。
「ではお召し上がりください」
至王の声に『いただきます』と言うや否や、利緒はすぐさま寿司を口に投げ込んで、また泣いた。
それは紛れもなく、悪夢にすらなった朧げな記憶、故郷の味だった。
ヒナギはワサビの辛さに思わず吐き出しかけて、涙目で至王を睨みつけていた。
卵なら、という至王の言に、わずかばかり疑いながらも目をつむり、またしてもえいやと一口でいただく。
「……甘い」
ゆっくりとまぶたを上げて、キラキラと光る目で美味しいとぽつりと呟いた。
「でもこの白い粒粒、いらない」
どうやらワサビだけでなく酢飯も、ヒナギの口には合わなかったらしい。
ギンコが笑いながら、ヒナギの皿へとシャリを抜き取った卵を移す。
いいのか?と目を輝かせるヒナギに魚の方が好きだから、とギンコは答える。
ギンコはいまいちシャリの必要性がわからなかったが、魚と醤油の組み合わせを好ましいと思った。
そんな2人のやりとりをよそに、利緒は一貫の寿司を味わいながら、涙を流し続けるのだった。
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